「お待たせしたです」
アッスントの愚痴が一通り終わったタイミングでロレッタが俺たちのテーブルへと戻ってくる。
出来たての料理が載った皿を差し出しながら、アッスントへ料理名を告げる。
「ナポリタンです!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
俺、マグダ、オシナにアッスントが揃って無言のまま皿に盛られたナポリタンを見つめる。
「あ、あれ? どうしたです? めちゃめちゃ美味しそうですから、冷めないうちに食べてです」
「え~っと、いや、まぁ、別に問題はないのですが……これは、どうしたものでしょうか…………」
食にこだわりがないらしいアッスントではあるが、さすがにこれは戸惑いを隠せないようだ。
これでタコスだったら、「やっぱりか!?」ってツッコミも出来たのだが……
「ロレッタさん。疲れが溜まっているのでしたら、精の付く物でもお持ちいたしましょうか?」
「へ? い、いや、あたし元気ですよ? どうしちゃったです、アッスントさん?」
「どうしちゃったはお前だ、ロレッタ」
「……え?」
こいつ、マジで気が付いていないらしい。
「マグダ、教えてやれ」
「……アッスントが注文したのはカレー」
「えっ!? ……そ、そうでしたっけ?」
「……そして、マグダがボケたのはタコス」
「へ……ボケ?」
まったく理解できていないロレッタがぽか~んとしている。
こいつは、いよいよもって深刻な事態だ。
「あの、みなさん。どうかされましたか?」
厨房での仕事が一段落したのだろう、ジネットがホールへと出てきた。
ゆっくりとした足取りで俺たちの席へとやって来る。
「大きな膨らみをゆっさゆっさと揺らしながら」
「ヤシロさん。こういう状況ですので自重されてはいかがですか?」
「ダ~リンちゃんはよくも悪くもブレないのネェ」
「……ヤシロだから仕方ない」
「…………」
……参加しない、だと!?
こういう流れの時、ロレッタは必ず一枚噛むべく何かしら一言寄越してきていた。
これまでずっとそうだったし、何よりロレッタ自身がそういうノリをとても気に入っていたはずだ。
それなのに、今回は無反応。
というか、気付いてすらいない様子だ。
「……これは、深刻な状況」
マグダが眉根を寄せる。
あの無表情を極めたマグダの眉根を寄せさせるとは……相当な大事件だ。
「ロレッタ。何か悩みでもあるなら俺たちに話して……」
「な、悩みなんか、とんでもないです!」
俺の言葉を遮って、ロレッタが大袈裟に両腕を振る。
悩みがとんでもないって、どういう状況だよ……
「ロレッタさん」
あからさまにおかしな反応を見せるロレッタに、ジネットがゆっくりと歩み寄る。
心配する心が隠し切れていない、精一杯平常心を装った表情で。
「無理にとは言いませんが、もし何かがあって、しんどいなぁと感じられた時は、どうか、わたしたちがロレッタさんのそばにいることを思い出してくださいね」
そして、そっとロレッタの手に自身の手を重ねる。
指先だけを軽く曲げて、踏み込み過ぎず、でもしっかりとここにいるのだと主張するような強さで手を握る。
そんなジネットの言葉に、ロレッタは……
「……だ、大丈夫……です」
視線を逸らした。
俺たちには話せないことらしい。
ジネットの眉が寂しそうに歪む。
「……そうですか」
静かに言って、無理やり明るい声を出す。
「では、引き続きお仕事を頑張りましょうね」
「……はい、です」
しゃべりたくないなら聞かない。
そうして、いつも通りに過ごしましょうと、ジネットなりの気遣いを見せる。
まぁ、ロレッタも年頃の女の子だ。
人には話しにくい悩みくらい持っているのかもしれない。
下手に突き回すと拗らせてしまいかねないし……もうしばらくは静観しておくべきだろうか。
とはいえ、マグダが物凄く「気になる!」みたいな顔をしているから、ロレッタが気付かないところでじっくりと観察したりするのだろう。
情報収集は出来そうだし、ロレッタが何に悩んでいるのかくらいは探っておいてもいいだろう。それを知った上で対応を決めるのも一つの手だ。
「じゃあ、客が少ないうちに賄い食っちまえよ。マグダも一緒にいいぞ」
「……ふむ。ではマグダはカレーを食べようかと思う」
「マグダさん、それは私への当てつけか何かですか? 別に構いませんけども」
アッスントが苦笑を漏らす。
微かに和みかけた空気の中、ジネットの質問がロレッタに向かう。
「では、ロレッタさんは何が食べたいですか?」
「あのっ、あたしは……ま、またあとでいいです!」
……おかしい。
賄いは客足を見つつ、不定期な時間に取ることになっている。
取れるうちに取っておくのは、自分のためではなく、それ以外のメンバーのためにも必要なことだ。それを「あとでいい」とは……今までのロレッタなら、そんなことは言わなかった。
「あ、あの……ちょっと、一人で食べたい気分で…………あは、あはは」
そんな意図はないのだろうが、間接的に「一緒に食べたくない」と言われたマグダが耳をぺたりと寝かせる。
「……じゃあ、一人で食べてくる」
マグダが拗ねた。
分かりやすく拗ねて、構ってほしそうに尻尾を振って厨房へ向かう。
こんなにも分かりやすく構ってアピールをしているのに、ロレッタはそれに反応を見せない。「あぁ! そういうつもりじゃないです! 分かったです、一緒に食べるです! むしろ一緒に食べてくださいです!」……なんて反応を期待したのだが……
「じゃあ、その間あたしがホールを見ておくですから、店長さん、先に休んでいいですよ」
そんなことを言って、俺たちの席からさっさと離れていってしまった。
「何か、あったんでしょうか?」
あからさまにおかしいロレッタを心配して、ジネットが泣きそうな顔をしている。
そうだな……
かつてロレッタがこんな感じになっていたのって……弟妹たちの就職先がないと悩んでいた時と、悪質な地上げ屋に粘着されていた時か……
「借金でも抱えちまったんじゃないだろうな?」
「えっ!?」
「あ、いや。確証はない。ただのたとえ話だ」
「そう……ですか」
ほっと息を吐くも、ジネットの表情は冴えない。
借金は、つらいからな。
けれど、もしそうなら俺たちに話さない理由も頷ける。
「迷惑をかけたくないから」なんて、あいつの考えそうなことだ。
もしくは、俺たちの知らない誰かとても大切な人の借金を抱え込もうとしている……とか。
「どこかに思い人がおいでになって、その彼が多額の借金を抱えている……なんて可能性も考えられますね」
アッスントが、俺の考えていたのと似たような可能性を挙げる。
同じタイミングで同じようなことを考えていたらしい。
「もし、ご結婚を考えられているような仲であるならば、ご自身の力でなんとかしようと考えられるかもしれませんね」
「ロレッタさんに、そのような方が……?」
「いえいえ。これも一つのたとえです。確証はございません」
まったくだ。
ロレッタがどこの馬の骨とも知れん男にうつつを抜かすわけがないだろうが。
もしそんなヤツがいるなら、まず真っ先に俺のところに挨拶に来させなければいけない。俺はロレッタの兄代わりでもあるからな。保護者も同然なのだ、俺は。
「……アッスント。ロレッタの周辺を洗うのに適した連中に心当たりはないか?」
「あの、ヤシロさん……たとえば、ですよ? ロレッタさんに悪い虫が付いたと決まったわけではありませんので、そんな邪神のような顔はなさらずに……ね?」
いやいや、しかしだ。
ここ最近ロレッタはちょっと雰囲気が変わったのだ。
以前のようなやかましい元気娘から、ほんの少し影のあるお淑やかな女子のような雰囲気に。
…………恋か? 恋、なのか!?
「………………アッスント、武器屋って、どこにあるっけ?」
「ヤシロさん、落ち着きましょう! 大丈夫、ロレッタさんのことです、そのような相手がもし万が一にも、限りなく少ない可能性のなか存在していたとしたら、真っ先にヤシロさんへご報告に上がっているはずです! それがないということは、そのような相手はいないということです!」
もはや他人には任せておけない。
俺が直接ロレッタを見張って……と、視線を向けたまさにその時。
「……ぁ」
糸の切れた操り人形のように、ロレッタが床へと倒れ込んだ。
「ロレッタ!?」
椅子が倒れ騒がしい音を鳴らす。
俺とジネットが同時に駆け寄り、すぐあとにマグダが駆けつける。
抱き起こしたロレッタの顔は、真っ白だった。
これは、ちょっと様子を見ようなんて悠長なことは言っていられそうもないな。
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