四人の選手と二人のサポートが一列に並び、給仕の合図と共に走り始めた。
「マーシャ! さっさと終わらせて早くあたいにまわせよ!」
「ほ~い☆」
「テレサ、一番近いパンに向かうぞ!」
「あぃ! ……ぁ。ぱぃ!」
直んねぇなぁ、テレサの返事。
思春期に入った途端、俺にクレーム寄越したりしないだろうな?
タライを抱えたデリアと、しっかり手をつないで走るバルバラ姉妹がジジババを残して先行する。
そして、デリアが――おそらく自分が食べてみたかったんだろが――アンパンへ向かってコースを変える。
そこはバルバラたちのいるコースで、一番近くに向かうと言っていたバルバラたちと鉢合わせる。
「バルバラ! あたいはあんこのヤツを食べたいんだ! どけ!」
「すんません、姐さん! 妹のこととなると、アーシは下がれません!」
睨み合う師弟……いや、師弟ではないんだけども。
その師弟に連れられた二人はというと。
「デリアちゃ~ん、食べるのはわ・た・しだよぉ~?」
「おねーしゃ、あーし、何パンでも、いぃょ?」
まっとうなことを言っていた。
選手をほったらかして引率者が争っている。だから、サポートだつって釘を刺しといたのに……
アンパンの前で睨み合うデリアとバルバラ。
しかしそこへ、第三の人間が現れた。
「娘たちよ。そこは先約済みだ。……退けぃ」
全身から領主オーラをバリバリ立ち上らせたドニスだ。
お前、それ……『BU』での領主会談の時よりも禍々しいじゃねぇか。あの時にそのオーラ出されてたら、エステラもルシアもちょっとたじろいでたかもしれねぇぞ。
「なんだこの爺さん?」
「さぁ、知らねぇジジイっす」
わぁ、あの娘たち世間知らず!
おかしいなぁ……デリアは『宴』でドニスと会ってるはずなんだけどなぁ……領主への態度とかちゃんと出来るようになったと思ったんだけどなぁ……あぁそうか、甘いものの前ではそんなもんどうでもよくなっちゃうのか。残念な娘だなぁ、デリアも。やっぱ。
「引かぬというのなら……ワシの持てる全権力を総動員して貴様らを潰してくれるぞ!」
怖いこと抜かしてるよ、あの一本毛!?
好きな女の子のために世界ぶっ壊しても後悔しないタイプだ、あいつは。
……アンパンの奪い合いで開戦とか真っ平だからな?
「んだよ、ジジイ! 邪魔すんならぶっ飛ばすぞ!」
「姐さんの手をワズワワせるまでもねぇっす! アーシがボコしてやりますよ!」
『煩わせる』が言えてないぞ、バルバラ。
しかし、認識していないとはいえ、他区の領主に対して『ボコす』宣言……あいつ、あとでベルティーナあたりにキツークおしおきされるんだろうなぁ……
とか思っていると。
「あなたたち。もう少しだけ、目上の者に対する態度を改めなさいね?」
マーゥルが二人の前に立ちはだかった。――ドニスとは比較にならないオーラを纏って。
俺、普通にオーラとか言っちゃってるけど、見えないんだよ? 本当はそんな超常現象的なもんは見えたりしないんだけれど……確実に感じるんだよな…………つか、空間が歪んで見える気がするんだよなぁ……なんなら色まで付いている気がする。だからもう、これは見えていると表現して差し障りないだろうと……そんなことを改めて考えさせられるくらいに、マーゥルの周りの空気が禍々しかった。
ドニスが三歩、後ずさった。
「身分というものはもちろんのこと、年上の者を敬う心はどんな時もなくしちゃダメよ? 『ね?』」
『ね?』が、怖ぇえええええええええええ!
なに今の『ね?』!?
一文字で人の命消し去れそうな破壊力持ってなかったか!?
「「す、すみませんでした……」」
デリアとバルバラが素直に謝ったぁぁああ!?
ベルティーナですら二~三回話さなきゃ言うこと聞かせられなかった荒くれ女子だったのに!?
……マーゥル、お前、すげぇんだな。
「よかったぁ……二十九区が真性の敵にならなくて」
火事場から逃げ出したネズミの如く、俺たちのそばまで避難してきたエステラがぽつりと呟く。
そうだな。本気のマーゥルと敵対するのはいろいろと骨が折れそうだし、矢面に立つ領主はストレスで胃と毛根が大ダメージを受けるだろうな。
「さぁ、DDに謝りなさい」
「「申し訳ありませんでした……」」
「あんなに丁寧なデリア、初めて見たよ……」
マーゥルの力に、エステラが驚愕している。
やっぱ、ホンモノってすげぇんだなぁ。よかったなエステラ。お前、あと二十年早く領主になってたら、あそこらへんのヤツらとやり合わなきゃいけなかったかもしれないんだぞ。いい時代に生まれたなぁ。
いやほら、今の領主って、アホのリカルドとか、ご病気のトレーシーとか、腰抜けのゲラーシーとかだもんな。
ルシアは厄介な領主だが、それ以上に残念な性格だからプラマイゼロだ。
領主の質落ちたもんだなー、この数十年で!
「あと、私ね。アンパン、食べたいわぁ」
「「はい。どうぞ」」
譲ったぁあああ!?
デリアとバルバラが、一人のババアに道を譲ったぞ!?
「デ、デデデ、デリアが甘いものを譲って、バルバラが妹案件で折れたよ!? なにこれ、夢? 魔法? 天変地異の前触れ!?」
いや、今の領主の覇気だから。お前も鍛えれば同じことが出来る……可能性は限りなくゼロに近いが、まぁないとは言えない。
「おねーしゃ、あっち、いこ?」
「そうそう☆ デリアちゃんも、向こうのコースに行こうよ~」
「「ぐす……っ! うん……!」」
ちょっと泣いてるよ、あの二人!?
慰めてあげたくなってきたな、なんか!?
「それじゃあ、お先に」
道を譲ったデリアとバルバラにぺこりと可愛らしい礼をして、マーゥルがアンパンの下へとたどり着く。
「よくよく考えたら、スポーツマンシップの対極にあるような行為だよね、これ?」
「じゃあお前、マーゥルにクレーム入れてこい」
「やだよ、怖いもん!」
怖いもんって……こんな領主で、四十二区の未来がちょっと心配だよ、俺は。
マーゥルが上品に口を開け、アンパンを目掛けて小さなジャンプをする。
が、ミス。
アンパン、ぷら~ん。
「あら、結構難しいのねぇ。えい! えい!」
「………………ぷりちぃ」
跳ねるババアに見るジジイ。
踊らにゃ損々、か? なんだこの光景。
「テレサ。一番向こうのコース行ってみろ。メロンパン、さくさくのふわふわで美味いから」
「さくさく? ふぁふぁ?」
一瞬矛盾していそうな相反する二つの擬音に、テレサの顔がぱぁあっと輝く。
確かめてみたい。そんな好奇心に満ちた顔だ。
「おねーしゃ! あっち!」
「お……おぉ、そ、そうだな! 行くぞテレサ!」
「うん!」
バルバラの手を引いて走り出すテレサ。
走ることは怖くないらしく、迷いなく駆けていく。
「デリアちゃ~ん! 私もパン食べた~い! あっち、あっちのパン狙おう☆」
空気を読めるいい女、マーシャ。
アンパンに飛びつくマーゥルと、それを見守るドニスを避けて、残った一つのパンへと向かうように指示を出す。
「マーシャ。そのパンの中身、シュークリームに使ってるカスタードだから……ヤバいぞ?」
「きゃはぁ☆ それは期待が高まるねぇ」
デリアが抱えるタライの中で尾びれをびったんびったん跳ねさせるマーシャ。
テンションが上がってんのは分かるが、デリアがびしょびしょになるからやめてやれ、な?
「……いや、待てよ。濡れた体操服ってのも……」
「ナタリア。何か目隠しできる布持ってきて」
「では、トレーシー様のさらしを……」
「それはダメだ! ヤシロが狂喜乱舞してしまう!」
そんなこんなをしている間に、マーシャが器用にキャッチ!
続いてテレサも揺れるメロンパンをゲットした。
……まぁ、テレサの方は事前に取りやすくしておいたんだけどな。マーゥルがアンパン狙いだって分かった時点で、テレサにはメロンパンを狙わせるって決めてたし。
「まぁ~、柔らかいのねぇ」
マーゥルも見事にアンパンを口でキャッチし、その柔らかさに感激の表情を浮かべている。
こっちも、ロープを長めにして、それから少しだけ揺れにくく細工して難易度を落としてある。
「それじゃあDD、お先にね」
「はっ!? しまった、うっかり出遅れてしまった!」
完全にマーゥルに見惚れていたドニスが慌ててジャムパンにかぶりつく。
ミス!
ピカッ!
こら、ドニス! かがむな! 太陽光が反射する!
「早くしないと『待て待て~』が出来ないぞ」
「ふんンぬっ!」
忠告した瞬間、パンを一発で咥えやがった。
……なんなの、その急成長。時間制限の中で真の力に目覚めたとでもいうのか? パン食い競走の? しょーもない能力の開花だな、おい。
「ふふふ……ま、待て待て~」
決してマーゥルには聞こえない程度の小声で呟いて、ドニスが嬉しそうに駆けていく。
浜辺でやれ。で、観客のいないところでこっそりやってくれ。
「……特別枠、時間食いそうだな」
「そうですね。少し巻きましょう」
というわけで、四十区のデミリー、二十四区教会のシスターバーバラ、二十三区領主のイベール、三十五区のアゲハチョウ人族シラハらが第二走者として走った。
なんやかんやあって、イベールが勝った。大して盛り上がらないレースだった。
「さぁ、次だ次!」
「もうちょっと興味持ってくれないかね、オオバ君!? 私たちも結構頑張っただろう!?」
「心配すんなよ、デミリー。お前が一番輝いていたぜ☆」
「頭皮を見つめながら言わないでくれるかい!?」
まぁそうだな。
特筆するとすれば……シラハの「おかわりぃ……」が久しぶりに聞けたな。
……あいつ、新しいパンの登場でまた太ったりしないだろうな? どきどき。
その後、シラハの旦那のオルキオや、狩猟ギルド本部のアルヴァロなんかが出場し、皆一様に新しいパンの味と食感にド肝を抜かれていた。
これで、四十二区以外にも新しいパンの噂は広まることだろう。
お広まりなさい、お広まりなさいな。……ふふふ。
そうして迎えた特別枠最終レース。
最後の最後になって、面倒が降りかかってきやがった。
……途中からエステラがこっちに来て、妙~にニコニコしていたから引っかかってはいたんだが……こういうことか。
「ふふふはははは! 勝負だ、オオバヤシロ!」
ゲラーシーが俺を指差して宣戦布告を突きつけてきやがった。それはそれは、なんとも楽しそうなキラッキラした表情で。……はぁ。……ため息も零れるっつぅの、まったく。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!