「『精霊の審判』対策の指導……ですか?」
早朝、陽だまり亭の食堂内にて、野菜を卸しにやって来たアッスントが俺の質問を復唱する。
こいつも、相当『精霊の審判』には神経を尖らせてきた男だ。同じことをやっているようなヤツに心当たりがないかと思って聞いてみたのだが。
「そんなもの、それなりのギルドであれば当然のように行われていますよ」
「どこでもか?」
「名のあるところほど、入念に」
ギルドの組合員からカエルが出るということは相当に不名誉なことらしく、教育の一環としていろいろ叩き込まれるらしい。……社員に英会話を教える企業みたいなもんか? まぁ、俺の知る限り組織が強要したスキルアップ講座での成功例なんてほとんどないわけだが。
「『ライバルに出し抜かれないための教育』と…………『ライバルを出し抜くための教育』は、徹底して行いますね」
「おっかねぇ話だ」
「もっとも、ウチの行商ギルドなどは控えめな方ですけどね」
「嘘吐けよ。カエルにすんぞ」
「ほっほっほっ。それは四十二区では御法度ですよ」
あぁ、そうか。
こいつまだ気付いてないんだ。俺がお前に『精霊の審判』をかけられる状況だってこと。
エステラの方が鋭いってことかなぁ、これは。
「ヤシロさんなら、とっくにお気付きでしょうが……アルヴィスタンが完璧だと盲信する『精霊の審判』には穴が多い。ですので、こちらが十分な自衛をしていないと思いがけない損害を与えられることがあるんですよ」
「まったく……ろくでもないな、精霊神ってヤツは」
こんな不完全な上に回避不可能なもんを無責任に撒き散らしやがって。
「口にはお気を付けください。あなたが刺されでもしたら、何かと不利益を被りますので」
「利益で人の命を量るな」
「おや? ヤシロさんとは同類のつもりでいるのですが?」
笑えない冗談だ。
「しかし、精霊神様のおかげで苦労をさせられることが多いのは、悲しいかな、事実ではありますね」
「目の前にいたらお尻ぺんぺんしてやるのによぉ」
「ふふふ……オイタが過ぎますと、天罰が下りますよ」
「んじゃあ、お尻なでなでにしとく」
「…………天罰まったなしですね」
やれやれと肩をすくめるアッスント。
こいつもアルヴィスタンではあるんだよな。ただ、ジネットほど敬虔ではないようだが。
「ヤシロさんとお話をすると、毎度新しい発見をさせられます。精霊神様にお尻ぺんぺんとは…………ふふふ」
「バカなことをやったらお仕置きされるのは、神も人間も精霊も関係ないだろう」
「いえいえ。それよりも、精霊神様をまるで我々と同じように存在していると捉えているあたりが面白いなと思いまして」
神様を信じるかと聞かれれば、素直に「イエス」とは言いにくいところだが、こうまではっきりとその力を見せつけられ続けていれば「まぁ、いるんじゃねぇの」くらいには認識は変わるものだ。
「アッスントは精霊神は存在しないと思っているのか?」
「そんなことはないですよ。精霊神様は存在しておられます。確実に。ただ……」
籠から形のいい大きなトマトを取り出し、それを手の上で弄ぶ。
「このように触れることは敵わないと思っています。言うなれば、精霊神様は幼き日に食べたカボチャのスープなのです」
「カボチャのスープ?」
こいつは何を言っているんだ?
「申し訳ありません。たとえが分かり難かったですね」
くつくつと笑い、アッスントは手振りを交えて説明を始める。
「カボチャのスープは私の大好物でして、幼い頃の私はそれが世界で一番美味しい物だと思っていたのです。ただし、我が家は貧しかったために、一年に一度ほどしか口には出来ませんでした」
アッスントは子供のころ貧乏だったのか……
それで金に執着するようになったのかねぇ。なんにせよ、今は立派に稼げるようになったんだから、こいつの人生は成功した部類に入るだろう。
「目を閉じれば思い出されます。あの色、香り、味、そして、あの温かさ……」
まぶたを閉じたアッスントが、脳内に浮かんだスープに触れようとでもしているのか、腕を伸ばし何もない空中に手をさまよわせる。
「その存在を認識し、姿形も鮮明にイメージ出来る。けれど、決して触れることは敵わない。なのに、この場所になくとも私はカボチャのスープが好きだと自信を持って言えます。つまり、精霊神様とは人々にとってそういう存在なのですよ」
「分かり難いたとえ話だ」
また、アッスントがくつくつと笑う。
まぁ、偶像崇拝なんてのはそんなもんなのかもしれない。
「有る」と言われた物を己の心と頭の中で具現化し、崇拝する。ただ、個人の頭の中にしまい込んだもの故に各々が勝手にカスタマイズしてしまうことがあるのだけどな。
自分の都合のいいように。
「それを、まるで人間と同じような扱いで……ふふ、ヤシロさんの国の神様は人間に混ざって同じ世界に暮らしておいでなのですか?」
「そんなことはないけどな」
なんだろう……これは小馬鹿にされているのか? 褒められては……ない気がするな。
そんな深く考えたことはなかったが……
「でももし、精霊神が凄まじい巨乳だったら、とりあえず揉むだろ?」
「……いえ、恐れ多いことです」
「爆乳なら?」
「ランクの問題ではないです」
なんだこいつ!? つるぺた派か!?
「それに、私には妻がおりますので」
「はぁっ!?」
思わず『精霊の審判』をかけそうになった。
妻!? え、細切りの大根? アッスントの家のベッドに細切りの大根が敷き詰められていて「私のツマです」なんて場面が思い浮かんだ。いやいや「私とツマです」だろ、それじゃ。
「アッスント……脅迫は重大な罪だぞ」
「あのですね……こういうことを言うのは口幅ったいのですが……妻の方から熱烈なアプローチを受けまして」
「せっ『精霊の……』っ!」
「待ってください! やっていただいても問題ないのですが、ヤシロさんが率先して協定を破るのはどうかと思いますよ!?」
いざという時の切り札を切る場面は、ココじゃないのか!? 今だろ、俺!?
「つか、アルヴィスタンが結婚とかしていいのかよ?」
「この街の人のほとんどがアルヴィスタンなのですよ? 結婚を禁じてしまっては滅びてしまうではないですか」
あ、それもそうか。
「そういうことを気にするのは、教会関係者だけでしょうね。我々一般庶民は日々精霊神様に感謝する程度ですよ」
「んじゃあ、ジネットも別に気にする必要はないんじゃないのか?」
「そうですね。教会で育った方は多少そのような思考になりがちですが……問題はありませんよ。シスターベルティーナであっても、それを誰かが咎めるようなことはありません」
ベルティーナも結婚していいんじゃん。結構ゆるいんだな、こっちの宗教は。
「なんですか? そろそろそういうことを考え始めるほどに進展がおありになったとか?」
「ばっ! バカ! ねぇよ、なんも!」
「そうですか……ですがまぁ、時間の問題でしょうね。ほっほっほっ」
「……ふん」
言ってろ。
……………………全っ然意識とかしねぇから! 無視だ無視。
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