『宴』から三日。
いまだ、雨は降り続いていた。
「今日もお客さん、全然来なかったですねぇ」
窓から外を眺め、ロレッタが呟く。
降り注ぐ雨粒と、地面に当たって跳ね返る水しぶきが入り交じって、世界が少し白く見える。
もう夜だというのに、日中に日光を浴びることが出来なかった蓄光レンガは光を発せず暗く存在感を消している。
久しぶりに訪れた真っ暗闇。
なんだか、停電した時のような気分だ。
「……ヤシロ、手を繋ぐ?」
「いや、さすがにこの程度で怖がったりはしないから」
揺れるランタンの灯りの中、マグダが手を差し伸べてくるが丁重にお断りしておく。
向こうでジネットがくすくすと笑っている。
うっせぇ。笑うな。
「今日はもう店じまいしましょうか」
「そうだな。ウーマロも帰ったし」
こんな日に来店するのはウーマロくらいのもので、そのウーマロも、たらふく飯を食って先ほど帰っていった。
「そういえば、ウーマロさん。屋台を片付けたそうですね」
「昨日のうちになくなってたです」
「……雨で視界が悪くなるから、放置するのは危険と判断した模様」
この土砂降りの中、あれだけ多くの屋台を撤去するのは骨が折れただろうな。
「じゃあ、次来た時は、プチトマトを一つ多く添えてやろう」
「ウーマロさんの努力、評価が低いです!?」
「……大丈夫。マグダが添える」
「でしたら、きっと喜んでくださいますね」
そんな他愛もない話で盛り上がり、陽だまり亭は本日の営業を終了した。
なんとも穏やかな一日だった。
客が来ないということ自体は、由々しき問題ではあるのだが……ここ最近、本当にあっちこっち動き回っていたから、こういう時間がありがたかったりもする。
ホント、疲れてんだろうな、俺。
今日なんか、ほぼ一日座りっぱなしだったもんな。
「はい、ヤシロさん。コーンポタージュスープです」
「ん?」
「温まりますよ。今日は寒かったですから」
「あぁ。ありがと」
俺が動いていなかったから、気を遣ってくれたのかもしれない。
「みなさんもどうですか?」
「いたたくです!」
「……マグダは少し多めに所望」
いつもの席に座り、温かいスープを飲む。
体の芯がじんわりと温まり、疲れが抜けていくような気がする。
厨房に入っていったジネットを待つ間に、マグダは俺の隣に、ロレッタが俺の向かいの席へと腰掛ける。
なにも、みんなしてこんな端っこの席に座らなくてもいいだろうに。
「お待たせしました」
ジネットが三人分のスープを持ってきて、ロレッタの隣へと腰掛ける。
広い陽だまり亭の中で、すみっこに固まって座る俺たち。貧乏性が染みついているな。
と、その時。
「ぅひゃああ!?」
ドアの向こうから悲鳴が聞こえてきた。
同時に、鈍い音と水しぶきが上がる音も。
「え、なに。アレって毎年恒例の行事なの?」
その悲鳴の主の惨状を想像し、俺の口から乾いた笑いが漏れていく。
ジネットも思い至ったようで、慌てた様子で席を立ち、ドアへと駆けていく。
「ロレッタ、タオルを持ってきてやれ。マグダは俺の部屋に行って……」
残った二人に指示を出し、俺はドアの向こうからやって来たずぶ濡れのそいつに向かってお決まりの言葉を口にする。
「『ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』」
「ふっ、一年ぶりに聞いたな、そのセリフ。……記憶って、時に忌まわしいほどに鮮明だよね」
高そうな服をびっしょり濡らしたエステラが、顔を引き攣らせて入ってきた。
この豪雨の中、周りに注意を払いつつ歩いてきて、陽だまり亭が見えた途端油断したんだろう、入り口付近で足を滑らせたと見える。足下と、尻と背中がぐっしょり濡れている。
「入り口のところに、エステラのお尻型の水たまりが出来るな」
「そんな、めり込むほどの尻餅はついてないよ……まったく」
ジネットが、エステラが持ってきたのであろう傘をたたんでドアの横へと立てかける。
そうか。傘立てがないのか。作らなきゃな。
「傘があるからって油断しないで、外套を羽織ってくればよかった」
「『後悔先に立たず、貧乳シャツが膨れず』ということわざがあってな」
「後半嘘だよね?」
腕をまっすぐ伸ばし、俺を指差すエステラ。
久しぶりに向けられたな、その敵意。
「はい、エステラさん。これ使ってです」
「あぁ、ありがとうロレッタ。まったく、ヤシロもこれくらいの気を利かせてほしいものだね。先輩店員を見習いなよ」
タオルを受け取り、エステラが俺にしかめっ面を向けてくる。
現在、俺は一番後に陽だまり亭に雇われた店員ということになっている。一回辞めたからな、一分ほど。
「あ、いや。これはお兄ちゃんが……」
「あぁ、ロレッタ。いいからいいから」
別に恩を着せるようなことではない。
いいんだよ、気が利かないくらいに思われていた方が。
「……エステラ。着替えを持ってきた」
「あぁ、マグダもありがとう。さすが、気が利くなぁ。頭撫でてあげようか?」
「……マグダを撫でるには資格が必要」
相変わらず、マグダの耳をモフりたくて仕方がないらしい。
毎度拒否されているが。
そうして、気の利くマグダが持ってきた『俺が指定した』Tシャツを広げて、エステラは表情を固まらせた。
「…………また、懐かしいものを」
エステラが広げたTシャツの胸には、『安いっ! 美味いっ! 可愛いっ!』という文字がでっかく書かれていた。
「俺も、マグダを見習って気の利いた店員になるよ」
「やめてくれる? 君の差し金であることはよく分かったから」
重~いため息を吐いた後、タオルで濡れた体を拭いて、着替えるために厨房の奥へと向かうエステラ。
ここで着替えてもいいのに。
「エステラ~。ズボンが濡れてるなら、『ぶかT』一丁でもこっちは別に――」
「ジネットちゃんに借りたから平気だよ!」
こちらの言葉が終わる前に返事を寄越すとは……礼儀のなっていないヤツだ。
「まったく。親の顔が揉みたいぜ」
「なぜ揉むです!? 『見たい』でいいじゃないですか、普通に!」
普通の権化ロレッタが普通を必要以上に推してくる。
人類総普通化計画でも目論んでいるのだろう。恐ろしい野望を秘めた娘だ。
「……この中で、親の顔をすぐに見られるのは、ロレッタだけ」
マグダの両親は要人警護のためにバオクリエアへ向かい、消息を絶っている。
ジネットの両親は不明。祖父さんはもういない。
エステラの両親は、静かな町で病気療養中だ。
そして、俺の両親は……
「確かにそうだな。じゃあ、ロレッタの両親の顔を見に行くか」
「やめてです! とても見せられるような両親じゃないですので!」
娘にこうまで言われる両親って……
そういや、ウェンディも両親に会わせるのを嫌がっていたっけな。
この街の娘は両親と距離を取りたがる傾向にあるのかねぇ。
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