「ヤシロ」
まどろむ意識の中で、俺を呼ぶ声が聞こえる。
とても懐かしい、落ち着く声だ。
「ヤシロ。そんなところで転寝していると、風邪を引きますよ」
まぶたを開けると、そこには見慣れた顔があった。
行き場を失った俺を引き取り、立派に育ててくれた伯父夫婦。
小さな工場を経営している手先が器用で博識な伯父と、家事全般が得意で特に料理が大好きな穏やかな性格の伯母。
俺の育ての親であり、俺が心から両親だと思える二人。
「おはよう。お父さん、お母さん」
「ごふぅっ! ごっほごほっ!」
「まぁ! あらあら!」
俺が二人を呼ぶと、お父さんは盛大に咽せ、お母さんは目をまん丸く見開いて慌てふためいていた。
……なんだよ?
「ど、どうしたのヤシロ? 急に、そんな……ねぇ」
「ごほっ、ごほっ……なんだ、アレか? 小遣いが欲しいのか?」
なんでだよ。
別にねだるために持ち上げてるんじゃねぇよ。
つまり、あれだ。
その……
実の両親だと思っているっていうか……それくらい、感謝しているっていうか。
「ヤシロ、あのね」
お母さんが、心配そうな目で俺の顔を覗き込んでくる。
「別に気にしなくてもいいのよ?」
「気にするなって……なにを?」
「ヤシロも男の子だから、『参考書を買う』って言って持っていったお金で『巨乳家庭教師みゆき、秘密の個人授業』っていう本を買ったって、母さん怒ってないからね」
「そんなこと気にしてないけど!?」
っていうか、それはある意味で参考書だしね!
そりゃあもう、いろいろと参考にさせていただきましたさぁ!
「ベッドの下の秘密ボックスと、本棚の裏の隠し扉のこと、誰にも言ったりしないから」
「めっちゃバラされてますけども!? ナウ!」
「ヤシロ……お前、まだそんなモン買ってんのか?」
憐れんだ目で見ないでくれます、お父様?
「お前も、もっとちゃんとすれば、彼女の一人や二人出来るだろうに」
「二人も出来ちゃマズいだろうが」
「そうね。でも、一人は紹介してほしいわね」
「…………追々な」
まったく、なんでこんな話になったんだか……
「ねぇ、ヤシロ」
お母さんが、俺の名を呼ぶ。
「無理はしなくていいのよ」
「そうだぞ。父さんも母さんも、お前が思うように生きてくれるのが、一番の望みなんだ」
「お父さんの言うとおりよ。呼び名だって、今まで通りでいいの」
「そうだぞ。なんと呼び合おうが、俺たちが家族であることに変わりはないんだからな」
……あぁ。そうだな。
その通りだ。
「息子に『親方』なんて呼ばれて、尊敬してもらえてるなんてのは、俺の誇りなんだ」
「私も。『女将さん』って呼ばれるの、好きだわ」
「親方……女将さん……」
「はははっ、やっぱりそっちの方が落ち着くなぁ」
「そうですね。うふふ」
親方も女将さんも、嬉しそうに笑っている。
この二人が、互いを「お父さん」「お母さん」と呼び合っているのは、俺を息子と認めてくれているからだ。
そっか。
この家では、俺が中心だったんだな。
俺、すげぇ大切にされてたんだなぁ。
「でも、……嬉しかったわ。『お母さん』って呼んでくれて」
「そうだな。でも心臓に悪いからたまにでいいな。誕生日とか」
「だったら私、結婚式の時に呼んでほしいわ」
「そりゃあいいが、その時はヤシロが連れてきたお嬢さんに『お義母様』って言われるんだぞ?」
「まぁ、どうしましょう。仲良くできるかしら?」
変なことで盛り上がっている。
俺を置き去りにして二人で騒ぐ。いつものことだ。
仲が良過ぎるんだよな、この夫婦は。……息子の前でいちゃつくなと言いたい。
「姑って、疎まれるのよねぇ。口うるさくしないようにしなきゃ」
「大丈夫だよ。そういうの、気にしないヤツだし」
たぶん、あいつなら進んで女将さんと仲良くしたがるだろう。
料理を教わったり、自分から提案したり。裁縫なんか、並んで楽しそうにやりそうだ。
「…………」
「…………」
急に静かになったと思ったら、親方と女将さんがじっとこちらを見ていた。
な、なんだよ?
「ヤシロ、もうお相手いるの?」
「ふぁっ!?」
「いる素振りだったよな、今のは?」
「そうね。どんな人なの? お母さんに教えてちょうだい」
「いやいやいや! いない! いないから! まだ全然そーゆーんじゃねぇし!」
「なんだ、ヤシロ、情けないぞ! 男ならどーんとぶつかって行け!」
「こっちにはこっちの都合があるんだよ!」
「で? どうなんだ?」
「……どうって?」
「お前のことだ。どうせおっぱいがどーんと大きい娘さんなんだろ?」
「その口溶接するぞ、オッサン」
「そうね。手伝うわ、ヤシロ」
「待て母さん! 冗談だから!」
女将さんの笑顔が般若のように変化し、親方が頭を抱えてテーブルの下へと避難する。
そんな騒がしい光景を見て、俺は腹を抱えて笑った。
笑って笑って、ふと寂しさが込み上げてきた。
「もっと一緒にいたいな……」
狭いダイニングで追いかけっこをしていた親方と女将さんが立ち止まり、優しい空気を纏って俺へと向き直る。
二人並んで。
穏やかな笑みを浮かべて。
「ダメよ、ヤシロ」
「男なら、自分のいるべき場所と、やるべきことを見誤るなよ。いるんだろう、お前を待っている人が」
待っている人……
あぁ。なんでかな。
割とたくさんいるんだよな。
ホント、なんでかよく分かんねぇんだけどさ。
「今度会える時は、ヤシロが好きなものを作ってあげるわ。何が食べたいか、考えておいてね」
女将さんが笑顔で言う。
「この次は、ヤマメが獲れるいい仕掛けを教えてやろう」
それは是非知りたい。
ヤマメは美味いからなぁ。
「またいつでも帰っておいで」
「頑張るのよ、ヤシロ」
二人は並んで、にっこり笑って、手を振っていた。
途中から気付いていたよ、夢だって。
それでも、会えて嬉しかった。
そっか……
また帰ってきていいんだ。
そんじゃまぁ、この次はもっといろいろ自慢できるように、頑張ってみようかな。いろいろと。
「親方。女将さん。……またな」
目の前がまばゆい光に包まれて、世界が白一色に塗りつぶされていく。
返事は聞こえなかったけど、大丈夫だ。親方と女将さんの言いたいことくらい、聞かなくたって分かる。
だから、平気だ。
意識が遠ざかる。
いや、徐々に意識がはっきりしていっているようだ。
覚醒が近いらしい。
「……さん」
陽だまりで居眠りをしているような、ぽかぽかと心地よい感覚。
あぁ、気持ちいいなぁ……
「ヤシロさん」
まどろむ意識の中で、俺を呼ぶ声が聞こえる。
耳に馴染んだ、落ち着く声だ。
「ヤシロさん。そんなところで転寝していると、風邪を引きますよ」
まぶたを開けると、そこには見慣れた顔があった。
この世界で俺に居場所を与えてくれた、太陽のような笑顔。
「おはよう、ジネット」
「おはようございます」
盛大に咽るなんてこともなく、ジネットは俺を迎え入れてくれる。
夢の世界から帰ってきても、お前は俺を待っていてくれるんだな。
「夢を見ていたよ」
「そうなんですか。楽しい夢でしたか?」
「あぁ。楽しかった」
にこりと笑って、「よかったですね」なんて言う。
まるで自分のことのように、楽しそうに。
「どんな夢だったか伺っても?」
「両親の夢だよ」
「まぁ。それはよかったですね」
特に詳しく話していないが、プロミスリングが切れた時にいろいろと口走っちまったから、なんとなく俺が両親に対してどのような思いを抱いているのかは察しているのだろう。
ジネットは多くを聞かず、こんなことを聞いてきた。
「たくさん甘えてきましたか?」
アホ。
夢の中の俺は今と同じ姿だったっつーの。
十七で親に甘えるかって。
……まぁ、ちょっと甘えたかもしれないけどな。
「両親に秘密が露呈する夢だったよ」
「それは大変ですね。どんな秘密が明るみに出たんですか?」
俺の顔を見て深刻な話ではないと察しているからだろう、冗談を言うような口調でジネットが話に乗ってくる。
だから、きちんと教えてやる。
「『巨乳家庭教師みゆき、秘密の個人授業』という参考書が見つかってな」
「な、なにを参考にしているんですか!? もう!」
赤い顔をして俺の頭をぽふぽふ叩く。
あ、寝癖を直してるな、こいつ。
気になってたけど、いきなり髪を撫でるのはためらわれるな~とか思いつつも、虎視眈々と狙っていたのだろう。
好きに撫でりゃいいのに、俺の頭くらいいくらでも。
まぁ、その前に一言欲しいけどな。
「直ったか、寝癖?」
「もう少しです。……ふふ。ヤシロさんは髪の毛も元気いっぱいですね」
髪の毛『も』?
…………いやいや、たぶん俺本人が元気いっぱいだと言いたいのだろう。
……いかんな。
つい今しがた『巨乳家庭教師みゆき、秘密の個人授業』の話をしていたせいで、少々卑猥な話かと勘繰ってしまった。
「ちなみに、祖父さんの部屋にいかがわしい書物とかはないのか?」
「ありませんよ」
「ベッドの下とか」
「ありません」
「本棚の裏とか」
「ありません」
「床下とかは!?」
「ヤシロさん、そんなところに隠していたんですか?」
うっ……、まぁ、若気の至りでな。
それでも、女将さんには見つかっちまうんだけどな……
「お母様は、気苦労が絶えなかったでしょうね」
「でもまぁ、迷惑をかけてやるのも親孝行さ」
そんな自分本位な解釈を述べると、ジネットの手が止まり、少しして「くすっ」っと笑われた。
「その気持ちは、少しだけ分かります。世話が焼けると思いながらも、それがちょっと嬉しかったりするんですよね」
「教会のガキどものことか?」
「だけ、ではないですけどね」
くすくすと笑って、俺の髪をふぁさっと撫でる。
……え、なに? 俺もその一人だとでも言いたいわけ?
いつも苦労かけてすまないねぇ、とでも言えばいいのか? ふん。
「そういえば、夢の中で飯を食い損ねたんだ」
「それは大変ですね。空腹は一番身近にある不幸です」
大袈裟な。
「ヤシロさん、何が食べたいですか? ヤシロさんが好きなものをなんでも作りますよ」
女将さんと似たようなことを言う。
あぁ、そうだな。
甘え損なった分は、ここで甘えさせてもらうか。
まだ少しまどろみが残っている。
夢現。
夢の残り香が消えるまでは、許容範囲としようじゃないか。
「それじゃ、俺の大好物を頼む」
「大好物ですか? 思い当たるものがいくつかあるのですが……」
腕を組んで頭をひねるジネットに、俺は今一番食いたいものを注文する。
「クズ野菜の炒め物を頼む」
「はい。すぐ作ってきますので、少しだけ待っていてくださいね」
初めて会ったあの日と同じように。
嬉しそうに厨房へと入っていく背中を見つめながら――
あぁ、やっぱりここは落ち着くなぁ。
――そんなことを思った。
あとがき
『異世界詐欺師のなんちゃって経営術-分割版π-』をご覧いただきありがとうございました。
今回で、限定SSもラストとなりました!
本編最終回の150話(+エピローグ)にあわせて限定SSも終了です。
そして、お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが
この限定SS
全、81本でございます!!
レッツ、パ~イ☆\(≧▽≦ )ノシ
そうです!
『分割版π』の『π』は、『81』の『ぱい』だったのです!
(ここにきてタイトル回収! 心憎いねっd(≧▽≦)b☆)
そして、
連載開始からここまでノンストップでやってまいりました毎日更新も本日が最後です。
これまで、毎日お付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
少しの間お休みしますが、
きっとまたすぐにお会いできます。
温かくなるころには、三章を始められるようもりもり頑張ります!
とりあえず、
『異世界詐欺師~』第一幕完結記念といたしまして、
明日、
『陽だまり亭』と『四十二区教会』の間取りを公開したいと思います!
(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
ヤシロたちが暮らす陽だまり亭や教会の構造を
「へ~、こんなんなんだ~」的な感じでお楽しみください。
なお、建築関連はド素人なので、「いや、これ建設不可能!」とかいうご意見は、そっと胸の内にしまうか、こっそり教えてくださいませ。
そして、明後日
3月1日からは、後日談の毎日更新が始まりますよっ!
……ん? 毎日更新終わってない?
いや、でもほら、
明日は間取りですし(≧▽≦;)
……ね?
ともあれ、
『異世界詐欺師のなんちゃって経営術-分割版π-』
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
皆様大好きっ!\(≧▽≦)/
宮地拓海
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