「どの辺に停泊させる~?」
「じゃあ、そこの岩肌にお願いするッス」
マーシャに引かれ、俺たちを乗せた小舟は洞窟の中へと入ってきていた。
中は相当広く、これならガレオン船でも余裕で入ってこられそうだ。
……大工、張り切り過ぎだな。
「ここら辺は洞窟採掘のための足場にしてるんッス」
俺たちが降り立った場所は、幅が20メートルはありそうな広い道になっており、ここを毎日大工が行ったり来たりしているらしい。
昼飯時の今は誰もいない。
……というか、騒ぎを聞いて全員が避難したのだろう。
「毎日ここを、荷車を曳いて行き来してるッスよ」
「レールでも曳けばいいだろうに」
「トロッコッスね。それも考えたんッスけど、人手がいっぱいいたんで、もう人海戦術でいっちゃうッスーって」
削り出した岩を洞窟の外へ運び出すのは重労働だが、手伝いの大工が次から次へと追加される状況に、レールを敷く工事の時間を省いたらしい。
レールを敷くとなると、安全確認も含めて余分に工期がかかるしな。
トルベック工務店とカワヤ工務店だけだったら間違いなく敷いていたんだろうが、今は人手がある。
バテないうちに交代させて、うまく回っているらしい。
「ヤシロく~ん! 私、一度戻って船をここまで持ってくるね~」
言って、マーシャが洞窟の奥へと泳いでいった。
港はほぼ完成しているとはいえ、まだ工事中だ。
マーシャの船を港に停泊させると邪魔になる。
ということで、マーシャは自分の船をこの洞窟の向こう側に停泊させて泳いで四十二区に来ているらしい。
その船には船員が乗っていて、マーシャが四十二区で遊んでいる間は、船の警護もかねて船の上で生活をしているらしい。
……上司の趣味に付き合わされる船員たち、可哀想くね?
「前に一度話したッスけど、結構気楽にやってるみたいッスよ。交代で酒を飲めるし、船で釣りを楽しんだり、宴会したりして満喫してるらしいッス」
「ウーマロが話したってことは、船員は男なのか?」
「男女混合ッスね」
「男女混合で船上で釣りに宴会!? けしからん!」
「まぁ、恋愛事情もいろいろあるみたいッスよ」
「どこにいても、自分の人生を楽しめるヤツは勝者だゼ。ママがそう言ってただゼ」
ギルド長に付き合わされて船上に放置されても、それを存分に楽しめと。
そりゃあ楽しいだろうよ! 船の上なんてクローズドサークルだ。密室だ。
男女が密室で数日過ごせば恋の花咲く時もある!
時間が経てばその花が実を結ぶことだって……
「沈め、船ー!」
「落ち着きたまえよ、ヤシロ。洞窟に反響してうるさいから」
ぐゎんぐゎんと反響する声が俺の怨嗟を増幅させて洞窟を抜けていく。
沈めばいいのだ、リア充号など!
「それより、マーシャ一人で行かせて平気なのか? 一応、ここって外の森の隣だろ? 海にも魔獣はいるって聞いたんだが……」
いつだったか、三十五区から出ている船が海の魔獣に襲われて大変だったなんて話を聞いた気がする。
「あ、それなら大丈夫だと思うッスよ」
俺の不安を、ウーマロがなんということもない風に否定する。
「洞窟の工事を始めた当初はここにも魔獣が紛れ込んできてたみたいッスけど、その度にマーシャさんや他の人魚たちが撃退してくれてたッスから。たぶん、この海域は危険だと悟ってもう入り込んでこないだろうって、マーシャさんが言ってたッス」
「え、撃退って……マーシャがか?」
「そうッスよ。マーシャさん、海の中だとめっちゃ強いんッス」
それは意外だ。
「ボクも見たことがあるよ。前に海へ出た時に、大きな魔獣をマーシャが一人で撃退したことがあるんだ」
「マーシャがか?」
「うん。全力で泳げる広さがあれば無敵だって、マーシャ自身が言ってた」
そうなのか。
浸かるしか出来ない小さな水槽の中ではとても非力に見えるのに。
「オレもママに言われてるだゼ。『人魚と戦う時は海に引きずり込まれないように気を付けろ』って」
さすが、というか。
かつての大戦争時代に人間が敵わないと早々に手を引いた相手の一角なだけはあるな。
人狼や人龍に肩を並べる種族だ。
強かったんだなぁ、実は。
「あ、あそこの天井に大きな穴があいてるッスよね?」
ウーマロが指さしたのは、数十メートルはある高い洞窟の天井。
そこに大きな穴、というかクレーターが出来ていた。
貫通はしていないが、かなり深く抉れている。
「あれ、マーシャさんが立てた水柱に削られてあいたんッス」
「何やってんの!?」
洞窟壊すなよ!?
崩落したらシャレにならんし、貫通しようもんなら何を言われるか……
「ホント、すげぇ力を持ってるんだな、人魚は」
「ッスね。オイラはその時、諸事情により背を向けていて決定的瞬間は見逃したんッスけど」
「遠くから見るくらいは、いい加減慣れろよ」
背を向けてんじゃねぇよ。
マーシャが戦ったってことは、魔獣がいたんだろ?
目を逸らしてんじゃねぇよ、危ねぇな。
「とりあえず、オレらはこのまま行けるところまで歩いてみるだゼ」
「ッスね。あの大工たちがカエルを見たって言ってた場所は、ここよりもうちょっと先らしいッスから」
エステラを気にして、ウーマロが一人で大工たちから詳細を聞き出してくれていた。
しかし……カエルを見ると呪いをもらうだなんて、そんなことが信じられてるとはな。
だとしたら、あれだけ大量のカエルに取り囲まれた俺はとっくの昔に発症して鬼籍に入ってるっつーの。
「港もすごかったけど、この洞窟もすごいね。四十二区のみんなは、こんなの見たことがないだろうからきっと驚くよ。ニューロードとは違う雰囲気だよね。海もあるし。完成したら、全住民を招待したいよ。『これが海だよ』って」
平気な顔をしているが、やっぱりエステラは気にしているっぽいな。
いつもよりも多弁だ。
無理してはしゃいで、嫌な気分を楽しい気分で上書きしようと躍起になっているように見える。
だが、そうして意識しているうちは、その嫌な気分を忘れることは出来ずずっと引きずることになる。
……ったく。しゃーねーな。
「海漁ギルドに言ってさ、この洞窟を抜けて大海へ出て、ぐる~っと回遊して戻ってくるクルージングでも企画してみたらどうだ?」
初めて見る海に期待を膨らませて、おそらく初体験であろう船に乗り込んで、薄暗い洞窟の中をわくわくしながら航行して、そして洞窟を抜けるとわっと開けるきらめく海が視界いっぱいに広がっている。
そんな感動を少々堪能した後は船上で軽く海の幸を使った食事を食べて、ゆったりと回遊して洞窟へ戻り、初めての船旅の終わりを名残惜しみつつ港へ到着。
今日は素晴らしい日だったねと、家族や恋人、友人同士で語り合いながら慣れ親しんだ四十二区へ帰っていく。
「そんなプランがあれば、ここ最近小銭を稼いできている四十二区の連中なら飛びつくんじゃないか? 港の工事で寒々しくなった領主の懐も少しは温まると思うぞ」
「ヤシロ……」
身振り手振りを加えて素晴らしい船旅のプランをプレゼンすると、エステラは最初ぽか~んとした顔をさらし、そしてリンゴが色づくように笑った。
「それは素晴らしい案だね。是非検討させてもらうよ」
そんなことを言って、口から出てきた言葉とは少々趣の異なる顔つきで感謝を述べてきた。
「最近はとみに懐が寂しかったからね、助かるよ。……ありがとね」
おちゃらけた口調ながらも、瞳が少し泣きそうだ。
だが空気を読んで素直な礼は寄越さない。
俺とお前は、それくらいでちょうどいい。
なんにせよ、お前はいつでも笑っていればいいのだ。
なにせ、他区にもその名が轟く『微笑みの領主』なんだからな。
だから、もっと笑ってろ。
「お前の胸元がスッカスカで寂しいのはもっと以前からだろ?」
「懐だよ、ボクが寂しいのは!」
「いいえ、エステラ様。胸元もこの上なく寂しく見受けられますが」
「見受けないでくれるかな!?」
「胸が小さいからって気にすることないだゼ!」
「君の悪意なき無邪気な発言が他人の心を抉ることがあるってこと、自覚しておいた方がいいよ、アルヴァロ!」
ウィットに富んだジョークで場を温めてやろうと思ったらぷんすか怒り出した。
微笑みの領主としての自覚が足りないんじゃないだろうか。
「……まったく、もう。ヤシロは」
そして、また俺だけが怒られる。
誰か、この理不尽に対して問題定義をしてくれる者は現れないものだろうか。
「……あれ?」
そんな話をしながら歩いていると、ウーマロが小さいながらも、妙に気になる声を出した。
戸惑いと驚き、そして不信感が混じった疑問形の声。
何か異変を感じた時の声だ。
「どうした?」
「え? あ、いや。オイラが地図を見間違えただけみたいッス」
やははと、笑って誤魔化すウーマロ。
だが、プロの大工たちがこぞって認めるウーマロが地図を見間違えたりするだろうか?
まして、こいつは洞窟内部を熟知していると言っていた。
「俺はお前のその直感を信じる。何に違和感を覚えたのか言ってくれ」
「ヤシロさん……」
その小さな違和感を見過ごすことで、後々とんでもないことになりそうな予感がした。
だから、情報は少しでも欲しい。
「……オイラのこと、そこまで…………うぅっ! オイラ、感激ッス!」
「違和感を覚えたことを言えって言ってんだよ!」
えぇい、泣くな!
両手を若干広げて寄ってこようとするな!
胸は貸さないからな!?
俺は胸を借りる専門なんだよ! 巨乳美女限定でな!
「えっと、……まぁ、普通に考えてあり得ない話なんッスけど」
そんな前置きをして、ウーマロが感じたその妙な感覚について教えてくれた。
「この辺の岩、確か削ったような気がしたんッスよね」
「岩?」
「はいッス。昨日の工事で、こっからあっちの方まで削って道を作った気がしてたんッス」
そう言ってウーマロが指さしたのは、海底から天井まで続く岩壁だった。
壁だ。行き止まりというか、もう壁だ。
俺たちは洞窟の右側の壁沿いを進んでいる。
左手には海。右手には壁。
その壁がせり出してきて俺たちの進む道を塞いでいる。
この目の前の壁を削って、ここまで通ってきた道と同じように幅の広い道を作っていくのだろうなと、今はその途中なのだろうなと思えるような、突如現れたむき出しの岩壁。
ウーマロがいなきゃ「あ、ここまで工事が進んでるんだな」と、そんな感想を持って終わっていたところだ。
だが、ウーマロはここからもう少し先まで工事は進んでいたはずだと言う。
俺はその直感を信じられると思ったし、それを証明するかのようにもう一つの声がこの場所で起こった不可解な出来事を告げてきた。
「あれぇ? 昨日まで通れたのに、船が通れなくなってるよ~?」
壁の向こうに大きな船影が見え、そこからマーシャの声が響いてきた。
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