「あの、お花を買ってもよろしいでしょうか?」
なぜここに来て言うんだ、ウェンディ。
ルシアの馬車は、つい前日通ったばかりの街道を走行中である。
二十九区なう。
「……帰ってからミリィに頼んでくれないか?」
「いえ、あの、マーゥル様にお渡ししたいなと思いまして」
「だったら、出てくる前にミリィに売ってもらっておけばよかったのに!」
「長い馬車移動では、お花も元気をなくすかと思いまして」
「ミリィのとこはサービス最高だよ!? 店員は可愛いし、豆は押しつけないしっ!」
なんてことだ。
改めて考えるとミリィ、最高じゃないか!
よし、今度会ったらいいこいいこしてやろう!
「申し訳ありません。粗品に関しましては、私たちで責任を持って処分いたしますので、何卒ご容赦を」
ウェンディがぺこりと頭を下げる。
「ウェンたんを困らせるな。降りろカタクチイワシ。そして三角座りで付いてこい」
「いや、無理だわ!」
三角座りでどう移動しろってんだよ。
三角座りで馬車並みのスピード出したら、それはそれでキモいって拒絶するんだろう、どうせ!
「大丈夫、安心してほしい思う、友達のヤシロ」
斜向かいのその隣の席から、ギルベルタが「きらーん!」と輝く視線を向けてくる。
「必ず出来る思う、友達のヤシロなら!」
「無理だっつの!」
「マスター出来る思う、友達のヤシロなら!」
「したくもねぇし、する予定もねぇよ!」
「ヤシロ。もしマスターした暁には、友人としてちょっと距離を取らせてもらうことにするよ」
隣の席に座るエステラが、拳一つ分だけ俺から遠ざかる。
そのまま外に突き落としてやろうか?
「しかし、この席順は気に入らんな!」
ギルベルタとウェンディがいるにもかかわらず、ルシアが地味にイライラしている。
その原因は馬車の席順にある。
「なぜ私がカタクチイワシの隣なのだ! 降りろカタクチイワシ! そして『ふしうき』で付いてこい!」
「水もないのに『ふしうき』が出来るか!」
そして相変わらず推進力がねぇよ!
本来、六人乗りのルシアの馬車に、現在は七人が乗っている。
乗れないことはないのだが、四人掛けになる方の席は、そこそこ狭くなる。
領主にそんな狭い思いをさせるわけにはいかない。……ということで。
上座には――エステラ、俺、ルシア。
下座には――ナタリア、セロン、ウェンディ、ギルベルタ。
という順番で座っている。
ルシアの前にウェンディとギルベルタを配置したのだが、ルシアの不機嫌は収まらなかった。
「ギルベルタとウェンたんに挟まれて、両手に花ってしたかったぞ!」
「そうすると、下座になるか四人掛けに座らせることになる、エステラ様を」
「エステラはそんなことを気にするタイプではない!」
「なに勝手なこと言ってくれてんですか、ルシアさん?」
「胸元薄いし、省スペースだし!」
「あなたもねっ!」
「大きな胸をぶらさげたままで失礼します――。お二方とも、少し落ち着いてください」
「「黙れナタリアっ!」」
なんだか、ここの領主間の仲が急激によくなっているような気がする。
いつの頃からか、ルシアはナタリアを「給仕長」とは呼ばなくなっているし、ギルベルタも「エステラ様」と名前で呼ぶようになっていた。
四十二区に触れると、人は皆フレンドリーになる魔法にでもかかるのだろうか。俺にとっては呪いみたいなもんだがな。
「ヤシロ様はいかがですか? 御不快な点などございませんか?」
ナタリアが俺に尋ねてくる。
不快な点……
「快適だぞ。スペースすっかすかだし」
「うるさいよヤシロ!」
「降ろすぞ、カタクチイワシッ!」
怒る両領主と、にんまりほくそ笑むナタリア。
……お前のオモチャにすんじゃねぇよ。
「つか、なんで俺がこっちなんだよ。女三人の方がよかったろう?」
「私ども給仕が、お客様を差し置いて上座に座ることなど出来ません」
「同じ意見、私も」
「んじゃあ、ウェンディ……は、セロンの隣がいいんだよな」
「は、はい。お恥ずかしながら」
薄く頬を染めて、ウェンディがチラリとセロンを見る。目が合って笑顔を交わす。
叩き出すぞ、爽やか新婚夫婦!
「おい、男! 私のウェンたんにベタベタするな! なんの権限があって隣に座っているのだ!?」
「彼はウェンディさんの旦那様ですよ、ルシア様」
「そして、ルシア様のものではない、ウェンディさんは」
「黙れ、両給仕長! 正論など聞きたくない!」
いや、正論なら聞いとけよ。
「と、言いますか。私は、ヤシロ様の隣に座って気にしない素振りを装いつつも、馬車が揺れて肩が触れる度にちょっとにやにやしているエステラ様を真正面から見物できる特等席をお譲りするつもりはありません」
「ちょぉーっと! 誰がにやにやなんかしてるのさっ!?」
「ご自分の胸にお聞き…………もとい、ご自分のすっかすかの胸にお聞きください」
「なんで言い直したぁー!?」
馬車の中で暴れんなよ。
乳偏差値じゃ、ナタリアの圧勝なんだから。
「にやにやはしている、ルシア様も、先ほどから」
「はぁ!? 世迷いごとを口にするでないぞ、ギルベルタ!?」
「いつもより口数が増えている、ルシア様は、友達のヤシロといる時は」
「それは、こいつがくだらない顔でくだらないことばかりするから苦言を呈しているだけで、いわば不可抗力というものだ!」
「紙に書いて練習している、ルシア様は、『黙れカタクチイワシ』シリーズを」
「なっ、なぜ知っているのだっ!?」
いや、認めちゃったよ……つか、『黙れカタクチイワシ』シリーズってなんだ。
「両隣りでぎゃーぎゃーうるせぇよ、お前ら」
「黙れカタクチイワシっ! 濡れた髪が半乾きの状態で寝かしつけて、おかしな寝癖を付けるぞ!」
「……何パターンか書き留めて、採用されたのがそれ?」
そのシチュエーション、とりあえずお前のとこで風呂入って一泊してるからな。
あり得ないよな。分かるよな?
「さすが英雄様です。どの区の領主様とも対等に渡り合い、ともすれば優位に立たれている……」
「なぁ、セロン。とりあえず確認したいんだけど……、お前、俺のこと嫌いなの?」
持ち上げ方が微妙な上に非常に不愉快だ。
こいつらと対等って、すごく嬉しくない。
「それよりもナタリア」
「なんでしょうか?」
「この街道沿いに花屋ってあるのか?」
「英雄様っ!」
ウェンディが手を合わせて、ぱっと表情を輝かせる。
そんな嬉しそうな顔すんなよ、これくらいのことで。ちょっと寄ってもいいぞってだけの話じゃねぇか。
「聞いて、セロン。英雄様が私の話を覚えていてくださったの!」
「さすが英雄様、頭脳明晰故に記憶力が優れているんだね」
「そして、花屋を探してくださったの!」
「思いやりの心が温かい、慈愛に満ちた方だね」
「英雄様にご相談してよかった!」
「人を導く器をお持ちだから、間違いがないよね!」
「よしお前ら、今すぐ飛び降りて徒歩で帰れ!」
鳥肌が立ち過ぎて語尾が「コケー!」になりそうコケー!
「称賛が行き過ぎて最早気持ち悪いコケ! 昔みたいに、もっと普通にしててコケ!」
「ヤシロ……語尾があほっぽくなって、物凄くヤシロっぽいよ」
「コケー!」
失礼なエステラに威嚇をしておく。
というか、エステラが「普通に接して!」と、繰り返し訴えている理由が少し分かった気がする。
これは…………つらい。
「そういえば、あの美しいニワトリ人族のネフェリーたんは元気か?」
「あぁ、そういや、明日ドーナツ食いに来るって言ってたな」
「くぅ~……今日も泊まりか……」
「帰れよ! つか、仕事しろ!」
「仕事仕事と……私と仕事、どっちが大事なのだ!?」
「仕事! そして、その仕事をするのはお前だ!」
職務放棄はギルベルタの専売特許かと思っていたが、ルシアの方が酷くなってきたな……
「ヤシロ様。御者に確認しましたところ、この先に花屋があるそうです」
「じゃあ、そこに停まってもらってくれ」
「セロン、聞いた!?」
「あぁ、聞いたよウェンディ!」
「「さすがは英雄様、お心がお優し……」」
「コケーッ!」
威嚇しながらウェンディとセロンを引き離す。
こいつらダメだ。隣に置いておくと「自分たちワールド」を展開して帰ってこなくなる。
セロンの隣に体をねじ込んで、代わりにウェンディを俺が座っていた席へと追いやる。
「え、英雄様っ、私が領主様と並んで上座など、恐れ多く……」
「英雄様命令」
「あぁっ! 悩ましいっ!」
「ウェンディ、頑張って! 僕が見ているよ!」
頭を抱えるウェンディと、拳を握って応援するセロン。
……こいつら、昔はもっとまともな人間だったのになぁ…………やっぱあれか、陽だまり亭の魔法か? ……どんどん残念化していく、呪いとも言うが。
「じゃあ、セロン。君はボクと交代ね」
「えっ!? そんな、領主様を差し置いて僕が上座になんて……」
「領主命令」
「あぁっ!? 悩ましい!」
にへらっと、小悪魔のような笑みを浮かべてセロンを地獄へ突き落とす。……こいつ、鬼だな。
「ルシアさんはウェンディの隣でご満悦だし、ウェンディはセロンの隣で嬉しいでしょ?」
「うむ! よい気分だ!」
「はぁ……上座なのは、落ち着きませんが……セロンがいてくれれば……」
「僕も、ウェンディと一緒なら」
「ほら、丸く収まった」
どんなもんだと薄い胸を張るエステラ。
「そして……」
エステラの向こうで、ナタリアがぽつりと呟く。
「さり気なくヤシロ様の隣をキープし続けるエステラ様もまた、ご満悦なのでした」
「なっ!? ち、違うよ!? ボ、ボクはただ、万事丸く収まるように……!」
「四人掛けになって、より密着度アップで、うっしっし……」
「うっしっしなんて思ってないよ!? ホントだよ!? なんなら換わるかい!? ボクドア側でも全然構わないけど!?」
エステラ。なぁ、エステラよ。
必死になればなるほど嘘臭くなるから、もう、やめないか?
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