「ヤシロさん」
「おぅ、ジネット」
運動場へジネットがやって来た。
物凄い満面の笑みで。
「あのですね。子供たちが陽だまり亭にやって来て、すっごく自慢してきたんです」
俺にもらった木箱のハンドクリームを、これでもかとジネットに自慢しに来たらしい。
大勢で。
それがたまらなく可愛かったようで、ジネットの表情筋がふにゃんふにゃんに緩んでいる。
「『いいなぁ~、ちょうだい』って言ったら『だめ~、宝物にするの~』って。ヤシロさんに早く伝えたくてここまで来てしまいました」
可愛さが限界突破したらしい。
こんな行動的になるんだ、ジネット。
「店は?」
「今はロレッタさんと三女さんが見てくださっています。普段はケーキ目当てのお客さんが見える時間ですけれど、しばらくはこちらに来られるでしょうから、今日は混み合わないと思います」
なるほどな。
混むとすれば、シフォンケーキを堪能しつくした明日か明後日以降ってところか。
いい読みだ。俺も賛成だな。
「オルキオさん、こんにちは」
「やぁ。元気そうで何より。シラハはことあるごとに君の手料理を食べたいと漏らしているよ」
「いつでもいらしてくださいね。お忙しいから、そういうわけにもいかないでしょうけど」
「まぁ、忙しいは忙しいんだけどね……」
陽だまり亭へ行けないのは別の理由がありそうだ。
「そういえば、今シラハさんはどちらに?」
「三十区の宿だよ。ウチの若い衆に守らせているんだけれど……それが却って息苦しそうでね」
常に誰かがそばにいて監視されて生きる。
それは、シラハが長い間強いられてきた生き方だ。
今は、三十区の内部が安定していないという状況もあるので仕方がないとはいえ、息が詰まるだろうな。
「私が出歩くと危険が付き纏うからね。それに、移動距離も長くなる。シラハは体が丈夫な方じゃないから」
運動させないと、すぐにリバウンドしちまうぞ。
「私も、少々神経質になってしまっているところはあるかもしれないね。統括裁判所の決定が下されるまでは、なんとかすれば私を排除することは可能だからね」
ウィシャート派だった貴族や商売人たちがオルキオを拒絶する場合、手っ取り早い方法は暗殺だ。
それを警戒すればこそ、シラハと別行動を取ることが増えているのだろう。
「まぁ、決定した後も、しばらくは気が抜けないだろうけれどね」
おそらく、ウィシャートと懇意にしていた連中は、現状をまだ受け入れられてはいないだろう。
ウィシャートが戻ってさえくれば、元通りの、自分たちに都合のいい状況になるに違いないと。
それは別に、デイグレア・ウィシャートである必要はない。
『ウィシャート』でさえあればいいのだ。
統括裁判所がどのような決定を下すか分からない現在、下手に動くことはしないだろう。
ここで暴れれば「やはりウィシャートは危険だ」と思われる可能性が高い。
だが、ウィシャート排除が確定すれば、ワンチャンを狙って暴動が起こる可能性がある。
オルキオとシラハの気が休まらないのは、その辺が大きいんだろうな。
「では、館が出来るまでウチで過ごしませんか?」
ぽんっと手を打って、ジネットが提案をする。
「そうすれば、シラハさんはいつでも陽だまり亭の料理が食べられますし、オルキオさんも少しは安心してお仕事に臨めるのではありませんか?」
「それは……しかし…………」
オルキオが俺を見る。
それは、陽だまり亭を危険に巻き込むことになる。
……が、まぁ、大丈夫だろう。
「今はナタリアがいるからな。それに、ウチにはマグダがいる」
「……索敵から敵の排除、アフターサービスとして『悪いのは向こうの方』という情報操作までなんでもござれ」
うん。実に頼もしい。
朝、マグダが自慢して歩いただけで四十二区はハンドクリームの話題で持ちきりだもんな。
情報操作はお手の物だ。
「オルキオとシラハさんが来るなら、ボクたちはジネットちゃんとマグダの部屋にお世話になろうかな?」
「あ、そうですね……エステラさんたちには少し窮屈な思いをさせてしまいますが」
現在、エステラとナタリアが客間を使い、客間を使っていたカンパニュラはジネットの部屋で寝起きしている。
そこにオルキオとシラハが来ると、さすがに狭いか。
オマケに、今現在はノーマとウクリネスが寝ている。
ま、あいつらは今日中に帰るだろうけど。
「じゃあ、お店の前のあの土地をしばらく貸してもらえないッスかね?」
ウーマロがそんな提案を寄越す。
陽だまり亭の前の空き地。
祖父さんがジネットのためにと購入していた土地だ。
「あそこに、仮の住まいを建てるッスよ。トイレやキッチンを付けないなら、割とすぐに準備できると思うッス」
「いや、さすがにそれは申し訳ないよ……」
ちらりと、オルキオがジネットを見る。
もしかしたら、オルキオはあの土地のことを祖父さんから聞いていたのかもしれない。
祖父さんなら、ジジイ連中に話していたかもな。
「いつかジネットが大きくなって結婚したら~」なんて、酒の肴にはもってこいの話題じゃないか。
「それはいいですね。オルキオさんのためになるなら、お祖父さんもきっと喜んでくれますよ」
「いや、しかし……」
「大丈夫ッス。建てるのは簡易的な仮の住まいッスから、用が済めば取り壊して元の綺麗な土地に戻せるッス」
ウーマロに言われ、俺たちがあの土地の持つ意味を理解していると分かったのだろう。
オルキオは「ほぅ……」っとため息を漏らした。
「しかし、そんな無茶をして、君たちは平気なのかい?」
「オイラたちはもう慣れっこッスよ。三日いただければ、快適な仮住まいをご用意してみせるッス!」
「よかったな、オルキオ。明日には出来るって」
「聞いてたッスか、ヤシロさん!?」
「けど、今もシラハは三十区の宿で一人、息が詰まるような生活を強いられてよ……」
「うぐぐ……明日の夕方まで待ってほしいッス!」
工期が半分になったな。
さすがウーマロだ。
「大丈夫だ。突貫で崩壊しても、オルキオなら笑って許してくれる」
「そんな惨事、オイラが許さないッスよ!? ……あぁ、っと、こうしちゃいられないッス! 大至急建材と大工を手配してくるッス!」
ウーマロが全速力で駆けていく。
組合に逆らったら仕事がなくなるなんて、都市伝説だったんだなぁ。
むしろ、制約がなくなって活き活きして見えるぞ。
「さて、代金の工面に奔走しないとね」
「それなら、エステラが融資してくれるってよ」
「えっ!? 言ってないけど!?」
「その代わり、三十区の貴族向けお土産物屋に一枚噛ませてくれるって」
「あはは。ヤシロ君は本当にお金の流れを操るのが上手だね」
今すぐに金の用意が出来ないオルキオだが、将来的に大きな利益が約束されている事業を興せる好立地のアドバンテージは揺るぎない。
なら、そこへ割り込める権利を担保に金を借りればいい。オルキオとエステラなら、あとになって権利で揉めることもないだろう。
「君が一人で領主の権限を乱用するようなことは見過ごせないけどね」
「乱用なんかしてないだろ? 有効活用だよ」
「はぁ……。じゃあ、ジネットちゃん。お店の前が少し騒がしくなると思うけど、ごめんね」
「いえ。それでシラハさんが安らげるのでしたら。オルキオさんも、お疲れの時はいつでもコーヒーを飲みにいらしてくださいね」
「あぁ。これからは毎日の楽しみが一つ増えるね」
はたして、ウーマロはどんな突貫工事をするつもりなのか。
さすがに一日半でそこまですごい家は建たないだろう。
掘っ立て小屋か、精々平屋のワンルームが関の山だ。
雨風が凌げれば十分ってレベルで、それ以外の時間は陽だまり亭で寛いでくれって感じになるだろう。
まぁ、フロアでも二階でも、風呂でもトイレでも、なんでも好きに使えばいい。
きっとジネットが許可するだろうからな。
……と、思ってたのに。
翌日。
陽だまり亭の前には、それはそれは立派な豪邸が建っていた。
ウーマロ。お前……どんだけだよ。
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