「美味しいですねぇ」
「……美味」
「あたし、初めて食べたです!」
陽だまり亭の面々が幸せ満開の表情で、生のビワを堪能している。
ケーキの前に素材の味を知ってもらおうと、一つずつ渡したのだ。
気に入ったのなら、今後定期的にミリィからもらってもいいかもしれない。
アッスントを間に入れれば、購入することも可能だろう。
「これをタルトにするんですか?」
「あぁ。ビワをコンポートにして、載せようと思う」
生で食うのも美味いのだが、コンポートにすると甘さに説得力というか、迫力が生まれる。
「それじゃあ、今から準備するから……、ジネット、手伝ってくれ」
「はい」
「それから、マグダとロレッタ」
「……なに」
「なんでも言ってです!」
意気込む二人に、重要な任務を申しつける。
客席を指さして――
「ヤシロ! もう出来たか、ケーキ!? まだか!? もう出来るか!?」
「うふふ。楽しみですねぇ、新しいタルト。うふふふ…………じゅるり」
「気の早いデリアとベルティーナを押さえておいてくれ」
デリアはあの後すぐにやって来るし、なんでかその後ろからベルティーナが付いてくるし……こいつらにビワを渡したら、一瞬で食い尽くされちまうだろうな。なんとしても押さえ込まねば!
「んじゃ、よろしくな」
「むむむ……なんとも難易度の高い任務です。下手をすると命の危険まであるです」
「……最悪の場合、拳で分からせる」
物騒だな、おい。
俺は、ロレッタに出来立てのポップコーンを渡し、トンッと背中を押して……飢えた獣(デリア&ベルティーナ)の前へと差し出した。
「にょはぁぁああっ!? お兄ちゃん、なんてことを…………にゃはぁああっ!? 獣がっ、飢えた獣が、襲いかかってくるですぅぅう!」
「「甘い物っ! がるるるぅ!」」
飢えた獣にもみくちゃにされるロレッタを見ながら、俺はマグダにそっとビワを渡す。
「……これは?」
「頑張ったから、一個おまけだ」
「…………特別扱い」
「おう。頑張ったからな」
「……なら、また頑張る」
マグダの尻尾が俺の足にまとわりつき、そっと離れていく。
喜んでくれたようで何よりだ。
「じゃ、急いで作るか」
「はい。わたしも楽しみです」
ビワを持って厨房へ入る。
ジネットはすでにタルトをマスターしているから、タルト生地とカスタードクリームを任せる。
その間に俺はビワのコンポートを作る。
ビワを半分に切り、膨らんだ方から皮を剥くと一気につるんと剥ける。あとは種を周りの渋皮ごと取り除く。スプーンを使えば渋皮も簡単に剥ける。
「楽しそうですね」
「やってみるか?」
「はいっ!」
やり方とちょっとしたコツを教えて、ジネットにビワを渡す。
ビワはすぐに酸化して変色するから、剥いた物から順にレモン水へと投入していく。
ジネットはすぐにコツを掴み、あっという間にすべてのビワが剥けた。
ここからは分業だ。
急がないと、外には獣がいるからな。
水と砂糖、それからちょっとだけ白ワインを入れてビワのコンポートを作る。
「水。なんとかなりそうでよかったですね」
作業をしながら、ジネットがそんなことを呟く。
「水がなければ、コンポートも作れませんからね」
「確かに、水がない時にコンポートなんか作ってる場合じゃないよな」
飲み水も危うい状況でコンポートとか作り始めたら暴動が起こるな。
いや、デリアとベルティーナがいればコンポート派が勝つかもしれないか?
そんな、くだらない想像をしながらも作業は進み……タルトは焼き上がる。
つやつやと美しく輝くビワが整然と並べられた、目にも楽しいビワのタルトだ。
切り分けて持っていくと――
「はぁ……はぁ……なかなかやるな、ロレッタ……」
「デ……デリアさんこそ……さすがに手強かったです……」
フロアでデリアとロレッタがぐったりとしていた。
……何やってたんだよ、お前らは。
「こんにちはぁ~」
「いらっしゃいませ、ミリィさん」
タイミングよくミリィがやって来て、ビワのタルトの試食会――という名のお茶会が開かれる。
ビワのタルトは、ここ数日の苦労や苦悩を労うかのような甘さで、あっという間に食べ尽くされてしまった。こりゃあ、陽だまり亭に並ぶのも時間の問題だな。
「ヤシロ、おかわり!」
「ねぇよ」
「そこをなんとか!」
「無茶言うな!」
「ヤシロさん……人間には、不可能なんてないんですよ」
「もっともらしいこと言ってもねぇもんはねぇの!」
「ぁの、でりあさん、しすたー……またビワ、持ってくるから、また今度、ね?」
ミリィがデリアとベルティーナを宥め、マグダとロレッタが空いた皿を片付け始め、ジネットがお茶のおかわりを持ってきた頃……ふと、窓を叩く音がした。
ぽつぽつと、小さな音が。
「あ……」
ティーポットを手に持ったまま、ジネットが窓際へと歩いていく。
「雨が降ってきました」
その声は少し嬉しそうで。
そして、こちらを振り向いた笑顔は楽しそうで。
なんとなく、俺は事態の収束を感じていた。
まとまった雨さえ降れば、また四十二区は元の平穏を取り戻すだろう。
徐々に雨脚を強めていく雨の音を聞きながら、そんなことを考えていた。
あれから二日間、雨は降り続いた。
雨量もかなりのもので、陽だまり亭は久しぶりに暇を持て余していた。
横殴りの雨が降りしきり、世界がびしょ濡れになっていく。
これまでの分を取り戻すかのように荒れ狂う空模様に、それでも笑顔になってしまうのは、あの水不足が解消されるだろうという思いからだろう。
この程度ではまだ足りない。けれど、降らないよりは全然いい。
叩きつけるような雨音は騒がしくも、世界を静かに包み込んでいる。そんな気にさせてくれる。
人の少ない陽だまり亭で、俺たちはのんびりとした時間を過ごしていた。
翌日舞い込んでくる騒動のことなど、知りもしないで。
豪雨が去り、久しぶりに太陽が空に顔を出したその日の早朝、デリアが陽だまり亭に飛び込んできた。
「大変だ、ヤシロ! 川が……」
「どうした? 大雨のせいで今度は氾濫でもしたのか?」
「違う! そうじゃないんだ!」
その後もたらされた言葉を、俺はすぐに理解することが出来なかった。
「川の水が、全然流れてこないんだ!」
…………は?
読み終わったら、ポイントを付けましょう!