「よし、これを持って戻るか」
俺は、焼けたパンを持参した籠に入れ、雨に濡れないように籠の上から布巾を覆い被せた。
おばあちゃんの家にお見舞いに行く赤ずきんの気持ちだぜ。
途中で災難に遭わないよう気を付けて、俺は食堂へと戻る。
食堂へ入ると、陽だまり亭の宣伝文句が書かれた服を着ている二人が並んでいた。
……なんだ、このシュールな光景。
「結局またその服を着たのか」
「し、仕方ないだろう!? さっき転んで服が濡れちゃったんだから!」
借りた服を返しに来て、それをまた着ている。
何しに来たんだ、こいつは?
「まぁ、折角だからお前にも食わせてやるよ。陽だまり亭の歴史を変えるかもしれない、新製品をな」
「へぇ。えらく自信たっぷりだね」
「まぁ、奇抜なものじゃないからな。外すことはないだろう」
パンがあれば、サンドイッチやホットドッグなんかも作れる。
メニューの幅が広がるというものだ。
「ヤシロさん。何を作ってきたんですか? 早く見たいです!」
「……期待」
ジネットとマグダがそわそわと、俺の持つ籠を覗き込もうとしている。
うんうん。いい反応だ。
ウーマロも興味を引かれているようで、身を乗り出している。
では、お披露目と行こうか。
「刮目せよ! これが、オオバヤシロ特製の自然発酵パンだっ!」
言いながら、籠に掛けた布巾を引き抜く。
鮮やかな小麦色と、柔らかい純白のコントラストが美しい、小さなコッペパンが籠の中にぎっしりと詰め込まれている。
全員の視線が焼きたてのパンに集中し、そして「わぁっ!」という歓声が………………聞こえてこない。
なんだ?
なんか、空気が…………おかしいぞ?
食堂の中が、重苦しい空気に包まれる。
ジネットの笑顔が固まり、エステラは無表情になり、ウーマロは変な汗をだらだらと流し、マグダは虚ろな目をしている。……マグダは普段通りか。
「ヤ……シロ、さん…………あ、あの……」
重苦しい空気の中、恐る恐る口を開いたのはジネットだった。
「こ、これは…………一体?」
「いや……パン…………だけど?」
「どこから、……その、手に入れていらしたんでしょうか?」
「ん? あぁ、俺が作った」
「……っ!? えっと…………どのようにして……ですか?」
「どのようにって…………裏庭に石窯を作って……」
「懺悔してくださいっ!」
いつもの厳しくも優しい口調ではなく、本気の声色でジネットが叫ぶ。
「ヤシロッ! 君は、自分が何をしたのか分かっているのかい!?」
「へ? い、いや……どうも、イマイチ分かっていないようだ……」
「…………ヤシロ、犯罪者」
「どぉいっ!? なんだよ、マグダ!? 人聞きの悪いこと言うなよ!」
「いや、人聞きとかじゃないッスよ……これは…………マジで、シャレになんないッス」
なんだ?
なんなんだよ?
意味が分からん。
「エ、エエ、エステラさんっ、ど、どどど、どうしましょう!? どうしましょう!?」
「いいから、一度落ち着くんだ、ジネットちゃん!」
「……ヤシロ…………どうしてこんな真似を」
「ちょっ! 誰か説明しろよ! 俺が何したってんだよ!?」
ただならぬ雰囲気に、俺も少しイラッとしてしまって、つい強い語調で怒鳴ってしまった。
ジネットが怯えたような瞳で俺を見て、ウーマロは今にも気絶しそうな青い顔をして、マグダは相変わらずボーっとした目をしているし…………こういう時は、エステラに聞くのが一番だ!
「エステラ、教えてくれ! 俺の何がマズかった!?」
「ヤシロは知らなかったんだろうけど…………この街でパンを作ることは重罪なんだ」
な…………ん、だと?
「パンを、作るのが…………重罪?」
意味が、まったく、理解できないんだが?
「おまけに、パン窯の密造も罪だ」
「はぁ!?」
なんだそりゃ?
なんの罪に問われるってんだよ。
俺がパンを焼いたら、誰かに迷惑がかかるってのか?
「と、とにかく! シスターに相談しましょう!」
ジネットが大慌てでカウンターを超え厨房へと姿を消す。
「ウーマロ。すまないが、今回の一件、他言無用に願いたい」
「い、言えるわけないッスよ。陽だまり亭はもはやオイラたちの憩いの場ッスし、何より、こだわってリフォームした思い入れのある場所でもあるッス。それに、ヤシロさんは悪意があってやったことじゃないッスし、きっと許されるはずッス! オイラは、そう信じているッス!」
正直、いまだに俺の頭は状況を理解するには至っていない。
だが……
どうやらとんでもないことになりそうだという危機感だけはひしひしと感じていた。
「もしかして、パンギルドとかの契約に違反してるとか、そういうことか?」
「ギルドじゃないよ。そんな小さな括りの話じゃない」
「え…………じゃあ……?」
吐き出す言葉も選べないうちに、俺はエステラに詰め寄られ言葉を封じられた。
胸倉を掴まれグイッと引き寄せられる。
鬼気迫る視線が俺を睨む。
「パンの利権は、教会が握っている」
「教、会……?」
「この街において、各区の領主よりも、中央区の王族よりも、他の誰よりも権力を持っているのが教会だ。この街のルールは精霊神を頂に掲げる教会がすべて取り決めている。教会に逆らえば、この街では生きていけないんだよ」
「そ、それがパンとなんの関係が……」
「パンを焼くには、教会の許可が必要なんだ。許可を得ても、月に二度、教会の石窯を使って、教会の指示のもとでなければパンは焼けない。当然、パンを焼くには相当な税金が課せられる」
パンを焼くのに許可がいるだと?
「足りなくなったらどうするんだよ?」
「教会にお願いするのさ。……もっとも、それには相当な『寄付』が必要になるけどね」
「……拝金主義、ここに極まれりだな」
「滅多なことは言うもんじゃないよ」
エステラの指が、俺の首にあてがわれる。
「ボクが熱狂的な信者だったら……君は今、命を落としていたところだよ?」
……この指が、もしナイフだったら…………
ゾッとするね。
しかし……なるほどな。
主食であるパンは、生きていく上で欠かせないものだ。
権力を笠にそいつの権利を握ってしまえば、人々はさらに教会へ逆らうことが出来なくなる。パンがなくなれば、人は飢えてしまうからだ。
そうして増大した権力を盾に、また新たな権限を振りかざす……
嵌り込んだら二度と抜け出せない厄介なシステムだな。覆すには住民の一斉蜂起でもなけりゃ不可能だろう。そして、ここの住民にそんなつもりはない。
「パンと窯は、教会の監視下にある貴重な品物だ。密造、密輸出入、密売は厳罰に値する」
「……死をもって償えってか?」
「もっとも、多額の寄付をすることで免罪されることがほとんどだけどね」
罰金じゃねぇか。
ウチの島を荒らしたんだからきっちり落とし前つけろよと……どこの筋のもんだ。断ったら強面の若い衆に事務所にでも監禁されんのか? 笑えねぇな。
腐敗政治だ。この国の政治は腐ってやがる。
「それが、この街のルールだ。ユニークな発想で好き勝手振舞うのは結構だが……逆らっちゃいけない相手に関してはもっと知識を広げることだね。……ボクたちでは庇いきれないことだって、この街には数えきれないほどあるんだから」
……なんて街だ。
ローマ帝国かよ。
貴族様が何よりも尊重され、平民は唯々諾々と貴族のきまぐれに振り回されてろってのか。
やっぱ、この街の神は好きになれそうもないな。
もし全知全能たる神が真に公正で慈しみの心を持っているのであれば、金と権力にどっぷり浸かっている教会のトップから順に粛清していくべきだろう。
自分の足元から漂ってくる腐敗臭に気が付かないってんなら、そいつの鼻がひん曲がっているか、そいつ自身が同じにおいを発するほどに腐りきっちまっているか、そのどちらかだ。
さて、この街の神はどっちなんだろうな。
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