「おい、我が騎士よ。わしにそなたの名前を教えるのじゃ。特別に覚えておいてやるのじゃ」
上機嫌で上座へと座り、踏ん反り返って俺を指さす麹職人のリベカ(九歳、見た目は五歳)。
姫、はしたないですよと、これでもかと広げられた膝頭を叩いてやろうかと思ったが、まぁ、いいだろう。こういうお子様は調子に乗せておいた方が都合がいい。
「その美しいお耳に我が名を語るご無礼、お許しください、姫。私の名は、オオバヤシロと申します」
「むはははっ。なんじゃ、そのしゃべり方は? 気持ちが悪いのじゃ、似合わんのじゃ、普通にしゃべるのじゃ、むはっ」
お前の好みに合わせてやろうって大人の配慮を……これだからガキは。
……それとエステラ。俺から距離を取って「うわぁ~……」みたいな表情で全身をさするのをやめろ。鳥肌立ててんじゃねぇよ。
もういいよ。普通で行くよ。
「んじゃあ、こんな口調だが許してくれな?」
「うむ。人の性格は顔に出るのじゃ。そなたにはその方がよぅ似合っておるのじゃ。汚い言葉遣いじゃが特別に許してやるのじゃ」
「へいへい、ありがとよ、マイプリンセス」
「んふふーっ! くすぐったいのじゃ」
首の周りをぽりぽり掻き毟り、ソファの上でごろごろ転げ回るリベカ。
こういう扱いは受けたことがないようで、盛大に浮かれている。
「……本当に、恐ろしい男だよね、ヤシロは」
「まったくです……女性とあらば、老いも若きも地位も人格も関係なく、すぐさま懐に潜り込んでしまう…………私、もし過去に戻る術を発見したら、当時の自分に『無駄なことはやめてすぐさま白旗を揚げろ』と助言しに行きますよ」
向こうでエステラとアッスントがくだらない話をしている。
自分の交渉術の拙さを棚に上げて、俺を非難するんじゃねぇよ。俺がスタンダードで、お前らの努力が足りないんだっつの。
だいたいな、家でも車でも、大きな買い物をするのは子を持つ親で、そういうヤツの弱点は大抵子供なのだ。子供に好かれるのは、大きな商談をモノにするための基本中の基本といってもいい。
営業利益を上げたければ、ガキに好かれろ。
子供好きなんて風に見られれば、第三者の評価も上がり好印象を持たれるという副産物までついてくる。
詐欺師の基本だぜ。
ま、あいつらは詐欺師じゃねぇから知らないんだろうけどな。
「ヤシロ様は、子供好きですからね」
ナタリアが勘違いをしている。
確かに、教会のガキ共やハムっ子たちには妙に懐かれているが、俺が子供好きなんじゃない。あいつらが勝手に俺を好きになっているだけだ。
ガキには理論的な会話が通じないから、詐欺師の天敵とも言われる。
あくまで、交渉相手を罠に嵌めるための小道具扱いだ。
しかしながら、その交渉相手がガキであるなら、こちらもそれに合わせる必要がある。
好きではないが、得意とはしている。
それだけの話だ。
「……性的な意味で」
「それにははっきりNOと言わせてもらうぞ!」
訂正。
ナタリアは勘違いなんかしていない。
あれは、悪意だ。
「おい、我が騎士よ」
リベカが人差し指をくいくいと上に曲げて俺を呼ぶ。
「ワシの隣に座ることを許可してやるのじゃ。ここへ座るのじゃ」
そして、ソファをぽんぽんと叩く。
自分の隣へ座れというジェスチャーだ。
「んにぃ~」っと、ガキがたまに見せる、嬉しくてたまらないというような表情を見せている。
親戚の兄ちゃんが遊びに来た時のガキとか、あぁいう顔をよくしている。
要するに、「オモチャが手に入った」って時の顔だな。
「じゃ、失礼して」
俺の座る場所が変わったことで、席順が変更される。
リベカの隣に俺。
俺の向かいにエステラが座り、リベカの向かいにはアッスントが座っている。
ナタリアは、エステラの後ろに静かに佇んでいる。
そして、気が付くとドアのそばにバーサが立っていた。
リベカの右腕であり、この麹工場全体の運営を取り仕切る凄腕の婆さん。
領主のところの給仕長みたいなもんなのかもしれないな。気配の消し方がそっくりだ。
各々が席に着いてしばらくすると、工場の職員だと思しき女たちが数人、部屋へと入ってくる。そして、俺たちの前に出されていたお茶を、新しい物へと取り替え、速やかに捌けていった。
「まぁ、商談といっても、大筋のところはそこのアッスントと話は済んでおるのじゃ。今回は、豆板醤の味を見てもらうのと、それ以外の面白い話を聞かせてもらうのが本題じゃ。そう堅くならずに気楽にしておくのじゃ」
言いながら、くるっと指を回すような合図をバーサに送る。
ぺこりと深いお辞儀をして、バーサが部屋を出ていく。おそらく、豆板醤を取りに行ったのだろう。
「のぅ、我が騎士よ」
俺の太ももにヒジを載せ、リベカが顔を覗き込んでくる。
思春期前のガキだからスキンシップが過度なのだろう。
つか、こいつ。名前を覚えたとかいって、一向に名前で呼ばねぇのな。
「オオバヤシロという名を、わしは以前から知っておったのじゃ。おぬしが、豆板醤を生み出した男じゃな?」
「生み出したわけじゃない。俺の故郷にあった調味料の作り方を教えただけだ」
「生みの親」なんて思われたら、それこそ新しい調味料を生み出せとかいう無茶ぶりをされて、研究なんぞに駆り出されかねない。
俺は、知ってることは教えられるが、知らないものには一切手出しできない。ちょっと知識があるだけのただの素人だ。その立ち位置を変えるつもりは一切ない。
「ふむ。謙虚なんじゃな。顔に似合わず」
くつくつと肩を揺すって笑うリベカ。
こういう一言多いところも、実にガキっぽい。
「それで、『それ以外の面白い話』ってのはなんのことだ?」
「豆板醤のような、新しくて画期的でわくわくするような斬新な調味料を教えてほしいのじゃ」
「知らん」
そうそう新しい調味料なんか思いつくか。
豆板醤の活用法なら、いくつか当てがあるんだが。
「なんじゃ~、そうかぁ……ちょっとは期待しておったんじゃがのぅ……」
「お力になれず、申し訳ありません」
残念そうな顔をするリベカに、なぜかアッスントが頭を下げる。
……ってことは、お前が「ヤシロさんなら、もっと他に面白い調味料を知っているかもしれませんよ」とか吹き込んだのか?
「あ、いえ。私は何も申しておりませんよ」
俺の表情を読んだかのように、アッスントがすかさず弁明の言葉を挟んでくる。
「ただ、ヤシロさんにはそれなりに期待を寄せていたもので……残念なお気持ちがよく分かるんです」
……なんだその遠回しな「がっかりした」宣言は。
勝手に期待して、勝手に失望してんじゃねぇっての。
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