「じゃあ、腕立て伏せ六百回!」
「待ってです、デリアさん!? 最初なんでもうちょっと軽めでお願いするです!」
「ん、そうか? んじゃあ……軽めの腕立て伏せを六百回だ!」
「違うです!? なんかそういうことじゃないって気付いてです!」
朝の寄付を終え、陽だまり亭に戻るなりデリアによる『カンタン基礎体力作り』が始まったのだが……よかった、俺被害者側じゃなくて。
不満そうなアホっ娘トリオに、デリアの檄が飛ぶ。
「お前ら、獣人族だろう?」
「とはいえ、デリアさんと同じパワーはないですよ!?」
「それに、あたしたち、今本調子じゃないんだからさぁ……」
「私、運動ってそんなに得意じゃないんだよね……」
「文句ばっか言ってっから太るんだぞ!」
「「「太るって言うな」」です!」
些細な発言も気になるお年頃の女子たちだ。
俺は同席しない方がいいんだろうな。
「ジネット。任せても平気か?」
「そうですね。たぶん、みなさんもヤシロさんがいるといろいろ気にされるでしょうし」
必死に筋トレすると、人は変な顔になるし変な声も出る。「んんどぅゎあああありゃああああ!」とかな。
やっぱ、俺はいない方がいい。
「じゃあ、夜には戻るから」
「すみません、追い出してしまうようで」
「なに。気にするな。やることもあるしな」
ジネットたち講師によろしく伝え、受講者三人にも声をかけて、俺は陽だまり亭を離れる。
「とりあえず、マグダの様子でも見に行くか」
ヤップロックのところへ顔を出そうと思っているのだが、マグダに会うならカンタルチカが始まる前の方がいいだろう。慣れない店での仕事だからな。時間の作り方も勝手が違うだろう。
というわけで、先に大通りへとやって来た俺なのだが……そこで意外なヤツに会った。二人も。
「はぁぁあん! カンタルチカの制服姿もよく似合って、マグダたん、マジ天使ッス!」
「……お前、どこで情報仕入れたんだよ? まだ開店前だぞ」
マグダが今日からカンタルチカで働くということは、昨日の閉店後に決まって、そして今はまだ開店前だ。……こいつ、超能力でも体得したんじゃないだろうな?
まぁ、ウーマロは最早手遅れな人間なのでいいとして、意外だったのはもう一人の方だ。
「ぁ、てんとうむしさん。ぉはよぅ」
「ミリィ……えっと、届け物か?」
早朝に、ミリィがカンタルチカにいた。
しかも、テーブルなんかを拭いている。
「ぁのね……まぐだちゃん、ぁあは言ったけど、きっと寂しぃだろうなって…………みりぃだったら、一人でぉ泊まりは、きっと寂しぃから……だから、一緒にぉ泊まりしょうかな、って」
「ミリィ……」
なんていい娘なの!?
もうウチの娘にならない!?
抱きしめたい! いやもう抱きしめる!
「ミリィ!」
「ぇ!? きゃ!」
「……お客さん、踊り子にお手を触れないように」
ミリィに抱きつこうとした刹那、俺のアゴ先にモップの柄が突きつけられた。
マグダだ。
「ぁの、まぐだちゃん…………みりぃ、踊り子さんじゃなぃ、ょ?」
「……抱きつくなら、マグダにするべき」
「ぇっと……そっちは、ぃい、の?」
そうだった。
マグダの激励に来たんだった。
「マグダ。大丈夫そうか?」
「……少し形態が違うが、マグダだから大丈夫」
「そうか」
「……それに、ミリィも手伝ってくれると言っている」
「そうなのか?」
「ぅ、ぅん。ギルド長さんにぉ願いして、ぉ休みもらったの」
ミリィまでもが自分の仕事を休んで……
「無理してないか?」
「ぅ、ぅん。みりぃも、みんなのこと、心配だし……それに、ね……ギルドの大きいぉ姉さんたちも、ちょっと気になってたんだって、若い子たちの、ダイエット」
早朝。
俺たちが教会の寄付へ行っていた頃、ミリィは生花ギルドへ出向き、今回のことを話したらしい。それで、ギルド長とギルドのババア……もとい、大きいお姉さんたちに送り出されたのだと言う。
ちなみに、マグダはカンタルチカにいる間はカンタルチカの業務に専念するのだそうで、朝の寄付にも参加していない。
ガキどもがぶーたれてたぞ。
陽だまり亭に帰ってきたら盛大に甘えさせてやれよ、『マグダおねーちゃん』。
「何かあったらすぐ呼びに来い。職場が変わっても、俺とマグダの関係は変わらないからな」
マグダの尻尾がピンッ! ――と、まっすぐ立つ。
そして、俺の腕に巻きついてきて、ぐいぐいと自身の頭の方へと引き寄せる。
分かった分かった! 撫でるから、引っ張るな。
「…………むふー!」
「ホント……、大丈夫かよ、マグダ」
「……ヤシロとマグダはいつも心で繋がっている。だから平気」
甘えながらも、しっかりと自立し始めているマグダ。
こいつは本当に大きくなったな。心が。
もうすぐ大人の仲間入りだ。
「……繋がりが多少卑猥に見えることもしばしば」
「そっち方面の大人になるのはもう少し待ってくれ。な? な!」
マズい。レジーナとナタリアの隔離を急がなければいけないかもしれない。
あ、それならハビエルやウーマロも危険か?
えぇい、この街にはなんでこんなに変態が多いんだ!
……はっ! そうだ!
「マグダとミリィ……それに妹たちがこの店の手伝いをしているなんて情報が漏れたら……きっとハビエルが来るから、十分気を付けるんだぞ!」
「……平気。いざとなったらハビエルキラー(イメルダ)を召還する」
それなら安心だが……
「……ヤシロ」
不安の種が尽きない俺の胸に、マグダがそっと手を添える。
「……マグダは大丈夫。きちんと出来るように、ヤシロと店長が育ててくれた」
もっと信用しろと、言ってくる。
マグダを。
そして、そんな自分を育てた俺とジネットを。
「あぁ……そうだな」
「……そう」
こいつは、本当に大きくなったな。
……あ、やばい。泣きそうだ…………
涙が滲まないようにアゴを軽く持ち上げる。
そんな俺に、マグダはいつもと変わらない、いつも通りの声で言う。
「……それに、万が一のことがあってもしも店が潰れても、カンタルチカならセーフ」
「セーフじゃないぞ!?」
「……マグダには陽だまり亭があるから」
「それはそうなんだけど!? あぁぁあ、大丈夫かなぁ!? 急激に不安になってきたなぁ!?」
この娘、……怖いわ。
まぁ、きっと、たぶん、おそらく、メイビー、うまくやってくれることだろう。そう信じたい。信じさせてほしい……
おそらく冗談だったのであろうマグダの言葉は早々に忘れることにして、俺はカンタルチカを後にした。
マグダたちは店の準備をしなきゃいけないし、俺は俺でヤップロックのところが気になっているしな。
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