異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

262話 ブロッケン現象 -1-

公開日時: 2021年5月12日(水) 20:01
文字数:3,906

 ブロッケン現象。

 

 山岳地帯や霧の多い地域で稀に見られる現象で、背後から日光が差し込むことで物体の影の周りに丸く虹が架かる現象のことを言う。

 飛行機に乗っている時に、雲に映る飛行機の影が丸い虹に囲まれているとか、朝靄立ちこめる山の頂で、自身の影が虹を背負って後光が差しているような神々しさを放っているとか、そんな話はいろいろ聞かれる。

 

 また、それに付随し、自身の影を『別の何か』と見間違えてちょっとした騒ぎが起こったりもするようだ。

 所謂『ゴースト』、幽霊と見間違えられることもあるらしい。

 

「見てください、ヤシロさん。畑にわたしの影が立っていますよ」

 

 霞が立ちこめる四十二区。

 ジネットが日光を背に浴びて、モーマットの畑に浮かぶ自身の影に向かって両手を振っている。

 影もジネットに倣い、同じポーズで手を振り返している。

 

 静かに風が吹き、霞が流れると、そこに映っていた影はゆらりゆらりと波打つように形を変える。

 

「あ、これだったんだ。踊ってるように見えたの」

 

 パウラが納得の声を上げる。

 両手を上げて踊るモーマットと、その隣に立って気をつけのままで体を揺らしていた謎の人影は、誰かがそこにいると思って両手を上げて挨拶していたパウラと、その隣に立っていたネフェリーの影だったのだ。

 それが霞に映り、風に揺れてくねくねと踊っているように見えたというわけだ。

 

「……ってことは、あたし、モーマットさんと自分の影を見間違えたってこと……」

「パウラさん、また太ったですか?」

「太ってないわよ! デリア体操、毎日してんだからね!」

 

 霞は毎秒形を変える不確かな存在だ。

 そこに映る像は、スクリーン代わりの霞の動きに合わせて揺らめき、大きくも小さくもなる。

 あと、光の浴び方によって、実物よりもかなり大きな影が映し出されることもあるのだ。 

 

 なので、別にモーマットと見間違えたからといって、パウラが小太りというわけではない。

 畑にいるのはモーマットって先入観もあっただろうしな。

 

「では、凄まじい速度で移動したように見えたのは、霞が晴れて、その奥の霞に影が映ったから、というわけでしょうか?」

「そういうことだろうな」

 

 風に流される霞は、同じ密度で広がるわけではない。

 濃度の濃いところも薄いところもある。

 濃いところには影がはっきり映るし、薄ければそこでは像を結ばないこともある。

 光は同じ方向から差しているわけだから、スクリーンが遠くなればその分影は小さく見えるし、実際に遠くに像を結ぶ。

 

 それが、瞬間移動さながらの高速移動に見えたのだろう。

 急接近してきたように見えたのも同じ理由だ。

 

「なるほどね。だから、西から東へ向かっていたデリアは『追いかけられた』と思い、東から西へ向かっていたボクたちやパウラたちは、道の向こうに誰かいると錯覚したんだね」

「だろうな。朝陽は東から射してくるしな」

 

 俺の説明を聞いているのかいないのか、そこにいた面々は皆、自分の影を霞に映してブロッケン現象を起こそうと躍起になっていた。

 

 なかなか成功してないみたいだけど。

 

「けど、こんなの初めて見たよ」

「俺だって、実際に見るのはすげぇ久しぶりだ」

 

 過去に目撃したのは二度。

 親方と山に登って山頂で一泊した時と、吹雪の日に国内線の飛行機の中から見た時の二回だけだ。

 

「背後から光を受けるって条件が難しいからな。本来は、こんな崖の下でほいほい見られる現象じゃねぇんだよ」

「では、今年これを見られたわたしたちは幸運なんですね」

「……では、大至急教会へ行ってくる」

「そうです! 子供たちにも見せてあげたいです!」

「よし! あたいも一緒に行ってやる!」

「顔ぶれが不安しかないから、アタシも付き合うさね」

 

 言うが早いか、四人は物凄い速度で駆けていった。

 日が昇ってしまう前でなければ見られない。

 霞がなくなれば見られない。

 そんな説明をしたからだろう。

 

 マグダもロレッタもデリアも、大急ぎでガキどもに教えに行くつもりらしい。

 で、そんな三人を野放しには出来ないと、ノーマが同じ速度で駆けていった。

 うん。今年、ノーマを呼んでおいてよかった。

 

「では、わたしたちも行きましょうか」

「朝飯、まだなんだけどなぁ」

「では、食材を持っていって教会でいただきましょう」

「結局寄付に行くのかよ……」

 

 日が出ているので、教会の飯はもう終わっているかもしれない。

 厨房と談話室を借りて、俺たちだけで飯を食わせてもらおう。

 見返りとして、教会の雪かきを手伝わせればいいだろう。ウーマロやベッコあたりに。

 

「では、ソリを用意してきますね」

「ジネット氏! 拙者も手伝うでござる」

「ワタクシも行かなければいけないのですわね?」

「朝飯が遅くなってもいいなら、陽だまり亭で待っててもいいぞ」

「行きますわ。一人で留守番など、退屈ですもの。ただし、雪道を歩くのは苦手ですので、ソリに乗せてくださいまし!」

「うん。途中で落としたらごめんね」

 

 にっこりと笑うエステラ。

 わぁ、こいつワザと振り落とすつもりだ。

 そんなことをやり始めると、デリアとかロレッタがマネし始めて飯がどんどん遅くなるぞ。やるなら、飯の後でな。……って、なんか母親みたいだな、俺。

 

「しまった。力持ちが全員先に行ってしまった」

「しょうがないよ。みんなで分担して荷物を運ぼう」

 

 ネフェリーが慰めるように俺の肩を叩く。

 ネフェリーとパウラは獣人族だけれどパワーはない。

 ベッコもそうだし、マーシャは歩行すら出来ない。

 イメルダとジネットは荷物運びには向かないし、頼れるのはナタリアとエステラか。

 

「じゃあ、エステラはマーシャとイメルダを頼むな」

「待って! ボク食材運搬係がいい!」

「『ナイチチペッタン号』! 早くソリをお曳きなさいまし」

「わぁ~、エステラ、馬車のお馬さんみた~い☆」

「そんな名前の馬はいないよ!」

 

 エステラと仲良しなマーシャとイメルダ。

 雪を投げつけ合ってじゃれている。

 

 ……ふふふ。これでエステラは進んで食材を積んだ重いソリを曳くことだろう。

 単純に「ソリを曳くのを手伝え」とか言ったら「えぇ~」とか文句を言うんだ、あいつは。

 だが、今回は自分から「食材のソリがいい!」と立候補したわけだ。

 これで、張り切ってソリを曳いてくれるだろう。

 

「見事な手腕です、ヤシロ様。今後、活用させていただきます」

 

 ナタリアには、俺の思惑が伝わったらしい。

 存分に活用するがいい。

 

「ウーマロ。ソリを荷物用からマーシャ用に改良できるか?」

「水槽ッスか?」

「そんなもん積んだら、ここにいる誰にも曳けなくなるだろうが。座席でいい。さすがに、木の板に座らせるのは可哀想だから、ちょっとした椅子を付けてやってくれ」

「わぁ~、ヤシロ君やさしぃ~☆」

「ちなみに、何かリクエストはあるか?」

「ウロコが傷んじゃうとイヤだから、柔らかい座席がいいなぁ~☆」

「では、毛布をお持ちしますね」

「濡れてもい~の?」

「構いませんよ。今年は、毛布をたくさんご用意しましたから」

 

 確かに、陽だまり亭でもいくつか買い込んだが……

 こっそりとイメルダに借りている毛布を使おう。そうしよう。

 

「イメルダ。相乗りでいいよな?」

「構いませんわ」

「うふふ~。木こりのお嬢様と、愛のらんでぶ~☆」

「もれなく一人、ソリ係がついてくるけどな」

 

 駆け落ちしても一人余分なヤツが付き添うことになるぞ。

 

「それじゃあ、五分で仕上げるッス!」

「あたし何か手伝おっか?」

「ぅへぅい!? じゃ、じゃじゃじゃ、じゃあ、い、椅子の座り心地の、調整を、おおおお、おねががががいがいがー!」

 

 んばっと逃げ出すウーマロ。

 まだダメか。

 パウラとは、そこまで会話してないからなぁ。

 

「え~っと、何すればいいって言ってた?」

「マーシャと一緒に椅子の調整すればいいんだって。ほら、私も手伝うからやっちゃお」

「すまないねぇ~、二人とも~☆」

「嬉しそうな顔しちゃって」

「嬉しいんだも~ん☆」

 

 マーシャがパウラやネフェリーと楽しげにしゃべっている。

 なんとなく新鮮な風景だ。

 なんだかんだ、水槽荷車という枷があるから、向こうから近付いてこない者とは会話がしにくいマーシャ。

 今回はいろいろ特殊な環境だから、距離も近付くだろう。

 

 ウーマロの宣言通り、ソリの改良は五分で終わり、山盛りに食材が積み込まれたソリを、エステラがえっちらおっちらと曳き始める。

 マーシャとイメルダの『お荷物コンビ』を乗せたソリはナタリアが曳く。

 

 俺たちは、ソリ係が疲れた時の交代要員だ。

 ジネットは飯係なので、疲れさせるわけにはいかないけどな。

 

 そうして、雪のせいで普段の五倍くらいの時間をかけて教会へたどり着くと――

 

「うはぁあ! 見てです! あたしの影、すっごい大きく映ってるです!」

「体も態度もデカい、巨大姉やー!」

「「「ロレッタねーちゃん、すげぇーーー!」」」

「「「普通にすげぇー!!」」」

「誰です、今『普通』って言ったの!? 聞こえてたですよ!」

 

 ――教会の前がお祭り騒ぎだった。

 あ~ぁ、まだ雪かきも終わってないのに、雪まみれになって……

 

「シスター!」

「ジネット。おはようございます。ヤシロさんも、みなさんも、おはようございます」

「「「おはようございまーす!」」」

 

 笠地蔵よろしく、食い物の山をソリに乗せてやって来た俺たちを、ベルティーナは歓迎してくれた。

 事情を説明して、厨房と談話室を貸してくれないかと頼む。

 

「すみませんが、こちらで朝ご飯を食べさせてください」

「では、一緒にいただきましょう」

「シスターも朝食がまだなんですか?」

「いいえ。先ほど済みましたよ」

「食べたのに、ですか?」

「はい。一緒にいただきましょう」

 

 笑顔のベルティーナと、腹ぺこの俺たち。

 競走したわけじゃないけれど、より多く食べたのは、やはりベルティーナだった。

 

 

 

 

 

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