「それで、ヤシロさん」
ベルティーナがたおやかな笑みを浮かべ俺の前へとやって来る。
「作ったパンを持っていらしたんですよね?」
「あぁ、コレがそうだ……あ、いえ。……です」
タメ口を利いた瞬間、菩薩のようだった瞳がきらりと鋭い輝きを放った。
この人の前では礼儀正しくしなければいけない。……寿命を縮めたくなかったらな。
「見せていただいてもよろしいですか?」
「あ、どうぞ」
パンの入った籠をベルティーナへと渡す。
籠に掛けてあった布巾を取り、中を覗き込んだベルティーナは「まぁ」と感嘆の声を漏らした。
「見事な出来栄えですね。パン職人ギルドの方も形無しなほどです」
大絶賛である。
が、あまり喜べないのは、これで犯罪者になりかけたからだろうな。
「香りもいいですし、とても美味しそうですね」
ベルティーナの楚々とした口元から、輝く滴が優雅に滑り落ちていく。
って、よだれ垂らしてんじゃねぇよ!
「教会へ持ち込み、罪を祓ったものは精霊神様のお導きにより、世界の輪廻へとその魂を還元していくのです」
「……えっと、つまり?」
「もったいないので食べませんか?」
こいつ、本当に食い意地が張ってんな!?
いいのか、シスターがこんなんで?
一応、密造扱いなんだろ、コレ?
そんな嬉々として食らいついて、お前らの崇める精霊神様とやらはへそを曲げないのか?
「食べ物に罪はありません。また、食べ物を粗末にすることは生き物をイタズラに傷付ける行為に等しく、とても罪深いことです。また、美味しそうな物を前におあずけをするのも等しく罪深いことだと私は思います」
「一番最後のが本音ですよね……?」
まぁ、捨てるのも癪だし……
「では、召し上がれ」
「よろしいのですか!?」
いや、よろしいも何も……この流れで断れるかよ……
「申し訳ありませんねぇ。なんだか催促したようで……」
してたよ!? メッチャ催促してたから!
マグダでもそこまで露骨にはしないレベルの催促だったよ!
ベルティーナは、パンに齧りつくと、幸せそうに相好を崩した。
「あぁ……これは紛れもなくパンですねぇ。完全にアウトです。罪深いことです。美味しいです」
最後に本音がぽろりである。
いや、まぁ、どうせなら喜んで食ってくれた方がいいんだけどさ……
「じゃあ、どこからアウトじゃなくなるんだ?」
「パンはダメですよ」
「ナンは?」
「……『なん』?」
「あと、ピザとか」
「……『ぴざ』?」
「小麦を石窯で焼くというのは同じだが、パンとは違うと思うんだが」
「難しいところですね。私はその『なん』や『ぴざ』というものを存じ上げておりませんもので、なんとも言いがたいところです」
「とは言っても、口で説明するのは難しいんだよな……」
ナンを説明するにしたって、平べったいパンみたいなやつで、カレーをつけて食べる、くらいのことしか言えない。
さて、どうしたものか……
「では、試しに作ってみましょう」
「おい! 密造問題どうなった!?」
作っちゃダメだろう!?
「悩める子羊の心を救済するのもまた、教会の尊い役割なのです」
悩んでるのはお前だろうが。
「どんな味かなぁ?」「食べたいなぁ」と顔に書いてある。
「じゃあ、陽だまり亭に来てくれれば、石窯を使っていろいろ作りますよ」
「教会の外となると、揉み消しが困難に……もとい、神の慈悲が届きにくくなりますね」
「じゃあ、残念ですがなかったということで……」
「しかしながら、空がこのような分厚い雲に覆われていては、精霊神様のお目も塞がれお目こぼしをしてくださるかもしれませんね」
やりたい放題か!?
「では、今回に限り、特別に、悩める俺の疑問を解消するために石窯の使用を許可してくれると?」
「許可は出来ません。一介のシスターがそのような権限を行使するなど、恐れ多いことです。ですが、若さゆえの行き過ぎた行動力を、先人として寛容に受け止めるくらいのことならば、私にも出来ます」
「……つまり?」
「やるだけやって、あとでまとめて懺悔してください」
この人……シスターやらしといていいのか?
つか、美人だから何しても許されるとか思ってないだろうな……
「……シスター…………」
ジネットが、困った人を見るような目でベルティーナを見ている。
なるほどな。この人は昔からそういう人だったんだな。ジネットの表情でよく分かったよ。
「もう、ジネット。そんな顔をしないでください。それにほら、書いてあるではないですか」
ジネットのこの反応も慣れたものなのだろう、ベルティーナは意に介さぬ風に笑顔でかわし、エステラが着ているシャツへと指を向ける。
「『友人・家族を誘って是非お越しください』と。私は、ジネットの家族であるつもりですけれど、ジネットはそうではないのですか?」
「い、いえ…………あの……」
そんなことを言われると、ジネットはもう何も言い返せなくなるのだろう。
反論の言葉も出てこず、困り顔で俺へ視線を向けてきた。
「これは、俺に対する救済だ。ベルティーナさんは人道的な支援活動を行おうとしているんだ。……ということでいいんですよね?」
「はい。さすがはヤシロさんですね。物分かりがとてもよいです」
ベルティーナは満足そうに笑うと、執務室へと入っていった。マントを取りに行ったようだ。
「ベルティーナさんが不在で、昼寝から起きた子供たちが驚かなきゃいいけどな」
「あ、それは大丈夫だと思います……」
何気なく漏らした俺の懸念に、ジネットが困り果てたような表情で答えをくれる。
「よくあることですので」
シスターベルティーナ。
俺が思っている以上に、奔放な性格のようだ。
俺、なんだか今後、教会の罰ならうまいこと言って逃げられそうな気がする。
ベルティーナを餌付けしておけば、いろいろ便宜を図ってくれるんじゃないだろうか……
そんな、食い意地と信仰心を天秤にかけると若干食い意地が勝りそうなシスターベルティーナを伴い、俺たちは大雨の中を歩いて陽だまり亭へと帰ってきた。
入り口付近は人の出入りが多いせいもあり、他の場所よりも大きな水溜まりが出来ていた。少し土がへこんでしまっているのだろう。
そこもなんとかしなきゃなぁ、などと思いながらドアを開けると――
「ヤシロさん! みなさん! 待っていたッスよっ!」
――ウーマロが勢いよく出迎えてくれた。
「お客さんが来ちゃって、困ってたんッスよ!」
「客?」
こんな大雨の中、変わったヤツもいるもんだ。
と、ウーマロの背後へ視線を向けると……そこに、一組の家族がいた。父親と母親、そして息子と娘が一人ずつ。全員、丸い顔に丸い耳をつけて、全体的に細長い、イタチのような姿をしている。
そんなイタチのような可愛らしい顔をしたその一家は、みな背を丸め、俯き加減でテーブルを囲んでいた。
不自然なまでの陰気さに思わず身を引いてしまった。
いくら長雨が続いたからって、一家総出でそんな陰鬱なオーラを放たなくても……
「あ、あのっ!」
俺が陰鬱オーラに当てられ固まっていると、俺の後ろからジネットが明るい声でその家族に声をかけた。
「いらっしゃいませ。ようこそ陽だまり亭へ!」
聞き慣れたいつものフレーズに、その一家は顔を上げ、ゆっくりとこちらを向いた。
そして、消える前のろうそくの火のような儚げな瞳で、こんなことを言ったのだ。
「すみません……クズ野菜の炒め物、一人前だけですが……よろしいですか?」
その光景を目の当たりにして、俺は心の中で思わず叫んでいた。
一杯のかけそばかよっ!?
――と。
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