異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

54話 木こりギルドのお嬢様 -3-

公開日時: 2020年11月22日(日) 20:01
文字数:3,666

「ヤシロ様……」


 思いがけないハビエルの手のひら返しにいまだ動転している俺の耳元で、ナタリアが静かに囁く。


「……私なら、誰にも気付かれずに仕留めることが可能ですが?」

「…………それは、やめとこうな」

「……そうですか」


 怖ぇ……ナタリア、エステラが受けた侮辱を静かに溜め込み続けてたんだ……どっかで爆発しなけりゃいいけど…………


「さぁどうぞ、こちらへ。出口までご案内いたしますわ!」


 くるりと背を向けさっさと部屋を出て行くイメルダ。

 ……このままドアを閉めて、もう一回交渉をやり直すことは出来ないだろうか?


「……すまんな、二人とも」


 イメルダが部屋を出た後で、ハビエルが小声で謝罪を口にする。


「あの通り、一度言い出すと聞く耳を持たん娘でな」

「……あんたの育て方が間違ってたからだろうが」

「だって、可愛いんだもん!」


 ……「だもん」じゃねぇよ、この髭筋肉!

 が、こうして素直に詫びを入れてくるあたり、己の非常識さを自覚してはいるんだな。なら、大人しく契約書にサインすればいいものを……


「交渉は、残念なことになったが、おがくずに関しては融通すると約束しよう。アンブローズからの紹介でもあるしな。それでなんとか、手打ちにしてくれねぇか?」


 木こりギルドの支部は置けないが、おがくずは融通する……落としどころとしてはそれがいいところなのかもしれんが…………それじゃあ俺が困るんだよ!

 木こりギルドが来てくれなければ、街門は作られないだろう。

 そうなったら幹線道路もなくなる。


 そしたら、陽だまり亭はどうなる!?


「……仕方ないですね。無理に推し進めても関係を悪化させるだけですし」


 と、エステラも諦めたようなことを言い始める。

 こいつにしてみれば、四十区の領主アンブローズ・デミリーと下水契約が結べただけで万々歳なのだ。

 門にまで固執しなくてもいいとか思ってやがるに違いない。


 だから、それじゃ困るんだよ! 俺が!


「イメルダ! ちょっと話を聞いてくれ!」


 こうなりゃ、なりふり構っていられねぇ!

 要は、あのわがままお嬢様を納得させればいいんだろ!?

 そうすれば、このバカ親は娘可愛さに木こりギルドの支部をホイホイ寄越すに違いない!


「イメルダ! ちょっと戻ってきてくれ!」


 しかし、呼べど叫べど、イメルダは姿を見せない。

 そんな遠くまで行っているとも思えないのだが………………はっ、まさか。


「世界一美しいイメルダお嬢様! もう一度そのお美しいご尊顔をこの愚民めにお見せください!」

「しょうがないですわね。少しの間だけですわよ?」


 イメルダが優雅な足取りで戻ってきた。

 …………こいつもアホだ。


「それでなんですの、愚かなる愚民よ?」


 幾分か機嫌が戻ったのか、イメルダがにまにまとした笑みを浮かべている。

 こいつ、もしかしなくてもおだてに弱いんだろうな。


 だが、おだてるだけでどうこうなるとは思えない。


 こいつが幼少期から持ち続けている四十二区に対する負のイメージを塗り替えなければ首を縦には振ってくれないだろう。


「一度、四十二区の視察をしてくれないか? 生まれ変わった四十二区をその目で見てもらいたい」

「いやですわ。臭いですもの」

「その臭い元だが……おそらくそれに関しては、今や四十二区は四十区よりも清潔であると断言できるぜ」

「四十二区が、四十区よりも? ご冗談にもほどがありますわ。あまりに大それた方便ですと、カエルにしてしまいますわよ?」

「あぁ、いいぞ」


 俺の言葉が嘘だと思うなら、『精霊の審判』をかければいい。

 断言してやる。

 こんな道路も整備されていない四十区なんかよりも、下水が完備された四十二区の方が清潔だ!


「…………自信がおありになるんですのね」

「その技術を売り込みに来て、ついさっき領主と契約を結んできたところだからな。ここより進んだ技術である証左にはなると思うぜ」

「…………そう、ですの………………」


 よし、もうひと押しだな。


「お嬢様。四十二区には、あんたにとってとても魅力的な、美しいものがあるんだ」


 それは、俺の自信作だ。

 こいつだけは、このオールブルームの中でナンバーワンだと胸を張って言える。


「そんなものが…………本当にありますの?」


 訝しみつつも、興味深げな視線を向けてくる。

 食いついたな……

 ここから畳みかけて、絶対「うん」と言わせてやる!


「お嬢様、あんたは毎日……どんな感じでトイレしてる?」



 スパーンッ!



 甲高い音がして、俺の頬に激しい痛みが走った。


「ふ、ふ、不埒にもほどがありますわっ!」

「……いや、違うんだ…………別にセクハラするつもりじゃなくてだな…………」


 まったく、せっかちなお嬢様だぜ。


「この街で最も不潔で不衛生なのは、言わずもがな、トイレだ。だが、四十二区には清潔で美しいトイレがあるんだ」

「ワ、ワタクシにトイレ…………お手洗いを見に来いとおっしゃるんですの!? 非礼極まりありませんわっ!」


 なぜだ!?

 水洗トイレだぞ!?

 見たら絶対欲しくなるぞ!?

 美しいもの好きのお嬢様なら、あまりの美しさに頬ずりとかしちゃうかもしれないぞ!?


「お話になりませんわ。誇れるものが……お、お手洗いだけだなんて……これだから四十二区は……」

「待て! 誰がトイレだけだと言った! 他にもいろいろあるぞ!」


 ポップコーンとかタコスとか…………まぁ、プレゼンするにはちょっと地味ではあるけども。せめて現物があれば交渉のしようもあるのに………………あ、あるじゃん。


「今、この場で、この美しいワタクシに、美しさを納得させられないようでは視察する価値すらありませんわ」

「ならば見せてやろう。四十二区自慢の逸品をな。ナタリア、弁当を用意してくれ!」

「かしこまりました」


 今朝、ジネットにもらった弁当だ。

 どこかで食べようかと思ったのだが、木こりギルドとの交渉を前に満腹になるのを避けるためにいまだに手を付けていなかったのだ。

 人は満腹になると思考が鈍るからな。戦いの前は適度に空腹な方がいいのだ。

 そして、ジネットの弁当は『途中でやめる』なんてことが出来ない仕様なのだ。

 美味くてつい食っちまう。特に、エステラと一緒にいる時はな。……奪い合いになること請け合いだ。


「ご用意できました」


 木こりギルドの応接室。その中央のテーブルに、見慣れた陽だまり亭の弁当箱が置かれる。

 興味を示し、イメルダとハビエルが近付いてくる。


「さぁ、とくとご覧あれ……」


 これが、四十二区最強の手料理!

 ジネットの弁当だっ!


「こ、これは…………」

「ほぅ……」


 弁当を覗き込んだイメルダとハビエルが思わず声を漏らす。


 ジネットの弁当は全体的なバランスや色遣いはもちろん、おかずの一つ一つに細かい飾り切りや心憎い一手間が加えられており、まさに芸術と呼ぶに相応しい出来栄えなのだ。

 俺は、親方仕込みの手先の器用さと、詐欺師稼業で鍛えた技術で、大抵のものなら最高級品を作り上げられる自信がある。だが、然しもの俺も、これには対抗する気すら起こらない。

 ジネットの手料理に勝る料理はこの世界にも、日本にだってありはしない。

 思い出補正で女将さんが対抗馬ってくらいだ。


「なんと……これは美しい」


 ハビエルが感嘆の息を漏らす。

 イメルダは何も言わず、ただジッと輝くような料理の数々に見入っている。

 しかし、その沈黙こそが美しさを肯定していると言える。

 まさに、『言葉もない』というヤツだ。


「どうだ? これが、四十二区が誇る最高級の料理だ」

「ふむ。本当に四十二区は生まれ変わったんだな」


 感心したようにハビエルが頷く。

 そうだ! もっと食いつけ!

 そして、書類にサインを……


「確かに美しいですわ! ですけど……」


 …………『ですけど』?


「こんなもの、時間が経てばあっという間に朽ち果ててしまう、仮初めの美しさに過ぎませんわ」


 ………………

 ………………

 ………………はぁぁぁあああっ!?


「ワタクシは、永久不変の美しさにこそ価値を見出すのです」

「ちょっと待てよ! 咲き誇る満開の花とか、移ろいゆく街の景色とか、不変でなくとも美しいものはいくらでもあるだろうが!」

「花は時が来ればまた美しく咲きます。移ろいゆく風景は形を変えてもまた美しいものです。ですが、これはどうですか?」


 弁当を指さし、イメルダは眉を吊り上げる。


「食べればなくなり、食べなければ朽ち果て見るも無残な有り様になります。ほんのひと時飾り立てて美しいフリをしているだけに過ぎないこのような物を、ワタクシは認めませんわ!」


 …………ダメだ。

 こいつには、きっと何を言っても通じはしないのだろう。


「ですが…………」


 がくりと肩を落とした俺に、イメルダはこんな言葉をかけてきた。


「美しい料理であることは認めますわ。この一時の美しさに免じ、一度だけ、たったの一度だけ、四十二区の視察に赴いて差し上げます。その一度で、ワタクシを説得できればよし。でなければ…………永久に木こりギルドは四十二区に出向くことはありません。それでもよろしいかしら?」


 これは、チャンスなのか…………それとも、ムリゲーのオープニングか?

 俺は、霞の向こうで揺らめく蜃気楼を見つめているような、そんな気分になっていた。







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