「モリーさん。お部屋の用意が整いました。何もない客室で申し訳ありませんが、ご自分の部屋だと思って寛いでくださいね」
陽だまり亭の営業時間が終わり、後片付けが完了間近になったころ、ジネットがひょっこりと厨房へ戻ってきた。
日中はあちらこちらと歩き回って、客間の準備が出来ていなかったのだ。
……体重量ったのが結構キテたらしい。普段のジネットならこういうの忘れないのにな。
「すみません、店長さん。急なことなのに何から何までお世話になってしまいまして」
「いいえ。モリーさんに閉店作業を手伝っていただけて、こちらも助かりましたから」
モリーはこちらの指示に従って、実にてきぱきと閉店作業を行ってくれた。
明日から本採用してもいいくらいの仕事ぶりだ。
慣れ不慣れ以前に、要領のいい仕事の仕方が身に付いているんだろうな。こういうタイプの人間に仕事を教えるのは楽しい。育ててみたくなるタイプだ。
「う~ん……」
湯浴み用の湯を沸かしている鍋を見つめながら、ロレッタが腕組みをしつつ首を傾げている。
「何悩んでんだ。ロレッタ」
「いえ、一緒にお泊まりする以上、モリーちゃんにも相応しいあだ名が必要だと思っているですけど、なかなかいいのが浮かばなくて……」
「モリリっちょじゃないのか?」
ロレッタのセンスならそうなるんじゃないのか。マグダっちょにミリリっちょだろ?
「それだとミリリっちょとダダ被りですから、ここは一つ、新しい発想で相応しいあだ名を……と、頭をひねっているですけど……」
「あのぉ、無理につけていただかなくても、大丈夫ですよ?」
「なんでです!? えっ! あたしと仲良くしたくないです!? 迷惑ですか!?」
「いえ、あの……是非、お願いします」
モリーが最大限に空気を読んで極限まで譲歩してくれたようだ。
ついさっきまでは思ってなかったかもしれないけれど、たった今「ちょっと迷惑かも」って思われたんじゃないか、今の流れ。
「はっ!? 閃いたです!」
「じゃ、それ以外の候補を考えてみようか」
「なんでです!? とりあえず聞いてです! ちょっといい感じのヤツ思いついたですよ!?」
ロレッタの閃きほどあてに出来ないものもないからなぁ……
「とりあえず言ってみろ」
「パシいもっちょです!」
「あの、ロレッタさん……私のあだ名に兄ちゃん絡めるのは……出来たら全力でやめていただきたいんですけれども」
「えっ、ダメですか!?」
「おい、ハム摩呂(姉)」
「むぁああ! なるほど、そーゆー感じですか! お兄ちゃんの指摘で痛いほど分かったです!」
「分かっていただけて安心しました。……ヤシロさん、咄嗟に的確に急所を突く発想が出てきてすごいですね」
変なところで感心されてしまった。
ロレッタの考えそうなことくらい想像しやすいから、これくらいは誰にでも出来ると思うけどな。
「う~ん…………もりもりもっくん」
「やめてください」
ロレッタ、隣見てみろ。ものっすごい真顔で見られてるぞ。
モリー全力の拒絶だ。ほら、もう目も離そうとしなくなった。お前が変なあだ名つけないか監視する体勢だぞ、それは。
「……モリりん、いや、モリりりーん!」
「なぜモリりんが却下されたのか、ちょっとよく分からないんですけれど」
「モリーちゃんの可愛らしさが表現しきれてない気がしたです!」
「たぶん気のせいだと思いますし、私に可愛らしさはそれほどありませんよ」
「そんなことないです! モリーちゃんはミリリっちょに通じる可愛らしさがあるです!」
「じゃあモリリっちょでいいです。お揃い、嬉しいですし、私ミリィさん好きですし」
ロレッタ。今のモリーの言葉を意訳すると「もうそれでいいから、これ以上しょーもないこと考えるな」だぞ?
妙なあだ名を付けられる前に、妥協できるところで手を打ったっぽいな、あれは。
「ほら、ロレッタさん。お湯が沸きましたから、モリーさんと一緒に運んでください」
「任せてです、店長さん! モリリっちょ、お湯を持っていって背中流しっこしようです!」
「え、私一人で湯浴みできますけれど……」
「遠慮しないでです! 一緒に働いたウェイトレス仲間ですから!」
モリーの背中を押して、意気揚々と中庭へと出て行くロレッタ。
廊下がみしみしいってドアが閉まり、最後の最後までモリーがちらちらとこちらに視線を寄越していた。
……つか、お湯、持ってけや。
「うふふ。ロレッタさん、嬉しそうですね」
「マグダがもう寝ちまったからな。かまってほしくて仕方ないんだろう」
モリーが泊まると聞いた時点で、当たり前のようにロレッタも泊まることに決まっていたらしい。
「お湯忘れたです!」
ばたばたと駆け戻ってきたロレッタが、でかい鍋から桶にいっぱいのお湯を汲み再び出て行く。
あの熱湯をたらいに移して、あとは水で薄めていい湯加減にするのだ。
「ヤシロさんはどうされますか、お湯?」
「モリーがいるからなぁ、上に上がるのはもうちょっと後にするよ」
「では、こちらでお湯浴みできる準備を整えますね」
「俺のことはいいから、お前も湯浴みをしてこいよ。今日は汗かいたろ?」
「そうですね。では、お先にいただきますね。……ヤシロさん、ご自分で出来ますか?」
「心配すんな……って、いっつもマグダにやってもらってるから心配されるのか。大丈夫だよ」
「熱いですから気を付けてくださいね」
「子供か、俺は」
「うふふ」
ジネットが「では、お先です」と熱湯を桶に汲んで中庭へと出て行く。
みしっ、みしっ、ぎぃぃい……ばたん。
うん。さっさとウーマロに直してもらおう。床とドア。あと中庭に屋根。ついでにあの急な階段に、俺の部屋。あとは……あ、階段以降はまだ交渉前か。さて、何を餌につろうか……とりあえず、湯浴みが楽になる環境が欲しいなぁ。風呂とまでは行かなくてもさ、蛇口をひねればお湯が出るくらいの環境はさぁ……ウーマロ、何かアイデア持ってないかなぁ。『マグダいいこいいこ券』でも作れば、あいつ給湯器くらい発明できんじゃねぇの? 無理か? 無理なのか? かー、使えねぇ。
そんなことを考えながら、めったに閉めない中庭へのドアの鍵を閉める。
ほら、なんかの間違いで俺の湯浴み中に誰か入ってきたらマズいからな。俺が見られたのに俺が悪者にされかねない。いつの世も、エロスハプニングの加害者は問答無用で男に擦りつけられるものなのだ。自衛、自衛っと。
フロアのテーブルを少し移動させてスペースを作り、たらいを床に置く。
そこへ桶いっぱいの熱湯を注ぎ入れ、水瓶から持ってきた水で薄めていく。……井戸まで微妙に遠いんだよ。外だし。
「さて、さっさと済ませるか」
一日中足を圧迫していたブーツを脱ぎ、伸縮性に乏しい靴下を剥ぎ取ると、素足が解放感に包まれる。
と、その時、施錠を忘れたホールのドア、陽だまり亭の入り口のドアが開かれた。
あ、ヤベ。あっち忘れてた。
「きゃー!?」
と、悲鳴を上げたのは、……ハム摩呂だった。
「何が『きゃー』だ」
「言わなきゃいけない気がしてー!」
どこで覚えてくるんだ、そういうの。あぁ、そうか。薬剤師ギルドか。あの歩く有害資料庫め。
「おねーちゃんの寝巻き、お届けー!」
「お前一人で来たのか? 夜道は危ないだろ」
ここの姉弟、結構小さいガキの扱いが杜撰なんだよな。
連れ去られるぞ。
特に今日は、イメルダの家にルシアもいるのに。
「ハム摩呂。教会より向こうには行くなよ。帰ってこられなくなるから」
「すっぽんぽんオジサン?」
「そんなオジサンは存在しない」
「……え?」
こらハム摩呂。
俺を凝視するな。
両手で両目をこしこしこするな。
で、再び俺を凝視するな。
俺、ソレじゃないから。
「じゃー、今日はおねーちゃんと一緒に寝るー!」
「あぁ、待て。今日はモリーがいるから」
「じゃあ、店長さんと一緒に寝るー!」
「まぁ、待て、ハム摩呂。俺の部屋で寝ようか、な?」
「うんー! お兄ちゃんのベッド占領するー!」
占領すんじゃねぇよ。とか思いながら、いつの間にかハム摩呂の小さな頭を鷲掴みにしていたことに驚いた。
おや、いつの間に?
あぁ、そうか。
ハム摩呂にベッドを占領されたら俺の寝るところがなくなるから、俺こそがジネットと一緒に寝れば万事丸く収まるのか、うんうん。
「ベッド、占領していいぞ」
「わーい! もう眠いー! 半分寝てるー!」
両手を上げながら厨房へと駆け込んでいくハム摩呂。
廊下をみしみし言わせた後、ドアをがっちゃんがっちゃん言わせている。
「未来を閉ざす、新手の呪いやー!」
「……んな呪いはかかってねぇよ」
滅多に閉められない鍵ゆえに、ハム摩呂はその存在を認識できないらしい。
やれやれ。
裸足でぺったぺったと廊下を歩き、鍵を開けてハム摩呂を見送る。
中庭から見上げれば、二階はすでに静かになっていた。
もう寝たってことはおそらくないだろうから、現在は湯浴みの真っ只中ってところか。
湯浴みの後はもう降りてこないだろう。濡れた髪に、この外気は寒過ぎる。
ハム摩呂がどんな行動に出るか分からないし、トイレもフロアにあるし……
施錠するのはやめて、フロアへと戻る。
折角張ったお湯は、なんだかもうぬるま湯になっていた。
鍵もないし、なんかもう疲れたし……
「足湯でいいかな、もう」
裸足で歩いたせいで足の裏が真っ黒だ。
この汚れだけ落として、今日はおしまいにしよう。一日二日風呂に入らなくても死にはしない。
どうしても我慢できなければ昼間に体を拭くくらいは出来る。
そう考えたら一気に面倒くさくなった。
手近な椅子を一脚持って、たらいのそばに腰を下ろす。
お湯に足をつけると、じんわりとした温もりが全身に伝わってくる。
あぁ……気持ちいい。
やっぱ浴槽欲しいなぁ……エステラの家にはあるんだもんなぁ。出来なくはないんだよなぁ。
まぁ、沸かすのがすげぇ面倒だけど……
取りとめもないことをぐるぐる考えているうちに、俺の意識は徐々に薄らいでいった。
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