会場が沸いている。
「「「「かっ、かわえぇ~!」」」」
ぶら下がったパンにぴょこぴょこ飛びつく幼いガキどもの姿に、観客をはじめ、そこらの大人が手当たり次第に骨抜きにされている。
「あむー! ……………………やわらかぁ~い!」
「おぉい、こら! 口開けるな! 落ちるだろうが!」
新しいパンの柔らかさに驚いて、パンを咥えていた口を開ける教会のガキその1。
ヤギのような耳をぴるぴる揺らして新しいパンの香りと味を楽しんでいる。
「ゴールしてから食え。次のレースもあるから」
「はーい!」
俺に手を振って駆けていくヤギ少女。
ゴールの方へと目をやると、すでにパンをゲットしてゴールしたガキどもが群がって大はしゃぎをしていた。
「こんなパンなら毎日食べてもいい!」
「これパンなの? あの硬いのと同じ食べ物?」
「おいしーねー!」
「あまぁ~! イチゴジャムさいきょう~!」
「いいや! あんこだよあんこ! これ、めっちゃうまい!」
「めろーんぱーん!」
もう、順位ごとに並ぶとかそんなもんは全部忘れて騒ぎまくっている。
そんなガキどもの反応を見て、いまだパンを食ったことのない大人たちが唾を飲み込んでいる。
「そ、そんなに美味いのか?」と。
「これまでのパンは、子供たちにはあまり人気がありませんでしかたらね」
「まぁ、あの鈍器みたいなパンじゃなぁ……」
「主食なので。食卓に並ぶので。親に言われて。と、それらの理由で仕方なく食べる物でしかなかったはずです」
「そのガキどもが、あんなに嬉しそうに食ってると」
「はい。それも、おかわりを欲しそうに、自ら率先して食べたいと言っているのですから、期待は膨れ上がっているでしょうね」
次のレースのパンを金具に固定しながらナタリアと意見を交換する。
コースが二つありそれぞれスタートとゴールの位置が逆なので、順番を待っている大人どもの隣でゴールしたガキどもがパンを食べているわけだ。
これは堪らんだろう。
「満を持しての、出走やー!」
「お、ハム摩呂が走るみたいだな」
「そのようですね」
と言い、小首をかしげるナタリア。
どうした?
「どうやら、この距離では聞こえなかったようですね。では僭越ながら私ナタリア・オーウェンが代役を務めさせていただきます。こほん……『……はむまろ?』」
「いや、求めてないから。毎回やらなきゃいけないヤツじゃないから」
なに「してやったり」みたいな顔してんの?
「我が騎士ー! お勧めのパンはどれなのじゃー!?」
スタート地点からリベカの声が飛んでくる。
大きく手を振ってこれでもかとアピールしている。
お勧めったってなぁ……
「どれも美味いぞー!」
「一番美味しいのはどれかと聞いておるのじゃー!」
だから、一番とか無理なんだっつの。
好みもあるし。
「フルーツとクッキーとプリンと今川焼き、どれが好きだー!?」
「プリンなのじゃ!」
「んじゃ、クリームパンにしとけ」
どっちもカスタードだしな。
大きく外すことはないだろう。
ちなみに、『フルーツ → ジャムパン』『クッキー → メロンパン』『今川焼き → アンパン』を勧めるつもりだった。
さほど大外れしない誘導ではないかと思う。
「リベカさんはいつプリンを?」
「今朝だ。ジネットが食わせてた」
「なるほど。自軍への勧誘のついでにですね」
「ま、そんな感じだな」
そんなもんなくてもよかったんだが、ジネットが「是非頂いてもらいましょう」って聞かなくてなぁ。
「美味しいものを食べている時、人は幸せな気持ちになれます。幸せな時は他人にも優しくなれるものですから」――だそうだ。
「おにーちゃーん!」
今度はハム摩呂が両手を振って俺を呼ぶ。
「ケーキが、好きやー!」
いや、聞いてねぇよ。
つか、選択肢に入ってなかっただろうが。生クリーム入りのパンなんか準備してねぇよ。
「お前はメロンパンでも食ってろ」
「うんー! …………はむまろ?」
「聞こえてたのかよ、さっきの」
にしても、タイミング遅過ぎるけどな。
「ヤシロ様はパンのソムリエのようですね」
「そんなんじゃねぇよ」
……一番足が速いハム摩呂には、一番取りにくいメロンパンで時間をロスしてもらいたいだけだ。
アンパンやジャムパンに比べて、メロンパンは表面が硬く、クッキー生地がボロボロはがれやすい。故に噛みつきにくいのだ。
アンパンなどにあるパンの柔軟性が低いからな。
ただまぁ、その程度のハンデでハム摩呂を抑えられるとは思ってないけどな。
なんにしても規格外過ぎるんだよ、あそこの弟妹は。
長女は普通なのに。
「長女は普通なのにー!」
「なんです、急に!? 普通言わないでです!」
『どこの長女』とは言っていないのにしっかりと反応するあたり、自覚が有り余っているのだろう。それでこそロレッタだ。
そんなこんなをやっていると、給仕が腕を高々と上げた。
レースが始まる。
「位置について、よぉーい!」
――ッカーン!
鐘の音と共に走り出すチビッ子ども。
「ハム摩呂たぁぁあああん!」
それと同時に暴走を始めるルシア。
「行使する、実力を、私は」
「どふっ!」
と同時にルシアのみぞおちにチョップをめり込ませるギルベルタ。
……暴れんなよ、お前ら。
「はゎわぁ! ひらりひらりとかわされて……まさに、パンの世界の酔拳やー!」
食らいつこうとするたびに逃げていくメロンパンを酔拳に喩えたのか…………って、この世界にないよな、酔拳!? 映画やってないよね!? 実在するの!?
あぁ、そうか。またお前の仕業か『強制翻訳魔法』。
「ハム摩呂たん! 今助太刀に向かうっ!」
「ルール違反、それは。願う、私は、ルシア様の自重を」
「なぜだ!? ひらひらと逃げ回るメロンパンとやらを私が反対側から狙い、二人が向かい合って追い込んでいくのだ! そうすればパンは逃げ場を失い見事捕まえることが出来る!」
「大惨事になる、二人揃ってキャッチに失敗した場合は」
「大惨事とはなんだ? どうなるというのだ!?」
「してほしい、想像を。二人が同じタイミングでパンに向かい、万が一パンが逃げたら……ぶつかってしまう、口と口が」
「せっ、せせせせ、接吻か!?」
「それは大惨事思う、私は」
「うきゅ~! 恥ずかしい!」
顔を両手で覆って身悶えるルシア。
「へぇ。あいつ自覚あったんだ」
「いえ。今の『恥ずかしい』はご自身の性癖や痴態を晒していることを指しているわけではないようです」
「えっ、アレ以上に恥ずかしいことなんてあるの!?」
「羞恥ポイントは人それぞれです。たとえば私の場合、真っ裸は恥ずかしくないのですが、真っ裸に靴下のみは恥ずかしいと感じます」
「真っ裸も恥ずかしいって感じて、給仕長として! 女子として!」
なんなの? 今日は自分の痴態や性癖を晒し合う大会だっけ?
「あむー! なのじゃ!」
逃げ回るパンに苦戦するガキどもの中で、リベカが一番にパンをキャッチする。
ウサ耳をぴんと立てて、そのままゴールへ向かって突き進む……かと思いきや。
「うまー! ウチの酵母、うまーなのじゃ!」
「いいから早くゴールしろよ! ポイントかかってんだよ!」
立ち止まるリベカに、ゴールへ向かえと急かす。
急がないと、純粋な駆けっこ対決になったらハム摩呂には絶対勝てないんだからな!
苦戦している今のうちにさっさとゴールを……と思っていた矢先。
「あむー! 見事な、キャッチやー!」
ハム摩呂がメロンパンに食らいついた。
マズい! リベカ、急げ!
「うまー! 味覚と食感の、文明開化やー!」
甚く感激した様子のハム摩呂がその場でメロンパンをむさぼり始めた。
……あぁ、うん。ハム摩呂もそーゆータイプだよな、うん。
結局、パンの美味さに夢中になってしまったハム摩呂とリベカは他のガキどもにあっさり抜かれてビリとブービーでゴールした。最下位じゃなかっただけ、まぁ、マシか。
「我が騎士よ! わし、もう一回くらい出てやってもいいのじゃ!」
「一人一回だよ!」
「おかわりじゃ!」
「あとにしろ!」
パン食い競争が終わったら、余ったパンが配布される。
一応、ここにいる全員に行き渡るくらいは用意したのだが……足りなそうだな。
「おっかっわりっ! おっかっわりっじゃ!」
リベカが極端なわけではなく、他のガキどももおかわりを期待してそわそわしている。
どこかから『参加選手にはパンが振る舞われる』という情報が漏れ出したらしい。
……まぁ、漏洩場所は想像できるけどな。
さっきからずっと「パン、パン~、食べ放題~♪」と鼻歌を歌っているシスターがあそこにいるからな。
つか、食べ放題じゃねぇよ。
すんげぇ大量に焼いてきたけど、数には限りがあるんだよ。
「食べ放題、楽しみなのじゃ!」
ん~……これは、何か対策を立てないといかんかもしれんな。
「また食べたい」と思うより「食べ放題じゃないの?」なんてがっかり感が先に来てしまいそうだ。
それはマズい。
とはいえ、パンを追加するわけにはいかないし……ん~…………
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