ガタガタと、嵌め込まれたガラスが音を鳴らしながらドアが閉まる。
にっこりスマイルで手を振って、お見送り完了や。
ガチャリ。――施錠。
ドアに嵌め込まれた小さな窓も、カーテンを閉めて目隠ししたる。
完全密室。
ウチ以外誰もおらへん部屋。
独りぼっち。
一人きり。
今、ここでなら全裸になっても誰にも咎められへんし、見咎められへん。
今この瞬間から、この空間はウチの完全なる支配下や。
気持ち大股で店のカウンターへ戻り、ヒザに限界がきて脱力しながら椅子に腰かける。
カウンターに手をついてみたものの重力と脱力に抗えるはずもなく、そのままデコをぶつける勢いでカウンターに突っ伏す。
はぁ……
「んぁぁぁあああああっ、やってしもたぁぁあああああ!」
口から魂がぞるんぞるん抜け出ていくみたいや。
全身ぷるぷる震えとる。小型犬か、ウチは……
「名前、呼んでもたぁぁああ…………」
後半、よぅ普っ通ぅ~な顔してやり過ごせたもんやな。我ながら感服するわ、ホンマ。
内心、汗だらだら、心臓バクバク、【自主規制】【自主規制】やったっちゅうねん!
……おっと、【自主規制】はおっぱい魔人はんがおらな突っ込んでもらわれへんな。
一人でやってもアホみたいやわ、しょーもな。
「……とか。完全に依存しとるからぽろっと口からこぼれてまうんや……」
いつからなん?
なぁ、ウチ。いつからそうなったん?
「こうボケたら、こう突っ込んでくれるやろな~」なんて、いつからそれが当たり前やなんて思うようになってもぅたんな?
あの人やったら、ウチの期待に応えてくれる。
絶対にウチの期待を裏切らへんやなんて……
「どんだけ信頼しとんねん、っちゅう話やで、ホンマ……」
一人でおるのが普通やった。
誰とも会話せぇへん日が何日も続いとった。
それが今や……「そろそろ顔出すんちゃうかなぁ~」なんて、ドアの小窓から外を眺めたりしとんねんで? オモロ過ぎるやろ、ウチ。
「めっちゃよぅ知っとったなぁ……」
フェヌグリーク、コリアンダー、シャンバリーレ……知らん人が聞いたら呪文かな思うような名前ばっかりやのに、よぅもまぁスラスラと出てきたもんやな。
使い方も知っとったみたいやし……ホンマ、何者なん、自分?
「あそこまで香辛料に詳しい人間が、バオクリエアの生まれやないんやもんなぁ……かなわんわ」
香辛料と薬学くらいしか誇れるもんがないような街やのに。
面目丸潰れやで。
向こうは薬学だけやのぅて、料理にも建築にも精通しとるっちゅうのになぁ。
「ま、もっとも。技術では負けてへんけどな」
知識は豊富でも、それを薬にする技術はそこまでやない。
まだまだウチの力が必要なはずや。
せやから……
「いつでも頼りにしたってや」
待っとるさかいな。
……なんちゃって、や。
「……アカン。浮かれとる自分がめっちゃ気持ち悪い。さっぶぅ~!」
鳥肌の立った二の腕をさすりながら、席を立つ。
うん。幾分かヒザに力も戻ったな。これなら動けるやろ。
「大盤振る舞いしてしもたさかいな」
なんや、香辛料を使ぅてまた何かする言ぅてたさかいに「かまへんかまへん、持っていき」って在庫分全部あげてしもた。
せやから棚の中は空っぽや。
まぁ、まだ奥の倉庫にいくつか残ってるさかい売り切れってわけやないんやけど……
「なんや、嬉しいなぁ。空っぽになった棚見んの」
引っ越してきたばかりの頃は、こんなに仰山使いきれるんやろかって、思ったもんやけどな。
在庫引っ張り出してきても、半分も埋まらへんやろなぁ。
ふふふ、あっちゅう間に人気商品やんか……ふふふ。
また買い込んで、棚びっしりにせなアカンなぁ~なんて、先の予定で胸がときめくわ。
そしたらまた、見に来てくれはるやろか。
今度は、めっちゃマイナーな香辛料仕入れといたろ。「え、これ知らんの?」って言うたろ。くふふ。
悔しがるやろか?
それとも、詳しぃ教えてくれ~言うて、目ぇきらきらさせはるやろか?
「お前、本当に物知りだな』って、褒めてくれはるやろか?
『この花知っとる? 薬膳にもなるんやけど、バオクリエアでは意中の人にあげると恋が叶う~言うて、乙女らぁに人気の花なんやで』
『それを俺にくれるのか?』
『あ、アホ言いな! 誰があげるかいな。見せただけや』
『じゃあ奪い取るかな』
『ほへ……ぃ?』
『俺は、与えられるのを待つだけの大人しい男じゃないんでな』
『ちょ、ちょう待ちぃや、自分……冗談やめぇって……』
『「自分」ってのが誰のことなのか分かんねぇから、待ってやれねぇな』
『そ、そんなん言うて……分かるやん! 自分や、自分!』
『分かんねぇよ、……誰のことだ?』
『あぁ、もう! ヤシロやヤシロ! ヤシロのことや!』
ってぇ!
「こんなん考えとるから本人の前でぽろっと言うてまうんやないかぁ!」
おっぱい魔人や、おっぱい魔人!
もう、おらんところでもおっぱい魔人で通させてもらうわ!
本人の前で普段の妄想ポロリ事件なんか、もう二度と御免やさかいな!
「おっぱい魔人はんの前でうっかりポロリしてしもた……略しておっぱいポロリ事件や」
お!
これえぇな。今度おっぱい魔人はんの前で言うたろ。
「悪意ある略し方すんな!」言うて突っ込んでくるやろうなぁ。忘れんようにメモ取っとこ。
アカン。
めっちゃしょーもないことしてるな、ウチ。
めっちゃしょーもないことやのに……めっちゃ楽しい。
アカンなぁ。
浮かれとんなぁ。
ちょ~っとしゃべっただけやのになぁ。
アホやで、ウチ。
乙女かっちゅうねん。そんな年齢でもないやろに。
「今日はお話しできた、わ~い」って? 子供か。
そんな乙女チックなん、十五歳で卒業やで。
浮かれ過ぎ、浮かれ過ぎ…………ウチ、浮かれ過ぎて「介護してもらおかな」とか言うてもたぁ!?
えっ!?
何言うたん、ウチ!?
なに口走ったん!?
介護て!
いやまぁ、介護やさかいに、辛うじて一線は越えてへんかもしれんけど……
そんなん、「ずっと一緒におって」って言うてるようなもんやん!
「浮かれ過ぎやろ、じぶぅぅぅうん!?」
いや、自分(YOU)やのぅて自分(ME)やけども!
……アカン。なんや、今さらめっちゃ恥ずかしなってきてもぅた。
さっき手伝うとか言うてもぅたけど、アレなかったことに出来へんやろか?
無理やろなぁ……
「せめて、今日おっぱい魔人はんがお風呂覗こうとして濡れた床で滑って後頭部を強打して死なない程度に脳にダメージ入ってここでの記憶だけキレイさっぱりなくなりますように……」
神様に祈ってみた。
ささやかでも可能性が上がればいいなという思いを込めて。
手ぇ組んで、割と真剣に祈りを捧げとったら――
ふわっ。
――って、頬を撫でられた。
「きょへぇぇぇえい!?」
素っ頓狂な悲鳴が出てまうほど驚いた。
まるで気配を感じひんかったのに、ほっぺた撫でられた!
こんなんすんの、一人しかおらへんやん!
「ま、まだおったんかいな!?」
ばっと振り返ると……誰もおらへん。
……え、なに? 怖っ。
……と、よく見ると、拳大の綿ボコリがふわふわと宙を舞っとった。
…………なんや。ホコリかいな。
「自分、どっから出てきたんや? ホコリちゃんのお家以外、キレイに掃除しとるはずやで? どっから紛れ込んできたんや?」
問い質しても、綿ボコリは返事も寄越さず、憎らしくふわふわと舞い踊っとる。
なんとも小憎たらしい。
こっちが気付かん間にこっそり背後に近付いてくる気配のなさ。
わざとかってタイミングでウチを驚かせるタイミング。
こっちの質問をはぐらかすそののらりくらり感。
なんや、このホコリ、アノ人物そっくりやな。
「……自分の名前、『ホシロ』に決定やね」
その名前がお似合いや。
小憎らしい感じがよぅ出て似合とるわ。
「えぇか、ホシロ。ウチはホコリちゃんの親友やけども、ホコリやったら誰でもえぇわけやないねん。あんまり馴れ馴れしぃせんとってや」
ウチが心を許すホコリはホコリちゃんだけなんや。
お店の片隅で、独りぼっちで、「誰かに見つけてほしいなぁ」って寂しそうな顔をしとった……ウチにそっくりなホコリちゃん。
特別なんは彼女だけや。
「せやから、ウチのホコリちゃんにちょっかいかけたらアカンで、ホシロ」
ウチがしゃべれば、その息に乗ってふわふわと、まるでウチをからかうように宙を舞うホシロ。
「聞いとるんか、ホシロ? ホコリちゃんは引っ込み思案な大人しい娘やねん。手ぇ出したら承知せぇへんからな」
意に返さないホシロ。
なんてふてぶてしい……
「……どうせ、他所によろしゅうやっとる女が仰山おるんやろ? えぇか、ホシロ。これだけはよぅ覚えときや? そんな生き方しとったらヤシロみたいになるさかいな!」
言うたった!
……言うてもた!?
「んぁぁあ! またぽろっと『ヤシロ』言うてもうてるやん!? これ! こーゆーのが回り回っておっぱいポロリ事件を引き起こすねんてぇぇええ!」
なんと危険な……
アカン。ウチ、この街の空気に充てられて、ちょっと残念な娘になってもうてる。
重大インシデント引き起こす前に、対策とっとこ。
「ホシロ。たった今からあんたの名前は『ホッパイ魔神』や」
ポロリせんように、改名させたったわ。
これでもう、おっぱいポロリ事件は起こらへんやろう。
――なんてことを考えとったら、急にドアがガチャっと開いて、おっぱい魔人はんがひょっこり顔を出した。
「あ、そうだレジーナ。言い忘れてたことがあるんだけど」
「おっぱいポロリ事件リターンズか!?」
「いや、最初の事件を知らねぇよ」
なんやの!?
なんでそんな絶妙なタイミングで出てくんの!?
っていうか……
「ウチ、鍵かけたはずやんな!?」
「ん? そうだっけ?」
な~にが、「そうだっけ?」や!
白々しい!
怖いわぁ、この御人。
「そんで、なんやのんな?」
「ちょっと作りたいものがあるんで、協力してくれねぇか?」
「卑猥なっ!」
「卑猥じゃないものを作るんだよ! 陽だまり亭で!」
「あ、アカンわ。ウチが出かけたらほこりちゃんが寂しがるさかい」
「じゃあ、ほこりも連れてこい!」
「なんやの!? ほこりちゃんにまで手ぇ出す気ぃか!?」
「出すか!」
話を聞けば、数種類の香辛料を調合して、新しい料理を作るとか。
なんやのん、それ? めっちゃ興味深いやん。
調合かぁ……ほんなら、ウチの技術が役に立つかもしれへんなぁ。
「しゃあないなぁ。特別に協力したげるわ」
「そっか、助かるよ」
無邪気ににこっと笑う顔は、年齢よりも若く見えて……小癪にも可愛らしく見える。
ホンマ、ズルっこい御人やわ。
「ほならちょっと待っててんか。準備するさかいに」
「おう」
くるりと背を向けて、さっさと店の外に出ていくおっぱい魔神はん。
女の支度を無粋に眺めへんあたり、紳士やね。
「ほなら、ほこりちゃん。ちょ~っとだけ出かけてくるさかい、お留守番よろしくな」
浮かれた気分で見たからやろか、ほこりちゃんがちょっと寂しそうに見えた。
一人で残していくのは可哀想やろか……あ、せや!
「ちょうどえぇ話し相手がおったわ」
ウチを驚かすことに心血注いどんのんかっちゅう憎らしいあの御人によぅ似とる、ホッパイ魔神。
こいつをほこりちゃんの隣にそっと並べ置く。
はは。心なしか、ほこりちゃんが嬉しそうに見えるわ。
ウチとよぅ似たほこりちゃん。
せやったら、きっと話合うと思うで。
ただまぁ――
「そう易々と惚れたらあかんで。その男、強敵やさかい、気ぃ付けや」
そんな忠告をして、「よぅ言うわ」と苦笑い。
あんま待たせるんも悪いさかい、ウチはさっさと準備をして、店の外へと踏み出していった。
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