「レジーナ! 開けてくれ!」
店のドアを乱打する。
嵌め込まれた磨りガラスがガタガタと騒がしい音を立てる。
「レジーナ!」
「はいはいはい! 今開けるさかい、ドア壊さんといてなぁ!」
ドアの向こうから声が聞こえる。しばらくして店内に灯りがともる。磨りガラスの向こうからぼんやりとした光が漏れてくる。
「もぅ、なんやのんな、こんな夜中に? 夜這いにしても、もうちょっと静かに……」
「ちょっと来てくれ!」
アホな話をしている暇はない。
俺はレジーナの腕を掴むと傘の中へと引き込んだ。悪いが、説明は教会へ向かいながらさせてもらう。拒否権は無しだ!
「ちょい待ちっ!」
だが、レジーナは足を踏ん張り抵抗を見せる。
そんなことしている暇はないんだ! 強引に引っ張っていく。
「待てっちゅうねん!」
「いっっでぇっ!」
突然右手に激痛が走った。
見ると、レジーナが手に持った何かを俺の手に押し当てていた。
「痴漢撃退用、食虫植物『食べるんです』や」
見ると、それは巨峰ほどのサイズの房状の植物で、房の下部を押さえると上部の口が開き、中から無数の棘が飛び出す仕組みらしい。
「こいつの棘は人の皮膚を溶かしてまうおっそろしい溶解液を出すんや。堪らん痛みやろ?」
「……痛ぅ……、誰が痴漢だ! 危険なもん持ち歩いてんじゃねぇよ! あと、名前が笑えん! 改名を要求する!」
「こんな夜中にやって来て、こっちの話も聞かんと強引に連れ去ろうなんて、立派な痴漢や! あ、立派や言うても……下ネタやないよ?」
……こいつ、殴りてぇ。
こっちは切羽詰まってるってのに。
「ウチに急用ってことは、薬が必要なんやろ? ほならちょっと待っとり。道具があらへんかったら、薬も作られへんわ。合理的に行動せな、助かるもんも助からんようなるで?」
「……すまん。事情は道すがら話すから、可能な限り急いでくれ」
「まかしとき。……あ、せや。さっきのは別に自分のアレが立派かどうかに言及したかったわけやないからな? ウチかて見たことないさかい、比べようもあらへんし……」
「急げつってんだろ!?」
ドアの向こうへレジーナを突き飛ばし、準備を急がせる。
店の中は相変わらず薬の匂いが充満していた。
暗い店内をランタンの頼りない灯りが照らしている。
「ほい、お待たせ。ほな行こか」
「……早いな」
「ウチ、これでもデキる女やねん。…………あ、デキる言うても……」
「さぁ、急ごうか!」
レジーナが余計なことを口走る前に強引に店の外へと連れ出す。
まったく、こいつは……
だが、感心もしていた。
レジーナは日頃からこういう事態を想定しているのか必要な物がすでにまとめられていたのだ。いつでも飛び出せるように、常にその状態が維持されているのだろう。
「お前は、ちゃんと薬剤師なんだな」
「せやで。……まぁもっとも、街の人はウチのことなんか頼りにしてくれへんやろうし、無駄な労力なんやろうけどな……笑いたかったら笑ぅてくれてえぇよ?」
ネガティブが暴走してやがる。
「笑うかよ。絶対笑わねぇよ」
「ほなら罵るか? はっ!? まさか辱めるんか!?」
暴走がおかしな方向へ向かっている。
誰かこいつに友達を紹介してやってくれ。心の闇を振り払ってくれるようないい友人を!
「大したもんだと思うぞ。絶賛してやる」
「……ほぅ…………さいですか」
褒めれば調子に乗るかと思ったのだが、歯切れの悪い言葉が返ってきた。
「な、なんや、普段の行いを褒められると……こ、こそばゆいなっ。背中かぃ~なってもうたわ」
わははと、ワザとらしく笑い、これまたわざとらしく背中をかいてみせる。
照れてるのか? らしくもない。
「けど……おおきにな。頼ってくれたんは、素直に嬉しいわ」
「なら、馬車馬の如く頼ってやる」
「その言葉おかしない? 適度に頼むな」
レジーナの肘が俺の脇腹を小突く。
照れはなくなり、いつもの雰囲気を取り戻している。
「前も借りたけど……便利やんなぁ、この傘とかいうの。お手軽やし、顔濡れへんし……って、自分、肩メッチャ濡れてるやん!?」
急いでいたせいもあり、傘は一つしか持ってこなかった。
相合傘をしながら教会へ向かっているのだが、さすがに二人で入るにはこの手作りの傘は狭い。
ならば、どちらかが濡れてしまうのは仕方のないことだろう。
「気にすんな。俺の国では男が濡れるのがマナーなんだよ」
「へぇ……紳士の国なんやな」
そうでもないけどな。
「愛のある道具やねぇ」
「そうか?」
「そう思うで。なんや、大切にされとる気になれるし」
大切に……まぁ、思ってはいるか。
「それに、晴れた日やったら、傘でこう前を隠して二人っきりの空間に出来るやん?」
「晴れた日に傘なんか差すかよ」
「差したらえぇねん。これさえあれば、大通りでも人目を憚らずエロいことがし放題……あぁっ、傘どかさんといて! 冷たい! ウチ今めっちゃ濡れてるてっ! アカンねん! 薬剤師が風邪引くとか、シャレにならへんねん! 店潰れてまうわ!」
くだらないことを言った罰として傘を思いっきり自分側へと傾けてやった。どしゃ降りの雨に打たれてレジーナがわたわたしている。
……ったく。
「……あぁ、ビックリした。自分、冗談通じひんなぁ…………」
傘を戻してやると、レジーナは肩や頭にかかった雨を手で払い退ける。
「けど、ようやっと落ち着いたみたいやね」
「え?」
「さっきまでの自分、今にも死にそうな顔しとったで。切羽詰まり過ぎや。緊急事態の時こそ、周りの人間が落ち着いて判断、行動せなアカン。せやろ?」
……こいつ。
それでワザとこんなふざけたことを…………
「あ、せや。さっきのウチがめっちゃ濡れてるいうのは、別に…………冷たぁ~い! 傘持ってかんといてぇ~!」
見直しかけて損をした。
こいつは素でこういうヤツなのだ。
もう二度と判断を誤ったりはしない。
だが。
「ありがとうな。少し冷静になれた。教会にいる連中はもっと取り乱しているはずだから、俺たちがしっかりしてなきゃな」
「そういうことや。ほんで、教会に行くんか?」
「あぁ。子供たちがちょっと大変なことになってな」
「置き薬が効かへんかったっちゅうことは、ちょっと難しい症状かもしれへんな。診てみななんとも言われへんけど」
こいつ、教会というキーワードだけで子供たちの状況を推測しやがった。
頭は回るヤツなんだな。
「下痢と嘔吐、それから発熱もあるらしい」
「原因に心当たりは?」
「水らしい。この雨で用水路が決壊して汚水や泥水が井戸に流れ込んだみたいだ」
「…………なるほど。危険やね」
ベルティーナに聞いた話を改めて整理すると、恐ろしいことになっているな。
症状も、コレラや腸チフスに似ているし……抗生物質なんかないぞ。どうやって治療すりゃいいんだよ。
「まずいなぁ……」
レジーナの口から嫌な言葉が漏れる。……まずい?
「まぁ、とにかく診てみななんとも言われへんわ。ちょっと急ごぉか」
「あぁ」
俺はレジーナに歩調を合わせつつ、可能な限り急ぎ足で教会を目指した。
「ヤシロッ!」
陽だまり亭の前まで来たところで、突然声をかけられた。
そこにいたのはマグダと、エステラだった。
「エステラ? どうしたんだよ、こんな時間に」
傘を差したエステラが駆け寄ってくる。
「ナタリアが高熱を出してね。料金を気にして解熱剤を固辞したと聞いて叱っておいたよ」
結局熱が上がってしまったのか。
「喉の調子はいいみたいだったよ。紅茶でうがいしてた」
「それはいいが、一人で来たのか? こんな夜中に……危険だろ」
「もちろん近衛兵を連れてきたさ。もっとも、彼女には解熱剤を持って一足先に帰ってもらったけどね」
ナタリアの具合も深刻なのだろう。
でなければ、こいつが一人でここに残るなんて言い出したとしても、その近衛兵とやらが帰ったりしないだろうからな。……つか、近衛兵も女なのか。領主の娘ってガード固いんだな。
「話はマグダから聞いた。ボクも教会へ行くよ」
「お前が来ても仕方ないだろう?」
「レジーナ。代金はボクが持つから、出来る限りの処置をしてやってほしい」
「さすが、男前やねぇ」
「お、男前って……」
レジーナの返しに、エステラは苦笑を浮かべる。
まぁ、今さら言っても大人しく帰りはしないだろうし、何より今から帰すとなれば今度こそ本当に一人歩きになってしまう。
時刻は深夜だ。何が起こっても不思議じゃない。
しょうがない。ここは一緒に行動するしかないだろう。
「よし、じゃあ少し急ぐぞ。マグダも来い」
一人にしておくより連れて行った方がいいだろう。
「あぁ、でも、それだと戸締まりをしていかないと……」
「……しておいた」
俺の言葉を遮るように言って、マグダは鍵束を見せる。
こいつも、意地でもついてくるつもりだったんだな。
「よし、じゃあ行くぞ」
四人になった俺たちは、教会へ向かって歩き出した。足元に気を付けつつ、出来る限りの速足で。
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