異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

325話 志願する者たち -4-

公開日時: 2022年1月6日(木) 20:01
文字数:3,755

 湿地帯は、相変わらず陰気くさい場所だった。

 

 初めて来た時は周りが暗かったこともあり、じっくりと観察することも出来なかったが、この辺一帯が沼地になっているわけではないようだ。

 じめっとした空気が満ちる暗い森が広がり、その奥に沼地が点在している。

 そんな感じだ。

 

 そして、川を越えて踏み入った森には見たこともない草木が生い茂り、一切手入れがされていない原生林が凶暴なまでにその野生を剥き出しにしていた。

 

 そう、それはもう、本当に凶暴なまでに。

 

「たーすーけーてー」

「だから自分、なんでツタに触るんな!?」

「待っててね、てんとうむしさん。今、助けてあげるからね」

 

 湿地帯に入って7メートル。

 俺は巨大な植物に捕食されていた。

 

 えぇい、くそう!

 魔草め! くそう! くそぅ!

 

「……この森に火を放ってやりたい」

「危険なことを口走らないように」

 

 救出され、地面に四肢を突く俺に、エステラが冷めた口調で言う。

 しっかり管理しとけよ、責任者。お前んとこの領地だろうが。

 

「だいたい、食虫植物とか、こんなにいらないだろう。伐採しろよ」

「必要だから残してあるんだよ」

 

 え、必要なの?

 

「ぁのね、てんとうむしさん。この植物はね、森や湿地帯で発生した害虫を外に出さないために、入り口付近にたくさん植えられているんだょ」

「え、植えてあるの? 自生してんじゃないのか?」

「自生してるものもたくさんあるけど、森の入り口に移植したのは、大昔の生花ギルドの人たちなんだょ」

 

 そうなのか。

 

「生花ギルドは、俺に何か恨みでもあるのか……」

「てんとうむしさんが四十二区に来るよりずっと昔の話だから、ね?」

 

 なんでも、森や湿地帯では人に害を成す害虫が自然発生してしまうらしく、根絶は困難なのだとか。

 その害虫をかなりの高確率で捕食、駆除してくれるのがこの食虫植物たちなのだとか。

 

 そういえば、四十二区の生活圏にはそういった厄介な虫は出てきてないな。

 

「生花ギルドの森の食虫植物も、そういう目的で植えてあるのか?」

「ぅうん。あっちは果物泥棒対策だょ」

 

 より人間を襲いやすい品種なのだそうだ。

 滅びろ、そんな品種!

 

「まったく。着替えを渡す前に汚れるんだから……」

 

 呆れ顔で言って、エステラがナタリアに指示を出す。

 なんだか妙にデカいカバンをぶら下げているなと思ったら、その中に長靴と薄手の外套、そして長手袋が出てきた。

 

「なんだそれ?」

「沼に入る前にこれを身に着けてね」

「別に汚れるくらい気にしないが……」

 

 とはいえ、洗うのはジネットがやってくれるわけだし、俺はなるべく汚さないように気を付けるべきか。これでも割と気を遣ってはいる方だ。

 めっちゃ汚れた時は自分で洗うしな。

 

 ……まぁ、油断してると風呂に入っている間に洗われていたりするんだけど。

「遠慮はなしですよ」とか、前に言われたことがある。

 いや、遠慮するだろ、そりゃ。

 母親でもないのに。

 

「汚れを防ぐためじゃないよ」

 

 言いながら、エステラが率先して外套を羽織る。

 

「湿地帯の泥を外へ持ち出さないためさ」

「泥?」

「えぇ、そうです。こちらの外套や靴は、調査が終わり次第こちらで焼却処分致します」

 

 えっ!? 使い捨て!?

 もったいなっ!?

 

「洗って使い回せよ」

「それが出来ないからこその処置じゃないか」

 

「何を言っているんだ」みたいな顔をした後、エステラははっとして目と口を丸くする。

 

「そうか、ヤシロには言っていなかったっけ」

 

 そう言って、長手袋をつけながら説明をくれる。

 

「湿地帯の泥は、この中にあるうちは問題ないんだけれど、湿地帯の外へ持ち出すと有毒化するんだよ」

 

 はっ!?

 初耳だぞ、そんなこと!?

 

「この泥を外に持ち出すと、たちまちのうちに悪臭を放つようになり、そしてその腐った泥の中から虫が発生するんだ」

「……マジか?」

「はい。そして、その発生した虫に刺されることで病が感染すると言われております」

「ヤシロが虫を媒介とした細菌の話をしていたからさ、知っているんだと勘違いしていたよ」

 

 陽だまり亭でざっくりとした感染病の説明をした俺だが、そうか、すでに昆虫による感染病の被害は起こっていたのか。

 

「それ、認識はされているのか?」

「一応、お父様が調査を行った結果として領民に報告はしたけれど……まぁ、理解していない者は多いかもしれないね」

「私の私見を述べさせていただきますと、領民の四割というところでしょうか、正しく内容を理解しているのは」

 

 じゃあもっと啓蒙活動に励めよ。

 

「マグダは知ってたか?」

「……残念ながら」

「みりぃは、知ってたよ」

 

 イメルダとレジーナはその頃四十二区にいなかったから、生粋の四十二区の領民の認知度としては50%ってところか。

 母数が二人なんで随分と乱暴な統計だが。

 

「知識を広めたところで、どの虫が病気を運んでくるかは分からないし、病気にかかってしまったら抵抗のしようがなかったから……あの頃はレジーナもいなかったしさ」

 

 なので、『湿地帯は危険だ』という認識が広まることで抑止としていたようだ。

 まぁ、危ないものに近付かないのが一番の防衛策ではあるが。

 

「けれど、手洗いうがいの徹底や、アルコールによる殺菌っていう発想はなかったね。ヤシロの話はとても興味深かったよ」

 

 レジーナに聞けば、もっと詳しく、この街に適した感染症対策を教えてくれるかもしれない。

 と、レジーナを見ると、なんだか難しい顔をしていた。

 

「どうした?」

「…………」

「レジーナ」

「へ? あ、な、なに? なんかウチに言ぅた?」

 

 妙に慌てて、ぎこちなく笑ってみせる。

 なんだかそれは、恐怖を誤魔化す者の行動のように見えた。

 

「お前、もしかして……マント一枚でストリーキングして自警団に捕まった時のことを思い出してんのか?」

「残念やったなぁ、ウチにそんな過去はあらへんねん」

 

 なんだ、まだ捕まってなかったのか。

 しっかりしろよ、自警団。

 

「せやのぅて……申し訳なかったなぁ、思ぅてな」

 

 俯いたレジーナの目が、ほんの一瞬だけ泣きそうに見えて、思わず言葉に詰まった。

 

「そん時、この街におらんくて」

「何言ってんのさ」

 

 ぽーんと、エステラがレジーナの背中を叩く。

 

「過去は変えられないよ。それよりも、今君がここにいてくれることを心強く思っているよ、ボクは」

 

 過去のことを、今ここで言っても仕方ない。

 割り切れるものではないが、こだわるべきものではない。

 

 エステラなら、過去よりも今、そして未来を見据えて進んでいけるだろう。

 

「……さよか」

 

 にっと持ち上がったレジーナの口角も、やはりどこか物悲しげで、アイツもいろいろ思うところがあるんだろうなと言う気がした。

 

「ほな、さっさと着替えて調査を開始しようか。どっかの誰かさんが、また捕食されへんうちに」

 

 誰がだ、こら。

 

「ほんなら、脱いだ服はどないしたらえぇ?」

「脱がなくていいんだよ!?」

「え、せやかて、こういう全身を覆う長い外套を着る時は下は全裸っちゅうマナーが」

「ないよ、そんなマナー!」

「……レジーナだから仕方ない」

 

 レジーナはやっぱりレジーナで、こいつこそが食虫植物に捕食されるべきだと俺は思うのだが。

 それはそうとマグダ。

 そのフレーズ、なんか俺とレジーナが同類みたいに聞こえるからやめてくんない?

 

 あれ?

 でも待てよ…………

 

「俺、泥を持ち出したかもしれない」

「えっ、いつ!?」

「三十区から湿地帯に落ちて、全身泥だらけになって、そのまま川の方に逃げたんだ」

 

 そして、川に飛び込んで逃げるうちに泥は洗い流された。

 

「……下流で大変なことになってない、よな?」

「とりあえず、問題が発生したという情報は得てないはずだけど……」

「館に戻ったら少し調べてみます」

「頼むよ、ナタリア」

 

 どうしよう。

 なんかドキドキしてきた。

 俺、やってもうたか?

 

 まさか、大雨の時の井戸汚染って、俺のせいだったり……?

 いや、さすがに時間が経ち過ぎているからそれはない……と、思うが……おぉう、なんかめっちゃドキドキしてきた!?

 

「ほな、一部持って帰って調べさせてもろてえぇか?」

 

 小さな小瓶を取り出し、レジーナがエステラに問う。

 

「え……」

「大丈夫や。外部に害が及ばへんように厳重に管理するさかい」

「まぁ……レジーナがそう言うなら」

 

 そうだな。

 湿地帯の泥を持ち出すと悪臭を放つ、その理由を調査すれば原因が判明するかもしれない。

 もしかしたら、湿地帯の大病の原因究明の足がかりになるかもしれない。

 

 レジーナなら、細菌を媒介する虫の特定だって出来るんじゃないだろうか。

 

「おまけにあの外套の下は全裸だし。レジーナ、すげぇな」

「せやろ?」

「……ヤシロ。あの下は全裸ではない。先ほど、エステラが全力で阻止していた」

 

 だがな、マグダ。

 今は外套の下が見えていないわけで、そうであるならばあの外套の下が全裸か否かは判別しようがない、いわば現在は全裸でもあり全裸ではなくもある状態というわけだ。

 シュレディンガーの生乳だ。

 

 そういうロマンが、世界を救うのだ。

 

「とにかく、湿地帯では何が起こるか分からないから、みんな、ここからは気を引き締めて行動してね」

 

 使い捨てだという外套を装着し、全員がエステラの言葉に頷く。

 全員の反応を見た後、エステラが俺とレジーナに向かって言う。

 

「特に、そこの二人は、真面目にやるように」

「一緒にすんな」

「心外やわ」

 

 そうして、俺たちは原生林を抜けて湿地帯の奥――沼地へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

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