異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

328話 悪魔の花 -3-

公開日時: 2022年1月17日(月) 20:01
文字数:4,558

 俯き、涙が止まるのを待つレジーナ。

 その隣で、俺とエステラは今聞いた話を自分たちなりにまとめる。

 

 いろいろビックリな情報のうえに、若干小難しい話だったからな。

 

「要するに、細菌に抗う力が奪われちゃうわけだね?」

「おまけに、伝達系をやられちゃ、歩行はおろか立つことも難しくなるだろうな」

「お父様がまさにそうだったよ。体を起こすのも大変そうだった」

 

 湿地帯の大病を煩った者たちは、その多くが肺炎のような症状を発症していた。

 気管支は空気が通る場所だから細菌にやられやすいんだよなぁ。

 俺も、ちょっと乾燥するだけで扁桃腺が腫れたりするし。免疫力が落ちれば肺まで細菌が潜り込んじまうのは想像に難くない。

 

「ということは、この沼の泥は関係ないってこと?」

「もしかしたら、バラ撒かれた胞子だの細菌だのが付着していて、それが悪臭を放っていたのかもな」

「虫は?」

「たまたまかもな」

 

 で、細菌に触れた虫に刺された者が二次感染した。そんな可能性は容易に考えられる。

 

「……せやけど、念のために、この泥、調べてみるわな……妙な変異、しとったら、困るさかい」

 

 鼻をぐすぐす言わせてしゃべるレジーナは珍しく、とても儚げに見える。

 なんとなく保護欲だの庇護欲みたいなもんが刺激される。

 

「でも、なんで子供には感染しなかったんだろう? それもたまたまなのかな?」

「あぁ、それはたぶん……」

 

 ずびぃ~っと、洟を啜りレジーナが顔を上げる。

 目が真っ赤だ。

 

「細胞の年齢に関係しとるんや」

「さい、ぼう?」

 

 エステラがアホ丸出しな顔で小首を傾げる。

 が、俺はビックリして目を丸くしている。

 

「バオクリエアでは細胞についてまで研究が進んでるのか?」

「やっぱ、自分も知っとったか」

 

 薬学が進んでいる国だとは思っていたが、細胞の研究までしていたとは。

 電子顕微鏡なんかないだろうに、どうやって研究してんだかな。

 遠心分離機とかもあるのか?

 

「細胞っちゅうんは、人間や他の生物を構成するめぇ~~~~っちゃ小さいもんでな、目に見えへんくらい小さい細胞の集合体が、ウチら人間であり生物やねん」

「え? 目に見えない小さいモノの集合体? ……え?」

「まぁ、分からへんかっても別にえぇねんけどな。その細胞っちゅうんがどんどんどんどん分裂して増えていくねん」

「え、自分が増えるってこと?」

「せや。細胞が増えるから、生き物は成長していくねん。細胞は分裂を繰り返し成長し、古い細胞に代わり新しい細胞が生まれてくる。これを死ぬまで繰り返すんや」

「分裂……成長…………」

 

 エステラの視線が、自身のなだらかな胸元に注がれる。

 

「細胞の怠慢だな」

「頑張って、ボクの細胞! 分裂だって! 君たちなら出来るって、ボクはそう信じているよ!」

「いや、細胞には遺伝子っちゅうもんがあって……自分、分かって言ぅてるやろ?」

 

 レジーナがじとっとした目で俺を見る。

 いやほら、希望って人を強くするじゃん? 希望くらいは持たせてやった方がいいかなぁ~って。

 

「それで!? 細胞分裂を促す薬はいつ出来るの!?」

「出来るかいな!? そんな薬使ぅたら、寿命一気になくなってまうで!」

「えっ、死ぬの!?」

「細胞がもうこれ以上分裂できへんって状態になったら人間は死んでまうんや」

「そんな……………………え、じゃあボク長生きするの?」

 

 胸の細胞が分裂をサボってるからな。

 ぷぷぷ……中途半端に知識を与えたヤツの発想って面白っ。

 

「あの顔見てみ? あれが正解や」

「ヤ~シ~ロォ~!」

「待て待て、俺は何も言ってないだろう」

 

 般若のような顔で迫りくるエステラを牽制しつつ、レジーナに続きを促す。

 早くっ、話題を逸らして! 早くっ!

 

「ほんで、分裂する度に減っていく組織が細胞にはあるんやけどな」

 

 人間の細胞には、遺伝子情報を詰め込んだ染色体DNAというモノがあり、その染色体DNAの両端に『テロメア』というモノが存在する。

 このテロメアは細胞分裂の度に徐々に短くなり、これ以上短くなれないというところまで来ると細胞は分裂できなくなる。

 これが老化のメカニズムだ。

 

「その組織には、特定の細菌を寄せつけへん特殊な信号を発する器官があるねん」

「えっ、なにそれ!? それは聞いたことないぞ!」

 

 テロメアが細胞を寄せつけないなんて話は聞いたことがない。

 こっちの世界特有の現象か?

 それとも、俺が思ってるものとレジーナが言ってるものは別なのか?

 

「その信号は成長が進むに連れて弱くなっていって、大体十六歳前後で完全に消失してまうんや」

「つまり、大人だけが感染したのはその『信号』っていうのが出ていなかったからなんだね」

「ウチの仮説ではな」

 

 おぉう……ここに来て、まさかの置いてけぼりだ。

 細菌とか細胞とか、そういうのはこっちの世界の誰よりも詳しいと思っていたのに……

 もしかして、異世界人である俺にはその『信号』とかいうのがない可能性も?

 あ、どっちにしろ十六歳でなくなるなら一緒か。

 

 ……しかし、なんか負けた気分だな。

 

「レジーナ。モスキート音って知ってるか?」

「何を対抗心燃やしてるのか知らないけど、大人しく話を聞いときなよ」

 

 だってさぁ、なんか悔しいじゃん!

 こっちだってまだまだ隠し玉持ってますから!

 お前らが知らないあっと驚くような知識、まだまだ脳に刻み込まれてますから!

 

「ジャーキング現象って知ってるか?」

「変な体勢で寝とったら『ビクッ!』ってなるアレやろ?」

「えっ!? アレってそんな名前付いてるの!?」

 

 くっそ、知ってやがったか!

 で、相変わらず優秀だな『強制翻訳魔法』! よくもまぁジャーキング現象なんてもんをさらっと翻訳できたこと!

 絶対誰も使わないような言葉まで登録されてんじゃねぇの、もしかして。

 

「とにかく、ボクは今三つのことを理解したよ」

 

 エステラが手を叩いて俺たちの注意を引き、胸を張って言う。

 

「一つ目は、湿地帯の大病は呪いではなかった。完全に証明されたね」

「せやね。……なんであの花がこんな場所に咲いてたんかは謎やけどな」

 

 そう、それが一番の問題だ。

 誰かが持ち込まない限り、バオクリエアで生み出された細菌兵器がオールブルームに存在するはずがない。

 

「……怪しいのは」

 

 視線が自然と崖の上へ向かう。

 

「まぁ、それは調査しないとなんとも言えないね」

「せやね。王族を狙ってきた賊を返り討ちにして、湿地帯に亡骸を捨てたらたまたま――っちゅうことも考えられるしな」

 

 そんな可能性もあるのか。

 

「はっきり言ぅとくで。バオクリエアは、オールブルームを手に入れる気満々やで。この肥沃な大地と、街全体を守る精霊神はんの慈悲を喉から手が出るほど欲しがっとる」

 

 確かに、こんなに住みやすい土地はそうそうないよな。

 年がら年中食物が実り、言葉も文字もすべて翻訳される。

 力と野望を持つ者なら、何はなくとも狙いを付ける場所だろう。

 

「持ち込むのはこんな小さな種だけでえぇんやから、防ぐのは困難やで」

「それって、王族に進言しておくべきことかな?」

「いや……まだやめといた方がえぇと思うわ」

「そうですね。私もレジーナさんの意見に賛成です」

 

 ナタリアが、自然と会話に参加してくる。

 

「賊が持ち込み、事故でここに咲いてしまったのだとすれば、王族に報告することで対策が立てられるでしょうが――」

 

 そして、視線を崖の上に向ける。

 

「そうではない場合、先手を取られればこちらが王位転覆を目論んでいると濡れ衣を着せられかねません」

 

 テメェで持ち込んでおきながら、それを他者になすりつける。

 貴族の得意技だ。

 特に、エステラのように後ろ盾の弱い者を陥れるなんて朝飯前だろう。

 なにせこっちは王族へのアポイントだって取るのに一苦労するのだ。

 

「こちらには、バオクリエア出身のレジーナさんがいますし、細菌兵器が発見されたのも四十二区の領土内です」

「せやね……ウチが領主はんに頼まれて毒薬作ってたって言われたら、反論するのは難しいやろうね。貴族が相手やったら、真実なんかなんの意味もあらへんしな」

 

 もしこれが『どこかの誰か』の手によって四十二区にもたらされたものだとすれば、その『どこかの誰か』は湿地帯の大病の原因を知っていたことになる。

 だが現状、王族に「四十二区が王位転覆を企てている」という話は持ち込まれていない。

 特に監視されている様子もない。

 

 その点を考えても、『どこかの誰か』は意図して細菌をバラ撒いたのではなく、なんらかの事情があって意図せず細菌がバラ撒かれたのではないかと考えられる。

 

 その結果、湿地帯の大病が発生してしまい、四十二区は甚大な被害を被った。

 当然調査隊が結成され、調査が進められた。

 その結果、報告されたのは「湿地帯の泥が湿地帯の外に持ち出されたことにより細菌が発生してしまった」という内容だった。

 

 

「それを聞いて、『よし、しらばっくれよう』という発想になったのだとしたら、あの花がここに咲いたのは事故である可能性が高い。追撃が来ていないからな」

 

 そもそも、当時の四十二区には、危険を冒してまで侵略するような魅力はなかっただろうしな。

 

「だから、『どこかの誰か』はまだ、俺たちがこの細菌兵器の存在に気が付いていないと思っている。下手に突かなければ、今のところ濡れ衣を着せられることはないだろう」

「おそらく、いつ事が発覚しても即対応できる準備はしているのではないかと思われます。『どこかの誰か』は非常に狡猾であるという噂ですし」

「まぁ……そうだね」

 

 腕を組み、エステラは息を吐く。

 そして、崖の上を睨み、これまでに見せたこともないような冷たい表情を見せる。

 

 

「刑の執行は、まだしばらく待ってあげるよ。こちらの調査が終わるまではね」

 

 

 俺も同じ気持ちだ。

 待ってやるよ。しばらくだけは、な。

 

 

「ほんで、理解したことの二つ目って何?」

 

 氷のような表情で崖の上を睨むエステラに、レジーナが柔らかい声をかける。

 俺たちには時間が必要だ。

 レジーナも、エステラも、そして俺も。

 自分の気持ちを見つめ直して、落ち着くための時間が。

 

 そのためにも、今感情を暴走させるのはマズい。

 柔らかい空気にして、きちんと前を向く必要がある。

 周りを把握できるだけの広い視野を持って。

 

「うん。二つ目はね、君がここにいてくれてよかったっていうこと」

 

 エステラも、氷の表情からいつもの笑みに表情を変える。

 レジーナを指さして、ウィンクを飛ばす。

 

「特効薬、期待してるからね」

「領主はん……。あぁ、まかしとき」

 

 レジーナがいれば、病なんか怖くない。

 これは呪いではないとはっきりしたのだ。

 この地上に存在する細菌が原因であるならば、レジーナに治せない病気なんかないに等しい。

 

「そして三つ目はね――」

「『おっぱいが成長する可能性を見出した』?」

「あぁ、でもそれ、領主はんの勘違いで――」

「そうじゃないよ! あと、勘違いでもない!」

 

 いや、勘違いは勘違いだから。

 遺伝子に逆らって一部の細胞分裂だけを活性化させるとかムリだから。

 

「三つ目はね」

 

 にっこりと、エステラが笑う。

 

 

「どうやらボクは、ボクが思う以上に激情家らしいってこと」

 

 

 炎のように赤い瞳が激しく燃え上がる。

 

 

 

「そろそろ、守りに徹することに限界を感じているらしいんだよね、ボク」

 

 

 

 好き勝手やられて、これまでエステラが抱いたことがなかった感情が芽生えている様子だ。

 俺の言葉で言うならば――

 

 

 

『跡形もなくぶち壊してやろうか』

 

 

 そんな感情、かもしれないな。

 

 

 

 

 

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