「お待ちしておりました、クレアモナ様とお連れの皆様方」
馬車のドアを開けると、そこに一人の少女が立っていた。
深々と礼をし、そして背筋を伸ばしてまっすぐにこちらに顔を向ける。
静かな佇まいでこちらを見つめるその少女は、やや緊張した面持ちで微かな笑みをその幼げな顔に湛えていた。
どこか頼りなさげな雰囲気を纏うその少女は、俺と同じくらいの年齢に見えた。
新米給仕だろうか。
「出迎えありがとう。みんなを代表して感謝を述べさせてもらうよ」
エステラが言い、ナタリアは無言で馬車を降りる。
出迎えの給仕が場所をあけ、空いたスペースに俺、エステラの順で降り立つ。
降りる際、ナタリアが軽くサポートをしてくれる。こうすることで、上位にいる人物が誰なのかを明確に知らせているのだ。
サポートするナタリアより俺が上で、最後に降りたエステラが最上位ということになる。
まぁ、面倒くさい決まりごとだが、こういうところはきちっとやっておかないとな。
俺たちが降り立つと、給仕は改めて深々と頭を下げた。
「改めまして、ようこそおいでくださいました。私は、二十七区領主トレーシー・マッカリー様にお仕えする給仕長、ネネ・グラナータと申します」
こいつが給仕長!?
思わず、言葉を失ってしまった。
これまで見てきた給仕長は、体に染みついた給仕長オーラが迸っているような連中ばかりだったから…………そいつらと比べると、このネネという少女はなんとも頼りない。
「驚かれましたか? そうですよね、私のような者が給仕長を任されているなどと……トレーシー様の名に傷を付けかねませんよね……」
驚きが露骨に顔に出ていたのだろう。ネネは俯き、瞳にうっすらと涙を浮かべて、言い訳をするように早口で言葉を重ねた。
いや、そこまで卑屈にならなくても……
「どうか、私のことは『ボロ雑巾』とお呼びくださいっ」
「いや、卑屈になり過ぎだろ!?」
さすがにつっこんでしまった。
どこの世界に、領主の給仕長を『ボロ雑巾』呼ばわりするヤツがいるんだ。
「ところでボロ雑巾さん」
「呼ぶんじゃねぇよ!」
いや、ナタリアなら絶対呼ぶと思ったけど!
ほらみろ、まさか本当に呼ばれるとは思ってなかったネネが結構素でショック受けてんじゃねぇか。冗談通じないタイプだろ、どう見ても。毒を吐くなら相手を選べよな。
「形式上であれ、我が主はご招待いただいたものと認識しております」
「は、はい! 是非ランチをご一緒にと、お招きさせていただきました」
「で、あるならば、最低限の歓待を期待したいと思います」
「それはもちろんです! 歓迎いたします」
「でしたら、もっと胸を張ってください」
「……え?」
美しい彫刻のような、乱れを知らないまっすぐな姿勢で、ナタリアはネネに言う。
すっと腕を持ち上げ、ネネの胸元を指さす。
「美しい姿勢で、堂々と胸を張り、誇らしげな笑みを浮かべて、エステラ様を案内してください。あなたになら、それが出来るはずです。そうですよね、給仕長さん」
「…………」
ネネが目と口をまん丸にする。
ナタリアの言葉は厳しくも、ネネに足りない部分を教え正すものだった。同じ給仕長として、この頼りないネネを激励したかったのかもしれない。
ナタリアの言葉を聞いて、ネネの頬が赤く色づいていく。
驚いて固まっていた表情がゆっくりと和らいでいき、雪解けの後に咲く花のように愛らしく微笑みを浮かべる。
「…………はいっ! ご案内、させていただきます」
大きく首肯して、自信なさげに曲がっていた背筋をピンと伸ばし、大きく胸を張る。
…………ちょこ~ん。Bか。
「給仕長史上、最小おっぱいだな」
「きゃぅっ!?」
張った胸を隠すように、また背中を曲げるネネ。両腕で自身を抱くように胸元を隠す。
「ヤシロ…………他所様の給仕長に平然とセクハラを働くのをやめてくれないかな? 外交問題に発展したら全責任を負わせるからね?」
「すまん。『精霊の審判』のせいで、正直者になっちまったんだ」
「嘘を吐いちゃいけないだけで、思ったことをそのまま口に出す必要はないんだよ!」
「けど、お前よりかは大きいぞ」
「余計なことを口にするなと言ってるんだよ!?」
エステラが二十七区の給仕長を庇っている。
これをきっかけに四十二区と二十七区は友好な関係を築けるかもしれないな。
おぉっ。俺、すげぇ役に立ってんじゃん。
「すまないね。彼の言うことは気にしなくていいから」
「い、いえ、あ、ああ、あのっ、貧相なものをお見せしてしまって申し訳ありません!」
「……うん。そう言われると、なんでかボクの心が痛むから、それくらいにしてくれるかな」
「こんな、あってないような膨らみで申し訳ありませんっ!」
「やめて……泣くよ?」
Aの前でBを卑下するネネ。
外交的に大きな溝が誕生した瞬間かもしれない。
「ネネさん」
痛むのか、胸を押さえるエステラの前にナタリアが立ち、ネネと対峙する。
領主の苦しみを和らげようと、ネネに一言物申すのだろうか。
「おもしろいっ!」
「下がって、ナタリア!」
……な、ワケないよな。ナタリアに限って。
そんなわけで、何が原因だったかはすでに忘却の彼方ではあるが、エステラが無駄にダメージを受けたところで俺たちは館へと案内された。
馬車は、ネネの指示により丁重に厩へと運ばれていった。
この感じは三十五区に行った時と似ているな。
歓迎されていると思っていいのだろうか。
しかし、歓迎される理由がない。
造りのしっかりとした大きなドアをくぐり、長い廊下を進む。
高い天井とそれを支える太い柱は、思わず声を漏らしてしまうほどに圧巻で、ついつい上を見上げてしまった。
白い壁と赤い絨毯が目に鮮やかで、外周区との違いを見せつけるような内装だ。
……ま、無理してでも豪華に作らせてるってところはあるんだろうけどな。負けず嫌いの『BU』だから。
「エステラ。お前ん家もこれくらい豪華に建て替えろよ」
「落ち着かないよ、こんな家……」
貧乏性が染み付いているのだろう。
きっとエステラは、部屋が広くなってもすみっこに座ってしまうに違いない。「すみっこが落ち着く~」とか言ってすみっこ暮らしを始めてしまうのだろう。
「こういう家に住めるってのも、才能の一つかもしれねぇな」
「そうかもね」
俺の冗談にエステラが苦笑いを浮かべる。
確かに、俺もこんなデカい家は御免だな。全然落ち着かねぇ。
家ってのはやっぱり、「あぁ、帰ってきた」ってホッとする、落ち着いた空間であるべきだよな。
「給仕が多いですね」
俺とエステラが家のデカさにばかり気を取られる中、ナタリアだけは別のことに意識を向けていた。
給仕の数。確かに、長い廊下の至るところに給仕がいて、俺たちが通る度に頭を下げてくれている。
とはいえ、そんなに多いってほどのことだろうか?
「この大きさの廊下が清潔に保たれています。掃除をする人員がきちんと確保されている証拠でしょう」
「あ、なるほど」
今この場にいなくとも、建物を見ればどれくらいの人員が必要か、またきちんと満足の行くレベルで維持されているか、給仕長には分かるのだろう。
「もっとも、見栄を張るために無理をしている可能性は否定できませんが」
誰かを招待した時だけ人を集めて大掃除をする。そんな可能性もあるというわけだ。
……しかしなんだな。人の家に来る度に部屋の隅々まで見て相手の経済状況なんかを推測するのが癖になっている俺と、ほとんど同じかそれ以上に、ナタリアは厳しい目でいろいろ見てんだな。
交渉相手の情報はどんな些細なことでも欲しい。その理由が『金儲け』か『主の威厳を守るため』かの差はあるけどな。
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