異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

260話 来年のことを言うと嬉し涙する -3-

公開日時: 2021年5月8日(土) 20:01
文字数:4,423

 ウーマロが朝飯を食い終わり、陽だまり亭のフロアが十分に温まったところで、ジネットがマグダを起こしに行った。

 

「……おはよう」

 

 ジネットの腕に抱かれ、ストールに包まれたマグダ。

 盛大に甘やかされてるな。そこまで耐えられないほど寒くもなかっただろうに、外。

 

「はぁぁ……寝起きのマグダたんは格別ッス……」

 

 暑い日の寝起きはだらけ過ぎていてちょっとどうかと思う仕上がりだが、寒い日の寝起きは身を縮めて小さく震えていることもありなかなか可愛らしく見える。

 保護欲が掻き立てられる。

 野生の狼でも、無条件で庇護下に置いてしまうであろう可愛さだ。

 ウーマロが一撃で轟沈するのも頷ける。

 

「……あったかい」

 

 薪ストーブの前を譲ってやると、マグダは背を丸めて特等席で火に当たる。

 両手を前に出して、ストーブに向けている。

 

「ヤシロさんは、大丈夫ですか?」

 

 俺も確かに寒がりではあるが、マグダほどではない。

 それに――

 

「マグダが隣にいれば、ウーマロの悩みも自然と解消するかもしれないだろ」

 

 ウーマロはお気楽な男だ。

 好きなものに触れていれば、嫌なことを忘れてしまうような、ポジティブさを持ち合わせている。

 もともと技術は本物なんだし、些細な悩みなんかさっさと忘れてしまえばいいのだ。

 悪評が付いたとしても、真面目に働いていればそんな汚名は返上できる。

 時間が解決してくれることは、時間でなければ解決できないことでもあるのだ。

 

 考えるだけ無駄だ。

 自分の技術と、その技術を「いい」と言ってくれる者たちを信じて、自分に出来ることをやり続ける。それしか出来ないものなのだ、人間なんて。

 

「くすくす……」と、ジネットが俺の隣で笑う。

 もう、何も言うまい。何も聞くまい。

 ただ、ちょっとだけ抗議の意味を込めて脇腹を突いておく。

 

「ひゃぅっ……」

 

 声を漏らし、軽く俺を睨んだ後、またおかしそうに笑みを浮かべる。

 まったりとした朝の時間。

 なんと穏やかなことか。

 

 陽だまり亭の中に朝の光が入り込んでくる。

 日が昇る。

 

 窓の外を見れば、一切の遠慮もなくドカッと積もった雪に世界が覆い尽くされていた。

 雪は止んでいたが、積もった雪から発せられる冷気なのか、霧や靄といった類いのものなのか、空気中に白い霞が充満していた。

 光を浴びてキラキラと輝く粒が空気中に紛れ込んで世界を輝かせている。

 

 ダイヤモンドダストというには小規模だが、十分に幻想的で、温かい部屋の中から眺める分には素晴らしいと称賛できるほどだった。

 

「ジネット、外を見てみろ」

「へ? ……わぁ」

 

 白い霞の中できらきら輝く光の粒を見つめ、ジネットが感嘆の息を漏らす。

 

「綺麗、ですね……」

 

 窓に張りつき、外を眺めるジネット。

 寒さからか、頬が微かに赤く染まっている。

 窓の外を夢中で眺めているジネットを眺めていると、不意にジネットの目がこちらを向いた。

 

「外に出たら、もっと綺麗かもしれませんね」

「温かい部屋の中から見ているから、そんな余裕な発言が出来るんだよ」

 

 外に出たら、口から出てくるのは「寒いっ!」以外にない。間違っても「綺麗~」なんて言ってられない。

 美しい景色というものは、自分の身の安全が確保された快適な環境においてこそ楽しめるものなのだ。

 秘境の絶景や、大自然の神秘なんてものは、一部の奇特なカメラマンのたゆまぬ努力の結晶を、テレビやパソコンを介して美味しいとこ取りして楽しむのが一番なのだ。

 

 過酷な環境に身を置くなんて、ムリムリ……

 

「ちょっと外に出てみませんか?」

 

 うん……お前なら、そう言うだろうな。

 

「寒いぞ……」

「でも、綺麗ですよ」

 

 反論になってないし、「でも」が生きてねぇよ。

 行きたきゃ一人で行けよ……なんて、ジネットに言ったら本当に一人で行っちゃうんだろうな。それも、ちょっと寂しそうな顔をして。

 

 あぁ、くそ。

 また藪を突いてしまったか。

 

 ……まぁ、ホワイトアウトも怖いしな。

 

「庭まで、だぞ」

「前の道までお願いします」

 

 ちょっと距離伸びたー!

 

「……外套、着て行こうぜ」

「はい。昨日のうちに用意してあります」

 

 カウンターの中の外套掛けに俺たちの外套がかけられている。

 今年は本当に準備万端だったんだな。……くそ。

 

「マグダたちは……」

「……ストーブを見張っている」

「じゃあオイラはマグダたんを見つめているッス」

「……だよな」

 

 あいつらはこっちの都合とかどーでもいいもんな。

 へいへい。俺らだけで行ってくるよ。

 

 ……すぐ戻ろう。秒で帰ろう。そうしよう。

 

 外套を羽織り、嬉しそうな顔のジネットと一緒に外へ出る。

 くぉお……ぅっ! 寒い……いや、痛い。

 

「俺の耳、千切れてないか?」

「大丈夫ですよ。ちゃんとついてます」

 

 赤くなっているであろう俺の耳をそっと両手で挟み込むジネット。

 毛糸の手袋が耳を覆って、少し温かい。

 

 そういえば、ジネットが耳当てを作ってくれたんだっけな。

 日本でお馴染みのイヤーマフとは違い、毛糸で編んだ、ヘッドドレスのような形状の耳当てだ。

 右耳から、頭頂部を通って左耳までを覆い、アゴの下で紐を縛って固定する。

 ゴスロリファッションを彷彿とさせる形状のため、俺はあまり使う気がしなかったのだが……これは、四の五の言っている場合ではないかもしれない。

 今年は活用させてもらおう。

 

「あっ、ヤシロさん。見てください」

 

 何かを発見したのか、ジネットがキラキラした目で俺を手招きする。

 あぁ、毛糸の手袋が耳から離れる……寒い。冷たい。

 

「はぁ~」

 

 俺の前で大きく息を吐いたジネット。

 口から出た息は白く、雲のようにもこもこと寒い空気の中に広がっていく。

 その中で、きらきらと光が反射する。

 

「息が輝いています」

 

 息の中の水蒸気が一瞬で凍ったのだろうか。

 そりゃ寒いわ。

 

 寒風に吹かれて、ほっぺたを真っ赤に染めて、楽しそうに白い息を吐き出してはにこにことこちらを窺うジネット。

 なにこの可愛い生き物。

 冬、初体験なの?

 連れて帰っちゃうぞ。

 

 しかし……もう少し足りない。

 

 そう、冬の美少女には欠かせないアイテムがいくつかあるのだ。

 欠かせないというか、あると可愛さが加算されていくアイテムだ。

 

 まふまふ手袋とか、マフラーとか、ニットの帽子とか。

 そして、イヤーマフ。

 

 ふわふわのファーで出来たイヤーマフは、美少女の可愛らしさを例外なく四割は上げてくれる。

 しかし、ファーの調達が難しい。

 アレはさすがに手作りできるもんじゃないし……

 

 あれ?

 そういえば、ここ最近『ファー』って聞いた記憶が……

 

 あっ! ウクリネス!

 パウラが買って、カンタルチカの手伝いと引き換えにネフェリーに譲った最新アイテムがファーコートだったはずだ。

 

 ってことは、ウクリネスのところにはあるわけか、ファーが。

 

 これは、ちょっと交渉してみる必要があるだろうな。

 ……とはいえ、豪雪期にわざわざ大通りまで行くのもなぁ。

 まぁ、来年でいいか。

 

「今年は、内職でもするかな」

「何を作るんですか?」

 

 空気中のキラキラを楽しんでいたジネットが、物作りの方に興味を惹かれる。

 こいつは、料理だけじゃなくて裁縫や編み物も好きなんだよな。

 客足が途絶える豪雪期は、そういうことに時間を使える貴重な時期だ。

 

「マフラーとか、ニット帽とか、手袋とか、セーター……まぁ、出来る頃には豪雪期が終わってるかもしれないけどな」

 

 豪雪期は十日くらいだ。

 フル装備を揃える頃には雪も溶けてなくなっているだろう。

 

 そう考えると、今年も準備万端とはいかなかったな。

 豪雪期には外に出られないって方向にばかり意識が向いていて、雪が降れば寒いってことを忘れていたかもしれない。

 薪ストーブを出して、外套を用意しておけばいいだろうと油断していた。

 単純に考えて、防寒具はあればあっただけ温かいってのに。

 

「にっとぼう、ってなんですか?」

 

 ん?

 あれ、知らないのか?

 

「そうか、豪雪期はあんまり長くないから、防寒具ってそこまで進化してないんだな」

 

 肌寒い日に羽織るストールは普及していても、ずっと首に巻いているようなマフラーはあまり普及していない。

 防寒具は、基本的に室内で身に着けるものがメインとなっている。

 

 外に出る用の防寒具は外套と手袋くらいしかない。

 常春のこの街では、それで事足りるし、豪雪期のような厳冬には、外に出て長時間過ごすようなことをしない。

 つまり、マフラーやニット帽なんて外行きの防寒具はそこまで出番がないのだ。

 出番がなければ進化はしない。

 売り上げが見込めないから、研究開発費もそこまでかけられない。

 

 それでもウクリネスがファーコートなんてものを作り出したのは、それだけ懐に余裕が出来たからだ。

 ウクリネス自身も、そして顧客たるこの四十二区の住民たちにも。

 

「毛糸で編んだ温かい帽子だよ。あとで編んでみるか?」

「はい! 教えてください」

 

 今から編んでも、使うのは豪雪期終盤ギリギリ。下手したら来年かもしれないが……

 

「まぁ、来年に向けて作っておくくらいの気持ちでやればいいだろう」

 

 一年寝かせても毛糸は腐りゃしない。

 無駄にはならないだろう。

 

 そんな気持ちで発した一言に、ジネットがはっと息をのむ。

 そして、にこりと微笑んで、どういうわけか瞳に涙を浮かべた。

 

「え? お、おいどうした、ジネット?」

 

 突然のことに戸惑う俺に、ジネットは「いえ、なんでもないんです……」と、涙を拭って笑顔を向ける。

 なんでもなくないだろうが。

 なんなんだよ?

 

「すみません、ただ……あの」

 

 手袋で口元を隠し、寒さで赤く染まった頬を緩めてこんなことを言う。

 

「ヤシロさんと、来年の豪雪期のお話が出来たことが、なんだか嬉しくて」

 

 あ……

 そうか。

 

 去年の今頃くらいだったか。

 俺が、ここにいることに違和感を持ち始めたのは。

 

 未来の予定を立てることに躊躇い、この場所に留まることに戸惑い、そして未来の話を避け始めていたのは。

 

「ダメですね、わたし」

 

 えへへと笑って、何度か目尻を拭う。

 

「ヤシロさんの言葉を信じると決めたのに、まだたまに不安になってしまって……こんな顏を、見せてしまって」

 

 俺はここにいると決めた。

 だから、「食い逃げの代金を払うまで」という縛りのある従業員をやめ、もう一度陽だまり亭に再就職したのだ。

 今度は縛りも期限もない、普通の従業員として。

 

 その言葉を、ジネットも信じてくれている。

 だが、やはりふとした瞬間に不安になったりするのだろう。

 

 マグダや他の連中も、たまにそんな素振りを見せる。

 

 前科はそうそう消えない。

 俺があいつらに与えてしまった不安は、ちょっとやそっとでは「なかったこと」にはなってくれないのだ。

 

 これは、時間をかけて償っていくしかないんだろう。

 そして、俺はそれを甘んじて受けようと思う。

 

「大丈夫だよ」

 

 ただまぁ、俺は善人ではないので、素直に心を入れ替えるなんてことは出来ないのだが。

 

「来年の豪雪期に、ジネットが俺お手製の毛糸のパンツを穿いて見せてくれるまで、ここを離れるつもりはないから」

「そんな姿、見せられませんよ! もう、懺悔してください」

 

 そう。

 見せてはくれないだろう。

 だから、その野望が完遂されるまでは――

 

 俺はこの場所にいるつもりだよ。

 

 

 

 

 

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