異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

追想編5 イメルダ -1-

公開日時: 2021年3月11日(木) 20:01
文字数:2,726

 落ち着きませんわ。

 

「お嬢様。お茶などいかがでしょうか?」

「結構ですわ」

「では、ケーキなどは……」

「それも必要ありませんわ」

 

 ワタクシを気遣って声をかけてくれる給仕に、少々きつく当たってしまい、すぐに自己嫌悪が襲ってきましたわ。

 ……まったく、何をしているのでしょう、ワタクシは。

 

「しばらくはそっとしておいてほしいんですの。……けれど、その気遣いには感謝いたしますわ。ありがとう」

「お嬢様……もったいないお言葉です」

 

 ワタクシがヤシロさんから学んだことは数多くありますけれど、中でもこの『感謝を言葉にする』というものはとても有意義な学習でしたわ。

 与えられて当然と思っていたことは、実は誰かの労力の上に成り立っているのだと教えられ、それを顧みた時にいかに自分が恵まれているのかを自覚しましたわ。

 

 言葉ではなく、心で、そう感じましたの。

 

 彼が……ヤシロさんがいつも、誰よりも走り回っている様を時に近くで、時に遠くから眺めて、それを知りましたわ。誰かのために何かを為す。それがいかに労力のいる大変なことか……

 それすら知らず、ただ与えられるだけの、感謝も知らなかった自分が、いかに愚かで矮小な存在であったかも。

 

 それからは、周りの者たちのその苦労を、一つ一つきちんと労うように心がけていますわ。

 そうするようになってから……不思議なもので、給仕たちのランクが一つ上がったように感じましたわ。気遣いのレベル、仕事の丁寧さ、何より、いつも笑みを湛える明るい雰囲気。

 ワタクシが変わることで、ワタクシの周りの者を変えられた。

 そんな気がして、とても満たされた気分になりましたの。

 

 それはまるで、ヤシロさんが周りの者を巻き込んで生み出す柔らかい空気のようで……とても心地いいんですの。

 

「不思議な人ですわね……本当に」

 

 目つきは悪く、姿勢は悪く、服装もだらしなく、口を開けばおっぱいの話か何かの不満。

 常日頃からやる気のないような態度を装って……その裏で、誰よりも活動している。

 

 彼を知らない者は、きっと彼を過小評価するのでしょうね。

 ワタクシも、最初はなんと失礼な男かと思いましたもの。

 あけすけで言葉遣いが悪く、無礼極まりない態度と物言い。

 こちらが一番突かれたくない場所をピンポイントで攻めてくるようないやらしい話法。

 

 敵に回せば、これほど厄介な人もいないでしょう。

 

 けれど、味方になれば……

 

「変わりましたわね、ワタクシの周りの何もかもが。もちろん……ワタクシも」

 

 言い寄る男は百とも二百とも言われたワタクシが、こんなことで落ち着きなく取り乱してしまうだなんて……

 

 ただ一人、ヤシロさんに忘れられてしまうかもしれない…………と、そう思うだけで。

 

「……イヤですわよ。ワタクシは、そんなの」

 

 風にでも当たろう……と、バルコニーへ出てみると……

 

「おー! 遊びに来たぞー!」

 

 何も変わらない、いつも通りの顔をして、ヤシロさんがこちらに手を振っていましたわ。

 庭に立ち、バルコニーを見上げ、にこにこと嬉しそうに。

 

 まったく……人の気も知らないで、暢気なものですわ。

 

「ヤシロさんをお通ししてくださいな!」

 

 部屋へ戻り、給仕にそう告げて、ワタクシは鏡の前へ腰を下ろしましたわ。

 彼に会うのですから、ブラシくらいは通しておかなければいけませんもの。

 

「寝間着を見られたような間柄ですのにね……ふふっ」

 

 心が忙しなく高鳴るのを感じ、思わず笑ってしまいましたわ。

 先ほどまでの不安はどこへやら……こんなにもうきうきとブラシを通して。ワタクシは、やはり変わってしまいましたわ。

 

 殿方を待たせるのは淑女の嗜み。

 ……ですのに、ワタクシの足はいつもより心持ち速く、忙しなく、床を蹴りますの。

 まるで、飼い主の帰りを待ち侘びていた忠犬のように……イヤですわ、はしたない。

 

 どこかで一度落ち着いて、唇に紅でも差すような余裕が欲しいところでしたのに……

 リビングへ向かうと、ちょうどいいタイミングで給仕がドアを開けてくれるので、ワタクシの歩調は一切緩まることなく、結局速足のまま、ヤシロさんの前に来てしまいましたわ。

 優秀過ぎるのも考えものかもしれませんわね。

 

「そんなに急がなくてもよかったのに」

「急いでいませんわ」

 

 リビングのソファに腰を掛けてワタクシを見上げるヤシロさん。

 せめてもの抵抗に余裕の笑みをもって言って差し上げますわ。

 

「いつも通りですわ」

「じゃあ、もうちょっと落ち着いた方がいいぞ。自分の家でくらい。な?」

 

 ……なんだか、心配されてしまいましたわ。

 ふ、普段はもっと優雅ですのよ?

 今日はたまたま…………あぁ、なぜ『いつも通り』などと言ってしまったんですの、ワタクシは……

 

「うぅ~…………わんっ」

「なんだよ、それ? ちょっと可愛いじゃねぇか」

 

 ふん。

 ささやかな抵抗ですわ。

 抗議行動を可愛いと言われたところで…………嬉しい、ですわね。

 イヌ人族でなくてよかったですわ。きっとワタクシにパウラさんのような尻尾が生えていたら、今頃はふりふりしてしまっているでしょう。

 相手に心の内をさらすなど、淑女としてあってはいけないことですもの。

 

「お前は、分かりやすい顔をしてるよな、ホント」

 

 ……おかしいですわ。

 なんだか、ことごとく思惑が外れていきますわ。

 

「それで、ご用件は? それとも、ワタクシの美しい顔を見たくなりましたのかしら?」

「喉渇いたからお茶を飲みに来たんだ」

 

 ……お茶。

 

「美しいワタクシの顔を見ながらお茶を飲みたくなりましたの?」

「あぁ、うん。そうそう。そんな感じ」

 

 なんと御座なりな……

 

「う~……わんっ」

「だから、なんなんだよ。それ」

 

 ……おかしいですわ。さっきはこれで可愛いと言ってくださったのに……

 

「まぁいいですわ。すぐにお茶を用意させますわね」

「あ、ちょっと待って」

 

 ワタクシが給仕を呼ぼうとするのを止めて、ヤシロさんは何やら思いついたような表情。何をするつもりなんですの?

 

「たまには、二人で作ってみないか?」

「二人で? …………何をですの?」

「お茶」

「お茶を?」

「あと、お茶請け」

「……ワタクシとヤシロさんの二人で、ですの?」

「おう。どうだ?」

 

 普段通り振る舞えと、そんなことを言われたような気がしますが……

 

「面白そうですわね」

 

 ヤシロさんの誘いを断るような愚は犯しませんわ。

 二人で作る。

 なんとも楽しげな響きではありませんこと?

 

「給仕長。全給仕を寮へ戻らせなさいまし。以降、許可が出るまでこの屋敷への立ち入りを禁じますわ!」

「いや……そこまで徹底して二人っきりでなくてもだな……」

「やるならとことんですわ!」

「……まぁ、いいけどよ」

 

 ふふふ……

 ワタクシが料理……考えたこともありませんでしたわ。

 けれど、才能溢れるワタクシのこと。おそらく苦労なく店長さんレベルの料理が出来ますでしょう。

 

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