その時。
ガバッ――
と、マグダが体を起こした。
驚いたような表情で、まんまるく見開いた目で部屋の中を見渡している。
そして、一ヶ所に固まる俺たちを見つけると、ジィ~~~~っと見つめてくる。
「マ…………マグダさんが……っ!」
「気が付いたようだね」
「な~んや、ホンマに神様でもおったんやないかっちゅうタイミングやな」
みんなの顔に安堵の色が浮かぶ。
漏らす声にも喜色が含まれている。
一瞬にして室内の空気が軽くなり、穏やかな雰囲気に包み込まれた。
瞬く間に広がっていく歓喜の感情に、俺は……言葉が出てこなかった。
ただただ…………ホッとしてた。
よかった。
手遅れにならなくて、本当によかった……
「マグダさん。具合はどうですか? 傷は痛みませんか?」
すぐさまジネットはマグダに駆け寄り、その体に触れようとする……が。
「にゃぁぁぁぁぁぁあぁああああああああああっ!」
突然マグダが奇声を上げ、ジネットの腕をすり抜けて、ベッドから飛び降りた。
上半身を低くして、腕を床につき、警戒心に満ちた瞳で俺たちを見つめる。
ネコの取る、威嚇ポーズだ。
「おい、どうなってんだ、これ……?」
「分からない……けど、なんだか様子がおかしいね」
困った時のエステラのくせに、分からないとは何事だ。
今すぐ辞書でも開いてこの状況を俺に分かりやすく説明しろ!
「あっ、逃げるで!」
レジーナが声を上げた時には、もうマグダは動き出していた。
俺たちの間をすり抜け、部屋の出口へと一直線に向かう。
「待ちたまえ、マグダ!」
咄嗟に腕を伸ばしたエステラが、マグダのシャツを掴む。
「でかした! とにかく押さえつけて寝かせ……てぇぇぇえええっ!?」
俺が言い終わる前に、マグダは着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
傷の手当てをした後だからだろう。
マグダはシャツの下に何も着ていなかった。
すっぽんぽんだ。
「ヤシロ! 見ちゃダメだ!」
「ってぇ! そんなこと言ってる場合じゃないだろう!?」
「アカン! 逃げおったで!」
「マグダさん! まだ走ってはいけませんよ! 傷に障ります!」
「ジネット、お前ものんきなこと言ってんじゃねぇよ!」
なんだか知らないが、マグダが逃げた。
俺たちを警戒していた……まるで敵でも見るような目だった。
「怪我のせいで、獣人の部分が色濃く出てきてもうたんかもしれんねぇ」
レジーナの分析によると、獣人は獣のパワーと人間の知性を併せ持つ存在で、普段はバランスの取れた状態でいる。
だが、今回のように命に関わるような大怪我をすると、生命維持のために獣の部分が色濃く出てくるのではないか……と、そう言うのだ。
ってことは何か?
今のマグダは、野生の子虎なのか?
俺たちのことも忘れて、どこか安全な場所を探して飛び出してったのか……
「こうしちゃいられない。みんな、手分けして探すんだ!」
エステラが指示を出す。
先にそんなことを言われたということは、俺は今、結構パニクっているのかもしれない。
落ち着かなきゃな。
「レジーナはここで待機してて。マグダを捕まえた時、傷が開いていたらすぐ処置できるように!」
「了解や!」
「ジネットちゃんは教会の方を見てきて!」
「分かりました!」
うまい采配だ。
慌てたジネットを大通りの方へ向かわせると、何かしらトラブルを起こしかねない。起こさなくても巻き込まれかねない。
ジネットは顔見知りの多い教会側に向かわせるのがベターだろう。
「ボクたちは大通りの方を見に行こう」
「よし分かった」
「ただしヤシロは、マグダの裸体を見ないように目隠しをしてね!」
「出来るかぁっ!」
こいつも結構動転してんじゃねぇか?
「マグダを見つけた者は即刻帰宅! 他の者は定期的に陽だまり亭に戻り状況確認だ!」
「了解!」
「わ、分かりました!」
最終的に俺が指示を出し、俺たちは陽だまり亭を後にした。
マグダのすばしっこさを考えると、追いつくのは大変そうだ……
大通りに出たところでエステラと二手に分かれる。
しかし、この広い四十二区をあんな小っこいヤツを探して走り回るのか……
ノーヒントでは無理だ。
俺は近くの商店に駆け込み、マグダを見ていないか情報を集めた。
この通りで以前、マグダが暴れ牛を退治したこともあり、ある程度は顔を知られているだろう。
「マグダを見なかったか!?」
「あぁ、あの暴れ牛の時の娘かい?」
そんな会話を何人かと交わすうち、有力な情報を手に入れた。
「あの娘なら、物凄いスピードで裏の通りに向かっていったよ。武器屋が並ぶ工房通りの方だよ」
大通りには商店が並んでいる。そのほとんどが飲食店と服飾関連、そして食品関連の店だ。つまり、一般市民の生活に密着した店と、他所からやって来る人間をターゲットにした店が並んでいるのだ。
大通りから一本入ると、より専門的な店が多くなる。
金物や武具防具、布や糸、魔獣の骨などの素材屋などが存在する。
それらは、同系統の店である程度固まって軒を連ねている。
マグダが逃げ込んでいったのは武具屋が並ぶ通りだそうだ。
もしかしたら、丸腰に不安を覚えているのかもしれない……
俺は大急ぎでその通りへと入っていった。
あちらこちらから金属を打ちつける音が聞こえてくる。
油と金属の匂いが辺りに充満している。
やや薄暗い印象を受けるこの通りの両側には工房と店舗がひしめき合うように並んでいる。
通りには、意外にも女性の姿が多かった。もっと男臭いイメージを抱いていたのだが。大きな槌を担いだ少女や、巨体には不釣り合いな小さなペンチを大切そうに握りしめているオッサンなど、様々な人間が行き交っている。
マッチョなオッサンだらけなら見つけやすいかとも思ったのだが……
時間がない。
今のマグダが危険な状態なのももちろんあるが、マグダは現在すっぽんぽんなのだ。
どこぞの下衆い男にでも見つかったら一大事だ。
しらみつぶしに捜している暇はない。
「すみません!」
「はい?」
俺は、盾を作っているらしい工房の前で煙管をふかしていた狐っぽい美女に声をかける。
「マグダを見ませんでしたか?」と聞いても、この付近の人には伝わらない。
小柄なトラ人族で年齢は十二歳くらい……などと説明しても伝わるかどうかは怪しい。
もっとインパクトのある、見れば絶対に分かるであろう特徴を伝え、目撃情報を集めるしかない。
「あのっ、こっちの方にすっぽんぽんの幼女が走ってきませんでしたか!?」
「ふぁっ!?」
狐のお姉さんは奇妙な声を上げ、口をあんぐりと開けた。
くそ、知らないかっ!
「邪魔したな! もし見かけたらすぐに教えてくれ!」
それだけ言い残して、俺は通りを駆け抜けた。
マグダの裸体をどこぞのオッサンに見られたかもなどと思うとなんかムカつくので、目についた女性にだけ声をかけていく。
「すっぽんぽんの幼女を探しているんだが!?」
「ひぇっ!?」
「すっぽんぽんの幼女はどこだ!?」
「ふょっ!?」
「すっぽんぽん幼女を見かけたヤツはいないか!?」
「へにょっ!?」
どれだけ尋ねても目撃情報は得られない。毎回、変な声を漏らされるだけだった。
「くっそ……どこにいるんだマグダ…………」
走り回って息が切れ始めてきた。
こういう時は糖分を補給して体力回復を…………
俺たちは陽だまり亭を出る前に、疲労回復用にハニーポップコーンを一袋ずつ持って出たのだ。
これさえあれば、体力が多少は回復…………………………これだぁ!
俺は通り中に聞こえるほどの大声で叫ぶ。
「マグダァー! 出てきたらハニーポップコーンをやるぞぉー! 今回はハニー多めの、甘いヤツだぞぉー!」
ハニーポップコーンの袋を開け、甘い香りを辺り一帯に広がるように振り回す。
……これにうまく引っかかってくれれば…………
と、突然、金物屋の屋根の上から俺の背中に何かが落下してきた。
「にゃー! にゃー!」
マグダだ。
マグダが俺の背中に乗り腕を伸ばしてハニーポップコーンを強奪しようとしている。
「待て! やる! やるから! まずは服を着ろ!」
「にゃぁー!」
今のマグダには言葉が通じないらしい。
しょうがない。
俺は限界まで腕を伸ばし、ハニーポップコーンをマグダから遠ざける。
それを取ろうとマグダが身を乗り出したところで首を掴まえ捕獲する。
「にゃぁぁぁぁあっ!」
「暴れんな! ポップコーンやるから!」
手足をジタバタさせるマグダにハニーポップコーンの袋を与えると、途端に大人しくなった。
袋に手を突っ込んで、口の限界までポップコーンを頬張る。
……どんだけ好きなんだよ。
「この隙に……」
俺は自分の上着を脱ぎ、マグダにすっぽりと被せる。
そして、ぶかぶかのシャツを着るマグダを抱えて陽だまり亭へと向かった。
帰り道、マグダはハニーポップコーンに夢中ですっかり大人しくなっていた。
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