金属を打つ音が響く。
世界中のすべての音をのみ込むような大きさで。
すべてをかき消してくれりゃいいさね、こんな世界の音なんて。
「……ちゃん、ノーマちゃん! ノーマちゃんってば!」
金属の硬質な音に割り込んでくる声があった。アタシの肩が掴まれる。
振り返ると、よく見知った仕事仲間の顔があった。
「なんさね!? 仕事中に声かけんじゃないよ! 常識さね!?」
「ダメよぉ。全然ダメ。その鉄、もう死んじゃってるわよ」
言われて視線を戻すと、歪にひん曲がった鉄塊が目の前に転がっていた。でこぼこと歪み、鈍く黒ずんだ鉄くず……これ、アタシが作ったのかい?
「ボーっとしてると思ったら急にムキになって槌を振るって……そんな滅茶苦茶しちゃ、鉄が可哀想よぅ……」
泣きそうな表情を見せるヒゲ面のオッサン。腕の筋肉を盛り上げて目尻を拭う。
泣くんじゃないよ、図体のデカいオッサンが……女々しいね。
「それに……出ちゃいそうよ」
「ぁん?」
「お・ム・ネ」
と、アタシの胸元を指さす。
視線を落とすと、乳の上半分くらいが露わになっていた。『かろうじて隠れているレベル』で、なんとも際どい状態だった。
「し、仕事中に着崩れるのはしょうがないことさね!」
「崩し過ぎぃ。ワタシたちもいるんだからぁ、気を付けなきゃダメよぉ。ノーマちゃん、嫁入り前なんだから」
「う、うっさいね! あんたらなんか物の数に入ってないんさよ!」
「同じ乙女としての忠告よぅ」
「あんたのどこが乙女さね!?」
こんなひげ筋肉と同列なんかぃ、アタシは……泣くよ?
「早くしまわないと、お胸に釣られて『誰かさん』が覗きに来ちゃうわよ」
「――っ!?」
一瞬で、体中の血液が沸騰する。
「余計なことをお言いじゃないよっ!」
「ぃや~ん!」
思わず、声を荒らげちまったさね。
……なにやってんさね、アタシは。
「……すまないさね」
「ううん、平気よ。けど……今日はもう帰った方がいいんじゃない?」
「けど……」
帰ったって……
どうしても考えちまう。ヤシロのこと。
ヤシロが、アタシを忘れちまう――
「――っ!」
胸が…………張り裂けそうさね。
大食い大会の後――
ヤシロがこの街を離れようとしていたのを、アタシは『仕方がない』と思っていた。
ヤシロが自分で決めたことなら、アタシたちに口を出す権利はないと。受け入れなきゃいけないと。
遠く離れたとしても、一年に一度、十年に一度でもアタシのことを思い出してくれるなら、アタシはそれでも耐えられる。
けど……
今度のはヤシロが望んでそうなったわけじゃない。
魔草に記憶を食われてアタシのことを完全に忘れちまうだなんて……そんなのは耐えられないっ。耐えられるはずないじゃないかさっ!
「ノーマちゃん……」
「……少し休んだら、仕事に戻るさね」
「ノーマちゃんっ」
「なんさね!? アタシは仕事がしたいんさよ!」
「そうじゃなくて……」
「……ん?」
「早くお胸しまわないと…………見に来てるわよ、『誰かさん』」
「え……っ!?」
言われて入り口を見ると……
「じぃ~……」
ヤシロが物凄く真剣な目でこちらを覗き見していた。
「ヤシロッ!? な、なな、なに見てんさねっ!?」
「おっぱい」
「はっきり言うんじゃないさね! っていうか、見るんじゃないさね!」
慌てて胸元を正し、ヤシロの前まで駆けていく。
本当に胸に釣られてやって来るヤツがあるかい!
まったく、ヤシロは。いつまでも変わらないさね。
……変わらない、さよね?
言いようのない息苦しさを感じる。
思わず……顔が歪む。
「そんな顔すんなよ……」
それを悟られて、ヤシロに心配そうな表情をさせちまったさね。
ホント、何やってんだろうね、アタシは……
「……胸がはち切れそうなんだな」
「張り裂けそうなんさねっ!」
はち切れそうなのは前からさね!
だからいっつも胸元のゆったりした服を着てるんさよ!
もういい。今日は仕事を切り上げるさね。
「ちょぃと! 今日はもう上がらせてもらうさよ!」
「はぁ~い! あとは任せておいてね~」
仕事仲間がにこにこと手を振ってくる。
とんだお人好しさね。そんで、お節介焼きさね。
「仕事、いいのか?」
「構いやしないよ。どうせあんたが気になって手に付かなかったんだ」
口にして、息をのんだ。
アタシっ、なに口走って……っ!
「ち、違うさね! あの、そうじゃなくて……っ!」
ヤシロに下手な言い訳をしても無駄なことは分かっている。
分かっているけれど、ここで取り繕わないなんて、出来やしないじゃないかさ……恥ずかしい。
「あ、あんたが、いっつもおっぱいに釣られてやって来るからっ……そ、その病気を心配してるんさね!」
……これはない。
なさ過ぎるさね、アタシ……
「なら、療養が必要かもしれんな…………乳枕で横になりたいっ!」
「悪化するさね、確実に!」
ただ、ヤシロはいつもこうやって、こっちのミスを誤魔化してくれる。
……心地のいい空間を、作ってくれる。
だから、アタシは…………
「はっ!?」
「ふぉう!? ど、どうした、急に?」
「な、なんでもない、さねっ」
いけない、いけない。
なに考えてるんさね! 本人を目の前にして。
「そ、そういえば、そろそろ昼時さねっ!」
そう言った時、まるでタイミングを見計らったかのように昼の鐘が街に鳴り渡った。
「おぉ……すげぇな、お前の腹時計」
「はっ、腹時計じゃないさね!? 感覚で分かんだよ、仕事してると!」
別にアタシは食い意地は張ってないさねっ。
……そんな女じゃないさね。
「お昼の予定はあるんかぃ?」
「そうだなぁ…………どこかに昼飯を作ってくれる料理上手でもいればいいんだけどなぁ……ジィ~」
「くふっ……おねだりなら、もうちょっと上手におやりな」
ヤシロは、こっちの気持ちを分かってそう言ってくれる。
いつも、こっちがしたいことを、抵抗なくさせてくれる。
甘える風を装って、いつも甘えさせてくれる。
だからアタシは、ヤシロのことが…………
「ふぅんぬっ!」
「どうした、急に!?」
邪念を振り払うために壁に頭を打ちつける。
……どうかしちまったようだね、アタシの頭は。
炉の熱で脳がやられちまったんかぃね?
「何か食べたい物はあるかぃ?」
「……その前に、お前の額に絆創膏を貼ってやりたい」
「こんなもん、ツバでもつけときゃ治るさね」
「そっか。それじゃ……」
「ちょっ!?」
ヤシロが舌を出してアタシに近付いてくる。
「じ、自分でつけるさね!? な、舐めんじゃないさよ、こんなとこで!」
おでこにキスされかけて、盛大に取り乱す。
……まったく、ヤシロは。冗談が過ぎるさよ!
「…………『こんなとこで』?」
「――っ!? 『そんなとこを』の間違いさね!」
ああぁぁあああぁああああ、もぅううっ!
どうしちまったっていうんだい、アタシは! もう!
「と、とにかく、ウチに来るさね! 何か作ってあげるさよ」
「おう! 楽しみだな~っと」
軽い口調で言ってヤシロはアタシの後に付いてくる。
こんな何気ない空気感も、すべてなくなっちまうんかい? あんたが、アタシを忘れちまったら……
胸の奥に小さな棘が刺さったように、じわじわと抗いようのない痛みが広がっていく。
ヤシロ……アタシを忘れちゃ、イヤ……さね。
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