異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

51話 偉大なるモノ -1-

公開日時: 2020年11月19日(木) 20:01
文字数:3,125

 それは、この巨大都市オールブルームの歴史を塗り替えた瞬間だった。

 長らくの念願であり、何よりも必要とされたもの……そう、言い換えるなら『人類の叡智』とでも呼ぶべき希望の象徴。

 そんな素晴らしいものが完成したのだ。


 ……俺の悲願がついに叶ったのだ。


「……ついに…………ここまで、長く苦しい道のりだった」


 俺の頬に伝うのは涙ではない。

 これまで幾度となく味わってきた苦しみと絶望が浄化された証である追憶の欠片なのだ……


「では、試してみるか…………」


 いざ…………万感の思いを込めて…………

 俺は、白いボディの側面に取り付けられたレバーを『小』と書かれた方向へと引いた。



 ジョザバァー…………コポコポコポ…………



「…………成功だ……っ!」



 ついに……


 ついに…………っ!



 陽だまり亭に水洗トイレが設置されたのだっ!



 この世界に来てからというもの、何度夜中のトイレで怖い思いをしたか!

 それもこれも、この街に下水が整備されていないのが悪かったのだ。

 飲食店において、悪臭を放つ不衛生の代名詞たる便所、厠、トイレットの類いは、室内に設けることが御法度、非常識だとされていた。

 飲食店だけじゃない。この街では、トイレは家の裏にひっそりと設置されているものと相場が決まっていたのだ。

 しかも、その『トイレ』と呼ぶのもおこがましい稚拙な設備は、地面に深い穴を掘っただけのお粗末にもほどがある造りで、使用しない時は木の蓋がぽ~んと置かれているだけなのだ! つか、使用する時にその木の蓋を『手で持って開ける』…………この苦痛!

 嫌な臭いに、見たくもない穴の中の光景…………そして、……もし中に誰かいたらどうしよう……という、拭い去れない恐怖…………

 それらに、俺は、今日まで苦しめられてきたのだ……っ! 泣いても、いいよね?


 だがしかしっ!

 下水が完備された今! 何を憚ることがあるだろう!?

 飲食店にトイレ? あって当然じゃね? 

 不潔? 不衛生? 悪臭のもと?

 ははっ! 何を言っているんだい?


 ……水洗だぜ?


「……すごいです……とても綺麗で、においも全然しません。それになんだか……スタイリッシュです……っ!」


 俺と一緒に新設されたトイレに入っているジネットが感動に瞳を潤ませる。

 ……別にトイレに二人で入って何かをしていたわけではないぞ?

 ここの責任者であるジネットに、水洗トイレの使い方を教えていただけだ。


「ボ、ボクにも見せてよ!」

「……店長、交代」

「あたしも見たいです!」


 エステラにマグダにロレッタが、興奮した様子でトイレの前に列をなしている。

 日本に水洗トイレが誕生した当初も、こんな感じだったのかなぁ?


 ハムっ子たちの想像以上の大活躍により、下水の工事は予定よりも大幅に早く完了した。

 物の二ヶ月足らずで四十二区中を網羅する下水を作り切ってしまったのだ。

 その後、海へと通じる川べりの、限りなく外壁に近い場所に下水処理場が設けられた。

 下水の処理方法は水のろ過と工程が似ていて、下水管を通って処理場に集められた汚水は、まずは巨大なタンクへと集められる。そこで静かに寝かせ、大きな不純物を沈殿させる。

 その後、ゆっくりと流れる水路を伝い、三回程違うタンクに移し替えていく。

 その過程で汚水を浄化していくのだが、その浄化を行ってくれるのが微生物だ。ここが飲料水と決定的に違うところだな。

 俺たちはその微生物を、『おがくず』から採取している。

 日本でも『においの少ない簡易トイレ』『おがくずろ過装置』などでお馴染みの手法だ。

 こいつらがいい働きをしてくれるおかげで、浄化された汚水は無色無臭になってくれる。想像以上の効果だった。……異世界では、微生物もパワフルなのかもしれないな。


 で!

 でだ!

 その下水のおかげで、陽だまり亭に水洗トイレが誕生したのだ。

 最初はにおいのしない簡易トイレのようなものにしようとしたのだが……

 ハムっ子たちの頑張りによって工事が前倒しで完了したこともあって……立っている者は親でも使え……立っている者がウーマロなら優先的に使え。むしろ座ってても立たせて使え。――そんな言葉があるように、俺はウーマロに命じて陽だまり亭の『室内』に、清潔でスタイリッシュな水洗トイレを設置させたのだ。


 デザインド、バイ、俺。

 メイド、イン、ここ。


 さすがにフッ素加工やセラミックス抗菌とまではいかないが、ウーマロが仕事で付き合いのある、腕のいい石大工に依頼して便器を作ってもらった。

 掃除に手間はかかってしまうが、そんなもんはどうでもいい! 俺も頑張って磨いちゃうね!

 なにせ、ここのトイレは……


 洋式便器なのだから!


 もうしゃがまなくていいのだ!

 ちょこんと座れるのだ!

 文明バンザイ!

 俺、便座に頬ずりしたの生まれて初めてだよ。便座って、こんなに愛おしいものだったんだな。


「この水はどこから流れてくるんだい?」


 エステラが水を流しながら尋ねてくる。

 こらこら、無駄使いするなよ? 地味に面倒くさいんだから。


「基本は雨水をろ過したものだ。まぁ、雨が降らない時は、井戸から汲み上げることになるけどな」


 トイレの屋根の上に巨大な貯水タンクを取り付け、そこに雨水が溜まるようになっている。落ち葉や埃など、不純物が混じる可能性を考慮して、貯水タンクの底には簡単なろ過装置を取り付けてある。そこから水を取り、トイレへと流しているのだ。


 そこから先は日本のトイレとほぼ同じだ。

 便器の背後に設置されたタンクに一回分の水を溜め、次回はその水を流す。

 水を使用するとタンク内の『浮き』が沈み、梃子の原理でレバーが持ち上がる。すると外の貯水タンクに繋がる水路の門が開き、水が内部のタンクへと流れ込んでくる。

 タンクの中に水が満たされると『浮き』が再び持ち上がり水路に蓋をする。

 よく分からない人は、家のトイレのタンクを覗いてみるといい。ちょっとした後悔と共に「こんな仕組みなんだぁ」と感心することだろう。

 ……ん? 後悔? あぁ、すると思うぞ……タンクも結構汚れてるからな。


 外の貯水タンクに水を入れるのは、井戸から引いた水路に取り付けた釣瓶を使って行う。

 難しいことはない。タンクの高さに滑車を取り付け、紐を引くと水の入った桶がそこまで上っていくのだ。で、天辺までくれば勝手に傾いて貯水タンクに水を入れてくれる。

 とはいえ……貯水タンクを満タンにするのは結構な重労働だったりするのだが……


 ちなみに、貯水タンクの残りが少なくなると、内部に設置した仕掛けにより「カンッ!」とししおどしのような音が鳴るようになっている。タンクの『浮き』と似た原理で、水位が下がると仕掛けられた木片が木の板を打つのだ。

 その合図があったら、裏に回って水を汲み上げるといった流れだ。

 ……全自動には程遠いな。


 だが、水洗トイレだ! 出したものは下水を通って流れていくので衛生的でにおいもない!


 真夜中だって、室内だから怖くない!



 ……俺は、たぶん、この日のためにこれまで頑張ってきたんだ…………そうに違いない。



「それにしても……室内にお手洗いがあるなんて……やっぱり変な感じだね」


 ひとしきり水洗トイレを眺めた後でエステラがそんな感想を漏らす。

 そして、少し照れたようにこんな疑問を口にした。


「本当に大丈夫なのかい? その……お、音とか、におい、とか……」

「なら試してみればいい。さぁ、遠慮なく!」

「こんな大勢の前で出来るわけないだろう!?」


 なんだよ。折角貸してやると言っているのに。


「ヤシロさん。パスタの準備が出来ました」

「おぉ、サンキュウ。今行く」

「またパスタかい? よほど好きなんだね」

「そうじゃねぇよ! 折角作った新メニューだ。普及させなきゃもったいないだろうが!」


 肩をすくめるエステラを尻目に、俺は四人も入ってギュウギュウ詰めになっていたトイレから出た。


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