異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

266話 クールミントとホットバス -1-

公開日時: 2021年5月24日(月) 20:01
文字数:3,997

「ヤシロさん、代わります。ゆっくり休んでください」

 

 そんなジネットの申し出にありがたく甘えて、俺は厨房を出る。

 ……暑い。終始竈がフル活動している厨房は地獄だ。

 ジネット、よくこんな場所にこもっていられるな……

 

 フロアに出ると、客足は落ち着いていた。

 おそらく、もうこれ以上は増えないし、こいつらが満足したら今日は終わりだろう。

 そんな感じがする。

 そして、ジネットもそう思ったからこそ、フロアを離れたのだろう。

 じゃあ、ゆっくりとさせてもらうかな。

 

「ヤシロ」

 

 俺を見つけて、エステラがいつもの席から手を振ってくる。

 隣を見れば、ルシアが難しい顔をしてナタリアと話し込んでいた。ミリィは、ルシアの隣を強要されたのか、大きな目をぱちぱちさせながらルシアとナタリアの話を聞いている。

 

 マグダとロレッタは餃子を十分堪能したのだろう、通常業務に戻っていた。

 カンタルチカから派遣されたビールの屋台には年長の妹がいて、オッサンたちをうまくさばいている。

 

「デリアたちは?」

 

 エステラの隣、いつもの俺の席へ座りながら現在の状況を問う。

 

「今日はもう帰るって、さっき出て行ったよ」

 

 まぁ、朝から畑の雪山を崩して退かしてと働き詰めだったんだ。さすがに疲れたのだろう。

 

「デリアは、明日の朝から豪雪期の間に増えた魚を間引くためにもギルドを挙げての大規模漁をするんだって」

「疲れ知らずか……」

「ノーマは明日から始まる大衆浴場の準備のために張り切って帰っていったよ」

「疲れろよ、少しは!」

「ウーマロ、ベッコ、イメルダもてかてかした顔で帰っていったよ」

「楽しみ過ぎるのか!?」

 

 みんな、明日の仕事が楽しみ過ぎてさっさと帰ったらしい。

 風呂に入っていこうかな~とか、そういうのはないらしい。

 さっぱりしているというか、仕事中毒だな、あれは。

 

「ウーマロも楽しそうだったか?」

「へ? うん。すっごい張り切ってた」

「そうか」

 

 トルベック工務店の悪評のことは気に掛かる。

 だが、ウーマロが自分から話を振ってこない限り、こちらからは働きかけることは出来ない。

 あいつにもプライドとか矜持みたいなもんがあるだろうからな。

 

「なんか困ってんだろ? 任せとけよ、助けてやるぜ」――なんて、あいつらに対しては失礼だ。

 ただ……

 

 手遅れになる前になんとかカタを付けてほしいもんだけどな。

 口元を手で覆い、アゴの骨ごと強く掴む。

 しっかり押さえておかないと、ぽろっと余計な言葉が零れていきそうだ。

 

 悩みがあるなら、さっさと俺に話せよ。

 

 なんて、まるで善人みたいな言葉が。

 まだ、親方たちのことを引き摺っているらしい。

 打てたはずの手が打てなかった後悔を。

 

「ヤシロ」

 

 少し難しい顔をしてしまったのだろう。エステラが眉を曲げて柔らかい笑みを浮かべる。

 さも、「君を心配しているよ」みたいな雰囲気で。

 

「不安になる気持ちは分かるけどさ、そんな顔をしてちゃダメだよ」

 

 気が付けば、口を押さえる手に随分と力がこもっていた。

 何やってんだ、俺は。

 

「エステラも聞いたのか――」

 

 すいっと、視線をルシアに向ける。

 俺の視線を追って、エステラもそちらを見る。

 

「――あの話」

 

 ルシアが持ち込んだ、三十五区の大工から聞いたというトルベック工務店の悪評。

 領主同士の情報共有は、俺より先に行われていると思うが。

 

「うん。聞いたよ」

 

 俺の予想通り、エステラが首肯する。

 やっぱ、聞いてたか。

 

「素晴らしいことだよ」

 

 ん?

 素晴らしい?

 

「君の、そしてボクたちみんなの不安が、四十二区に誕生した新しい技術で解消するんだから」

「え?」

 

 新しい技術?

 初耳だぞ。

 ウーマロたちを救う革新的な技術があるというのか?

 

 驚き顔の俺を見て、エステラが嬉しそうに笑み崩れる。

 おのれが先んじている優越感からか、それを俺に教えてやるという立場にいる万能感からか。これ見よがしなまでのドヤ顔だ。

 

「詳しく聞かせてくれるか」

「もちろん……いいとも」

 

 すっと、エステラが身を寄せてくる。

 思わず身を引くと、その距離を詰めるようにさらにぐぐっと体を近付けてくる。

 四人掛けのテーブルの隣同士だ。

 ただでさえそれほど離れているわけじゃない。

 そんな距離でこうまで体を寄せられては……鼻先が触れ合いそうだ。

 

「エステラ」

「……しっ」

 

 しゃべろうとする俺の唇の前に人差し指を立てて、発言を抑止するエステラ。

 唇に指が触れそうで、そのすぐ向こうにエステラがいて、赤い綺麗な瞳がじっと俺を見つめていて……

 

「……ヤシロ」

 

 小さな囁きと共に、エステラの唇が近付いてくる。

 俺のヒザに左手を突き、二の腕に右手を添えて、ぐっと背を伸ばしてエステラが近付いてくる。

 

 キスでも、するかのように。

 

 そして――

 

 

「はぁ~」

 

 

 鼻に、思いっきり息を吹きかけられた。

 

「何してんのお前!?」

「どう? 臭くないでしょ!?」

「そんなん、嗅いでる余裕なかったわ!」

「なんでさ!?」

 

 めっちゃドキドキしたからですけど!?

 ぜってぇ口外しないけど!

 

「じゃあ、もう一回ね。いい? はぁ~!」

「いや、臭くないって言われても、鼻先で『はぁ~』されるとイラッてするな」

「ぅわっぷ! ちょっと、ヤシロ、しゃべらないでってば! 息クサイ!」

「この至近距離で心を抉りにきてんじゃねぇよ!」

 

 鼻を摘まんで遠ざかっていくエステラ。

 はっは~ん、さっきの「しっ」ってのは、臭いからだな? やかましいわ!

 

「今ここにいるみんな、息クサイだろうが! ニンニクたっぷり、ニラわっさり餃子を食ったんだから!」

「ところがね、ボクは臭くないんだよ。ほら『はぁ~』ね? 『はぁ~』」

 

 はぁはぁと、執拗に俺の鼻に息を吹きかけてくるエステラ。

 確かに、エステラの口からはニンニクなどの悪臭はしなかった。

 それどころか、むしろ爽やかな……ミント?

 

「ぁの、ね、てんとうむしさん。これ、どうぞ」

 

 ミリィが俺に可愛らしい包装紙の飴を差し出してくる。

 

「これは?」

「クールミントキャンディだょ」

 

 クールミントキャンディ!?

 え、そんなもの作ったの!?

 

「ちょっと、刺激的な味だけど、ぉ口のにおぃが、誤魔化せるの」

 

 聞けば、生花ギルドの大きいお姉さん方が、焼肉を食べた翌日の口臭をなんとかしたいと一念発起して、努力と根性で発明したのだそうだ。

 あぁ……焼肉の後も臭くなるからなぁ、口臭。

『口臭(こうしゅう)』と書いて『口臭(くちクサ)』と読みたくなるくらいに。

 

「それで、エステラがあのドヤ顔か……」

「この大発明のおかげで、ボクたちレディの尊厳が一つ守られることになったんだ。誇らしいじゃないか」

 

 レディ、ねぇ……

 

「男にすり寄って、はぁはぁするヤツのどこがレディだ」

「ちょっ!? ひょ、表現に悪意があるよ!」

「いいえ、エステラ様。客観的に見ておりましたが……太ももさわさわ、二の腕さすさす、はぁはぁ……あぁ、はぁはぁ……と、されていましたよ」

「そんなことしてないよ!?」

「いや、していたぞ、エステラよ」

「ルシアさんまで!?」

「ぅんっと、ね……えすてらさん、ちょっと、近かった、かも、ね?」

「ミリィだけは違うって言ってくれると思ってたのに……っ!」

 

 両手で顔を覆い隠し、椅子の上で丸くなるエステラ。

 あらわになっている耳が真っ赤だ。髪の色よりも赤い。

 だからお前は迂闊なんだよ。自分の行いが相手にどう見えるかくらい、常に考えて行動しろっての。

 

「で、俺が不安に思ってるのは明日の口臭じゃねぇよ」

「へ……違うのかい?」

 

 そんなもんで、あそこまで深刻に悩むか。

 

「ウーマロ件だよ」

「ウーマロの…………」

 

 眉根を寄せ、深刻な表情でエステラが言う。

 

「病気は、もう……気の毒だけれど」

「それは分かってるし、完治なんか望んでねぇよ!」

 

 どーでもいいんだ、あいつの病気は!

 はぁああんマグダたん病も、女子の顔を見られない病も、ヤツが一生付き合っていけばいいと思っている。

 

 そうじゃなくて……

 

 他にも客がいる。

 マグダやロレッタは働いている。

 不確定な状態でミリィの耳に入れる必要はない。

 

 なので、こっそりとエステラにだけ伝える。

 

「トルベック工務店の悪評について、だよ」

「えっ、何それ!?」

「聞いてないのかよ!?」

 

 情報共有しとけよ、領主ども!

 

「じゃあ、今ルシアたちはなんの話をしてたんだ!?」

「クールミントキャンディの輸入と、三十五区工場での生産に関してだ」

 

 あのミーティング、ミリィがオマケなんじゃなくて、ナタリアがオマケだった!?

 あぁ、流通に関する話をしていたのか。

 

「ルシア。エステラにも話しておいてやってくれないか?」

「うむ。折を見て話すつもりだったのだが、素晴らしいミリィたんが素晴らしい発明品を持っていたのでな。そちらに夢中になってしまったのだ」

 

 欲望に素直な領主どもめ!

 

 ……さっきのアイコンタクト、俺はルシアを見ていたのだが、エステラはミリィを見ていたんだろうな。

 で、「(トルベック工務店の)あの話聞いたのか?」との問いに「(ミリィの新しいキャンディの話なら)聞いたよ」って答えたのか。

 

 くぅ、目と目で通じ合うって、難しい!

 

「餃子食べ放題、完売で~す!」

「……我々は、餃子に打ち勝った」

 

 大皿が空になり、ロレッタとマグダが終了宣言を行う。

 客たちから拍手が巻き起こり、盛り上がりが最高潮に達する。

 乗りやすい連中だ。

 

 じゃあ、今ジネットは何をしているんだ?

 

 客どもは今手元にある餃子を食べれば帰っていくだろう。

 俺たちの仕事ももうすぐ終わりだ。

 

「ミリィ、このキャンディもう一つもらえるか?」

「ぅん。たくさんあるから」

 

 ミリィにクールミントキャンディを二つもらい、俺は席を立つ。

 エステラがルシアと話をしている間に、ジネットに報告しておこう。完売を。

 

 で、ついでにこのキャンディを届けてやろう。

 

 一足先にクールミントキャンディを口へ放り込み、懐かしいミントの刺激に顔をしかめて、ころころと舌の上で転がした。

 ミントの爽やかな香りが鼻を通り抜けていって、ニンニク臭さがなくなっていく。

 

 

 うん、これはいいな。

 口臭は、やっぱりちょっと気になるからな。

 

 

 

 

 

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