「ヤシロ様。お寿司が一つ余ったのですが、召し上がりますか?」
ナタリアが、俺に空いた席を勧めてくれる。
が、俺はここに来る前にもう食っているし、腹は減っていない。
本当は、エステラとルシア、ナタリアとギルベルタ、そして初めて見た領主三人のための寿司だったのだが、マイラー兄弟とそのお付きの二人、で、ワーグナーとボックが寿司を食っている。
ルシアはエステラと食うと言っているのでこの二人は除外する。
ナタリアとギルベルタはそれぞれの主と一緒に食うだろう。
ってことは、俺しか残ってないのか。
……いや。
よく見ると、ワーグナー付きの少女と、ダック付きの執事が羨ましそうに寿司を見ている。
「お付きのどっちかに食わせてやったらどうだ? マイラーんとこのお付きも食ってるんだし」
「あ、だったら、ミスター・ワーグナーに譲るよ」
ボックがさらっと決めてしまう。
レディーファーストを気取るつもりか……と思ったら。
「私は、この後ルーちゃんと一緒にもう一回食べるから、その時にウチの執事も一緒にいただくよ」
「ダック様、さすがに食べ過ぎかと……」
「大丈夫だ。普段妻から厳しい食事制限を課されているのだから、今日くらいたくさん食べてもプラマイゼロ、むしろマイナスなくらいだ」
「いえ、それはあり得ないかと……」
「大丈夫大丈夫。美味しい物は正義だよ。あははは」
ダック・ボック。
生活習慣病でぽっくり逝きそうな男である。
「もしかして、あいつの兄の病気って、糖尿病とかじゃないだろうな」
「とーにょーびょーが何かは知らぬが、アレの兄も相当太っておったな」
やだ、糖尿病リスクがえげつない!
ボックのあまりにあんまりな食への態度に、ルシアの頬に差していた朱色もすっかり引いている。
持ち直しの速さは、さすが領主ってところか。
「今度、四十一区を案内してやれよ」
「アレに美容を? 無駄であろう」
「健康的なダイエットの教室もある。少しは痩せさせろ」
「それは私ではなく、アレの奥方に申せ」
「会ったことないんでな」
「貴様が会いに行くと奥方が危険か。しょうがない、私から申し含めておこう」
誰が人の嫁に手なんぞ出すか。
トラブルのにおいしかしねぇわ。
「では、シーラ。ミスター・ボックのご厚意だ、ありがたく頂戴しておくがよい」
「はい。ミスター・ボック。心よりお礼申ス上げます」
「いや、いいよいいよ」
ワーグナーについていた少女がぺこりと頭を下げる。
シーラという名らしい三つ編みメガネの少女が、落ち着いた雰囲気で席に着く。
ただ、若干気になったんだが……聞き違いかな? 聞き違いかもな。
「あんれまぁ、こっだら綺麗なマンマさ、はズめて見ただぁ」
あぁ、やっぱり訛ってたなぁ!
「申ス上げます」あたりで胡散臭いにおいを感じたんだよなぁ。
「タンゲ、ンめぇ~」
シーラが頬っぺたに手を添えて幸せそうに寿司を食べている。
え~っと、「タンゲ、ンめぇ」ってどっかで聞いたことあるんだよなぁ……たしか、「すげぇ美味ぇ」みたいな意味だった気がする。
「旦那様ぁ、オラこっだらンめぇモン、はズめデ食っただ」
「そうか。ならば、今日は来てよかったな」
「んだ、んだ!」
カーネルおじさんと田舎娘がにこにこ顔で寿司を食っている。
瓶底メガネに三つ編みおさげが、なんか妙によく似合って見えてきたよ。
「どこの田舎モンだ、あいつは」
「狩猟ギルドのドリノとか、ボッバやフロフトと近しい国の出なのかもね」
「ん? あいつらってここの出身じゃないのか?」
「彼らの祖先がね。『強制翻訳魔法』の影響で、出身国の訛りは抜けにくいんだよ。ほら、耳に馴染む言葉に翻訳されちゃうから」
「だったら、訛りも放言もなくならなきゃおかしいだろ?」
俺はレジーナみたいな関西弁も、このメガネ給仕長みたいな訛りもねぇぞ。
「そこはほら、たぶん……精霊神様のお茶目?」
「……結局、精霊神の悪ふざけじゃねぇか」
そーゆー人がいると面白いでしょ~? って一人で楽しんでる様が目に浮かぶようだぜ。
しょーもないとこにこだわりやがるからな、精霊神は。
「うみゃー! でらうみゃーぜよ!
「せめて一箇所の方言に絞れよ!」
混ぜるな、『強制翻訳魔法』!
「タンゲ」と「うみゃー」と「ぜよ」はそれぞれ違う地方の言葉だよ!
「気に入ってもらえて嬉しいよ。えっと、シーラだっけ?」
「んだ!」
エステラに声をかけられ、シーラは大急ぎで口の中の寿司を飲み込んで立ち上がり、三つ編みを振り回すかの勢いで頭を深く下げた。
体を起こした後で大きなメガネの位置を両手で直す。
「オラ、三十二区領主、マルコ・ワーグナー様付きの給仕長、シーラ・キャンサーて言いますだ。以後、おン見知りおきくだせぇ」
「珍しい名前だね」
「昔から、『キャンサーば言ぅダら、カニだぁ』て言われで、オラたズ一家はタ~ンゲ、参っとるんでさぁ」
そういえば、キャンサーって蟹座とかデッカいカニのことだっけ?
……俺は生きた化石を最初に思い浮かべたけどな。シーラ・キャンサーって。
「カニ人族じゃないんだよね?」
「違ぇます、違ぇます! オラたズ、ソンゲえぇもんでねぇです!」
カニ人族って、そんな持ち上げられるもんか?
謙り過ぎじゃねぇか、メガネっ娘?
「シーラは美味い物に目がないものでな。四十二区行きを心待ちにしておったのです。ふふ、今日はいつになくはしゃいどりますわ」
「あンれまぁ、マルコ様、そっだらこと、バラされたらオラ、こっぱずかしいべな」
「ははは! すまんすまん!」
「ンも~、やンだぁ、もぅ」
……なんだろう。
この辺、長閑だなぁ。
「エステラよ。そろそろ日も暮れる」
「ですね」
ルシアとエステラが視線を交わし、その場にいる領主たちに言葉を向ける。
「本日はお越しくださり、心より感謝致します。遠方の方もいらっしゃいますので、この場でご挨拶をさせていただきます。お酒を嗜まれる方はごゆっくりと、そうでない方はお気を付けてお帰りください」
「今後、四十二区を中心にいろいろと変化が起こるであろう。その際はここにいる者たちすべてで情報を共有し、各区にとってよい未来へ進めるよう協力を頼みたい」
そんな挨拶に領主たちは穏やかな表情で頷いている。
「本日お見えにならなかった三十三区領主へは、後日挨拶に向かおうと思います。ですが、本日ご足労いただいた皆様と差を付けるという意味ではありませんので、あらかじめご了承ください」
自分は呼びつけておいて、三十三区へは挨拶に行くのか!?
――なんて難癖、さっきのアヒムを見ていたら口が裂けても言えないだろうな。
「三十三区か……どんな領主なんだ、ドニス?」
隣の区であるドニスに話を振る。
「一言で言うなら、変わり者、だな」
ドニスが頭頂部の一本毛をさわりと揺らして言う。
「確かに、変わり者ではありますな」
それに、三十二区領主のマルコ・ワーグナーが同意する。
「こだわりの強い御仁なのである。才能に溢れた、奇特なお方だ」
「お酒と石にしか興味がない反面、お酒と石に関しては天才だからね」
マルコの言葉に三十四区領主ダック・ボックが続く。
……面倒くさい。
もう全員名前呼びでいいや。
カーネルはマルコ、糖尿病予備軍はダック、で三十一区の出来のいい方がオルフェンで悪い方がアヒム!
よし、覚えた。
明日には忘れると思うけど!
「三十三区の領主の名はヴァルター・クラウゼ。酒と石の研究にしか興味を示さない変わり者だが、彼の功績で三十三区は繁栄している。まさに天才だよ」
また新しい名前出てきた!
「なぁ、そいつのこと石酒って呼んでいい?」
「誰さ!?」
だって、ヴァルターとか、言いにくいし書きにくい!
イシザカはとっても言いやすい!
「三十三区には鉱山に続く街門があって、美味しい水と広大なお米の畑があるんだよ」
「たんぼ、な」
お米の畑って……
「あと、トロッコの技術も優れているんだ」
そういや、ブレーキとかって言葉が通じるのはそのトロッコのおかげだっけな。
これまで、ちょいちょいと話に出てきてたんだよな、三十三区。
遠いから行かなかったけど。
「我が三十二区は、多くの者が三十三区へ出稼ぎに行っておるのだ。鉱山に田植え、酒造り、どれも肉体を酷使する過酷な仕事だが、その分やり甲斐は素晴らしい!」
マルコがただでさえ分厚い胸襟を盛り上がらせて言う。
領民みんなあんな感じなのか?
よし、三十二区には近寄らない。決定!
「まぁ、面会依頼を出しても断られることが多いが、アレはそういう男なのだ。あまり気にするのではないぞ」
ドニスがエステラに苦笑を向ける。
研究に忙しく、工房から出てこないことが多いのだとか。
領主辞めちまえ。
いやまぁ、才能を買われてるのかもしれないけども。
「今日はその三十三区の酒を大量に持ってきた。時間が許す者は飲んでいくといい。今宵の酒はワシの奢りだ」
「さすがDD!」
「太っ腹!」
「一本毛!」
「聞こえておるぞ、ヤシぴっぴ」
……ちっ、紛れなかったか。
貴賓席の上が賑やかになり、二次会の様相を呈していく。
まぁ、明日の仕事に差し支えないなら、のんびりしていけよ。
「お前らは寿司を食いに来い。ジネットが心配してたからよ。『働き過ぎて、腹を減らしてないか』ってよ」
「もう、ぺっこぺこだよ」
「わ、本当だ、ぺったんこ」
「お腹の話だよ」
「俺もお腹の話だから、ナイフをしまえ」
本当に疲れてるのか、エステラの脅迫がマジのトーンだ。
さっさと連れて行って飯を食わせよう。腹が減ってるからイライラすんだよ。うん。
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