「ヤシロ。あ、店長さんも。ちょいとメニューの味を見ておくれな」
からんころんと下駄の音を響かせて、ノーマがお盆を両手で持ってやって来る。
お盆の上には小鉢が二つ。
片方には茄子の味噌田楽が、もう片方にはふろふき大根が入っている。
今日はドニスやリベカ、ソフィーも来る予定なので、味噌を使った新メニューを用意しておいた。
ブランデーのタルトタタンとは違い、こっちの試食はジネットとベルティーナにも好評だった。
こういうメニューであれば、陽だまり亭に置いておいてもいいだろう。
「とても美味しいですよ、ノーマさん」
「ん、落ち着いた味だ。さすがノーマだな」
「そ、そうかい? あんたら二人がそう言ってくれるんなら、安心さね」
ほっと胸を撫で下ろすノーマ。
手伝おうか? 撫で下ろすの。撫でるのとか、得意だし。
「きっと、お酒を嗜まれる方にも人気が出るでしょうね」
え?
どっちの話?
田楽?
おっぱい?
……田楽か。だよね。
ノーマの屋台は、お祭りの出店スタイルではなく、赤提灯が似合いそうな、腰を落ち着けて軽く一杯引っかけられる居酒屋風な造りとなっている。
カウンターがあり、その向こうでノーマが心に沁みる味噌田楽とふろふき大根を作って待っていてくれる……いいねっ!
「女将、いつもの!」
「なんで開店前から常連客になってるんさね?」
だって、もう、ノーマからは未亡人のような色香がむんむんと漂っているからよぉ……彼氏すらいた経験ないのに。一人もないのに! 浮いた噂すらなかったのに!
「ヤシロ……今なんか失礼なこと考えてなかったかぃね?」
「あはは。ばかだなーそんなわけないだろー」
くっ、鋭い!
やばいな……四十二区にエステラ並みに手強いヤツが増えつつある。
魔窟か、ここは?
その点、安心していられるのはジネットだ……け…………ん?
なんか、ジネットがぼーっとしている。
「おい、ジネット。どうした?」
「…………」
「ジネット」
「え? あ、はい! なんですか?」
「いや、大丈夫か? ぼーっとしてるけど」
「は、はい。少し、考え事を」
考え事…………あぁ、そうか。
「ジネット」
小声で呼んで、手招きをする。
近付いてきたジネットの耳に、こそっと伝える。
「『料理上手な未亡人オーラが出てるけど、お前彼氏いたことないじゃねぇーか』とか、本人が気にしてるかもしれないから言ってやるなよ」
「そんなこと、考えてませんでしたよ!?」
「なんだ、違うのか?」
「ち、違いますよ」
「お揃いだと思ったのになぁ」
「……そんなこと、考えないであげてくださいね。そういうのは、あの、ご縁ですから」
バカ、お前。
運や縁に任せてたらいつになるか分かんねぇじゃねぇか!
「ヤシロ……煮えたぎった煮汁の味見もお願いしていいかぃねぇ……」
「とりあえず、煮汁が煮えたぎっているのはまずいな。今すぐ屋台に戻って火加減を調整してきてくれ」
「まったく……少しは考えていることを隠す努力をするさね」
コツンと、煙管が俺の額を叩く。
ひんやりとした金属の感触が肌に伝わってくる。
最近吸ってないのかねぇ。
尻尾をわさりと揺らして、ノーマが屋台へと戻っていく。
遠ざかる背中がなんとも色っぽい。
ただまぁ、ちょっと怒ってたけど。
「もう、ヤシロさん」
「あとで謝っとくよ。…………謝るのって、逆に失礼か?」
「そうですね。何かでお詫びの気持ちを示した方がいいですね」
「んじゃ、そうする」
今度ケーキでもご馳走するか。
「あの、ヤシロさん。……変なことを、聞いてもいいですか?」
「ん? 上から90・75・92だぞ」
「ヤシロさんの3サイズが聞きたかったわけではありませ……結構、がっしりしているんですね……」
もっとひょろひょろだと思ったか?
平均値くらいはあるんだよ、俺も。……この世界の人間と付き合ってると、どうしてもな。
「そ、そうではなくてですねっ」
やや頬を赤らめ、ジネットが自身の周りの空気をかき乱すように両手をぶんぶん振り回す。
そして、きゅっと結んだ唇を解いて、本当に変な質問を寄越してきた。
「味噌田楽には、どんな思い出がありますか?」
「思い出?」
ん~……思い出つってもなぁ…………
「ウチじゃあんま出なかったから、店で食ったような記憶しかねぇんだよなぁ。親方は晩酌の時にたまに食ってたけど」
「そうなんですか?」
「ほら、ガキにはちょっと難しい味だろ? 味噌とかナスとか」
まぁ、人にもよるんだろうが、あぁいうのは大人の方が好きな傾向にあるだろう。
俺も、中学時代にはそこまで美味いとも思わなかったしな。今は好きだけど。
「あ、ジネットが試作で作ったのは美味かったぞ」
「へ……そう、ですか?」
「あぁ。俺には出せない味だな、アレは」
「では、また今度作りますね」
「白米と一緒に食いたいもんだ」
「はい。炊きます」
そう言うと、くるりと反転して嬉しそうに弾む足取りで屋台へと向かっていった。
何がしたかったんだか。
「あっ!」
結構進んでから、急に何かを思い出したように立ち止まり、慌ててこちらへ引き返してくる。
「ヤシロさんの服装チェックがまだでした! 着てください、エプロン!」
「えぇ……俺もやんの、チェック?」
「はい。陽だまり亭のルールです」
初耳なんですけども、そのルール。
そんな店長からのプレッシャーに押され、今以てなお気恥ずかしさの残る俺専用のエプロンを身に着ける。
……なんか、誕生日のことを思い出して背骨がむずむずするんだよな、これを着ると。
「前、よし。後ろ、よし」
俺の周りをぐるっと一周し、服装の乱れをチェックしたジネット。
そして最後に正面に戻ってきて、笑顔のチェックに入る。……やるんだろうな、もちろん。あぁ……やれやれ。
「では、ヤシロさん」
「はいはい……」
「パイオツ!」
「ごふっ!」
「はぅ!? だ、大丈夫ですか!?」
「…………『笑顔』って、言ってくれるか?」
「あ、すみません。ヤシロさんに馴染みのある言葉の方がやりやすいかと思ったんですが」
やりにくいっす。
この上もなく笑顔になりにくいっすわ、それ。
「では、今日もパイオツカイデーで頑張りましょうね」
「……へ~い」
『パイオツカイデーで頑張る』が出来るのは、陽だまり亭ではお前だけだけどな。
その後、各屋台を回ってハムっ子たちに軽く指示を出しつつ、提供するメニューのチェックを終え、会場の準備は整った。あとは、やって来る領主たちを迎えるだけだ。
「というわけで! 一足先に始めるぞ!」
「いいんですか? エステラさんたちを待たなくて」
開会宣言を聞いて疑問を呈してくるジネット。
前にも言ったろ?
「四十二区へ着いたって第一の感動がさめる前に、第二の感動を与えるんだって」
だから、連中が四十二区へ着いた時には、ある程度盛り上がっていた方がいいのだ。
「というわけだ、ロレッタ! ニュータウン前に待機させている四十二区の客を入れてこい!」
「アイアイサーです!」
「ウーマロ! ガキどもが来たら、遊具の使い方を教えてやってくれ」
「はいッス! ヤンボルドとグーズーヤもスタンバイ出来てるッスよ!」
「ベルティーナ」
「はい。食べます!」
「その前に、ガキどもの整列とか規律を守って遊ぶようにとか、そういうのを教えてやってくれ!」
「それは寮母さんたちにお任せしていますよ」
「お前も!」
「…………ぷぅ」
「ビワのタルト、一番に食わせてやるから」
「やります! 私、実はそういうのが得意なんです!」
いや、『実は』になってねぇから。
お前の本職みたいなもんだろう、ガキの世話は。
「おぉっ、ヤシロ! ビワのタルトがあるのか!? あたいも食べたい!」
「あとでな」
「お客が来る前でなきゃ食べられないだろう!?」
「……マグダにも、あの感動を再び」
「しょうがねぇな……ロレッタの分、残しといてやれよ」
うはは~い、と寄ってくる連中に小さく切ったタルトを配っていく。
約束通り、ベルティーナが一番で。心持ち大きいタルトを渡しておく。
そうして、口の中をもっしゃもっしゃ揺らして、各々が持ち場へと着く。
それから数分後、四十二区の住民たちが会場へとなだれ込んできた。
大通りの向こう側の連中はもちろん、準備の間、ちょっと出ていてもらったニュータウンの住民も大勢含まれている。
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