「カタクチイワシ。シラハ様は一度館に戻られるデスカラ、お前たちも休憩すればいいデスヨ」
同じく裏方のニッカが俺の前へと降り立つ。
まぁ、20センチくらいしか浮いていなかったわけだけども。
「第二公演が近くなったらまた呼びに行くデスカラ、好きなところで時間を潰すといいデスヨ」
「俺らも館に戻って一服するよ」
「なら、お茶くらいは出してやるデス。お前のは出がらしデスケド」
ニッカが高圧的な笑みを向けてくる。
こいつは…………
睨み返すとべーっと舌を出された。
嫌われているのは変わらないようだが、拒絶されるようなことはなくなった。
むしろ、あれやこれやと話しかけてくるようになっていた。
段取りにしても、こちらの意見を尊重するようになったし、細かいことでも逐一確認しに来る。すべてはシラハのため……とはいえ、これは結構な変化だ。
「なんだか、随分と協力的になったよな、お前ら」
「何かモンクあるデスカ?」
「い~や。やりやすくて助かるよ」
「フンッ……デス」
不機嫌そうな顔をしているが、さほど怒っているわけではないようだ。
「……あんなに幸せな顔、初めて見たデスカラ」
それはもちろん、シラハを指しての発言だ。
ニッカやカールはまだまだ若い。
幼い頃からずっとシラハのそばにいて、シラハにはどう接するべきかを一族の者たちに教え込まれ、それを疑うことなく実行してきた。
長年、シラハの一番近くにいて、シラハのために生きてきた。
けれど、心の底からの笑顔は見たことがなかった。
「ワタシたちは……間違っていたデスカネ?」
「それを決めるのは、これからのお前たち自身だ」
人生に『if』は存在しない。
過ぎた時間は戻せないし、そこで行ってきたことも消せはしない。
その行いを『間違っていた』と嘆いて現実から目を逸らすならば、過去は無駄だったことになる。
だが、これまでの時間が未来に繋がれば……あの時間があったからこそ、今があるのだとそう思えるならば、多少やらかしちまったとしても、それは『間違いだった』とは言えないんじゃないか?
過去なんか、どんなに足掻いたってどうすることも出来ない。
消すことも、誤魔化すことも。
ならせめて、未来がプラスになるための糧にしてやればいい。役に立てるなら、失敗だって捨てたもんじゃない。
「シラハ様は、オルキオ氏に会えなかった時間をどんな気持ちで過ごしていたのデスカネ……?」
自分たちがよかれと思いやってきたことが根底から覆された今、こいつらの足元はぐらついて不安定になっている。下手をすれば二度と立ち上がれなくなるかもしれない。
そんな不安を抱えたままで、シラハのそばに置いておくわけにはいかない。
「自分たちがいない方がよかったのではないか」なんて思い始めているこいつらを見たら、シラハは自分の幸せを後ろめたく思ってしまう。
困るんだよ、それじゃ。
どいつもこいつもひっくるめて、底抜けにハッピーになってくれないと。
こっちは結婚式を定着させようとしてるんだ。
今回関わった連中は、一人の例外もなく、頭の先からつま先まで幸せ満開でいてもらわなければいけない。
結婚式ってのは最高に幸せなものだと、大々的に宣伝するんだからな。
俺の利益のために、お前らの不幸は俺が没収する。
「俺には正解は分からんが、一つだけ言えることがある」
触角を揺らしながら顔をこちらに向け、ニッカは決壊寸前の瞳を瞬かせる。
「お前たちと過ごした時間、シラハは不幸なんかじゃなかった。それは確かだ」
「な……なんでそんなこと言えるデスカ? お前なんか、ちょっとしか会ったことないくせに……知った風なこと言うなデス……」
「じゃあ聞くが、シラハはお前たちにつらく当たったことはあるか? 邪険にされたことは? 怒鳴られたことは? 無視されたことは?」
「そ、そんなこと、一度もないデスヨッ! シラハ様はそんな酷いことする人じゃないデス! シラハ様は、いつも優しくて、ワタシたちにもとてもよくしてくれるデスカラッ!」
「ならそれが答えだろ」
「へ…………?」
「自分を不幸に陥れるヤツに、人は優しくなんて出来ない。お前だって、役目ってだけじゃなくて、シラハが好きだから尽くしてきたんじゃないのか?」
「そ、そう……デス。ワタシたちはみんな、シラハ様が大好きで……お役に立ちたくて……」
「それが分かっているから、そんな連中がそばにいてくれることに、シラハは幸せを感じていた」
ぼとりと、ニッカの瞳から雫が落ちる。
今日一日、俺たちと会ってからずっと、ニッカは忙しく走り回っていた。
それは、ややもすると不安にのみ込まれそうになる心を守るために、余計なことを脳が考えないように、無理やりそうやって動き回っていたのだろう。
大好きな人を、自分たちが不幸にしていたかもしれない。そんな不安が拭い去れなくて。
「そん……なの…………分かんないデス……だって、シラハ様が本当はどう思ってるかなんて………………」
「お前は他人から寄せられる好意に鈍感過ぎる」
「な、なんでデスカッ!? そんなことないデスヨッ!」
「こんな間近で好き好きビーム出されても気が付かないんだもんな」
ちらりとカールを見ると、大慌てで腕を『×』と交差させていた。
言わねぇよ。バラしゃしねぇし、どんなに匂わせたってこいつは気が付かねぇよ。
「わ……分かんないデスカラ……人が好意を寄せているとか…………そんなの、不確定で、ちゃんと聞かないと……分からないデスカラ……」
「じゃあ何か? お前は、『目が大きくて可愛いから好きだ』とか『元気いっぱいで、そばにいると楽しいから好きだ』って、いちいち言われなきゃ信用できないのかよ?」
「なっ!? ……な、んデスカッ、急に!? バ、バカデスカッ!?」
別に俺が告白してるわけじゃねぇよ。
そういうの、空気で感じるだろって話だ。
「あ、この人、私のこと好きなんだろうな」って、そういう空気感じたことねぇのかよ。
「シラハに、いちいち全部、『今幸せよ』『それ嬉しいわ』って言わせたいのか?」
「う…………出来、れば…………」
こいつは面倒くさいヤツだな。
虫人族の面倒くささが凝縮されたような性格をしてやがる。
なんとなくだが……こいつを納得させることが出来れば、虫人族たちの持つ人間に対する偏見は克服できるような気がする。
こいつはそのモデルケースってわけだ。
ならやってみるか。
言葉を使わない、最も簡単な意思伝達方法を。
一度でも感覚を掴めば、こいつだって分かるだろう。
気持ちを伝えるのに、言葉はそれほど必要じゃないってことに。
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