「よしっ! じゃあ、本格的に教えてやる。その代わり覚悟しろよ? 厳しくいくからな?」
「おぉっ! お兄ちゃんが本気の目をしてるですっ」
「毎日味の確認をして、少しでも味が落ちたらやり直しだ」
「むむむっ、厳しいです……っ」
「味が安定したら免許皆伝だ。やるか?」
「やるですっ!」
即答だった。
得意料理が欲しいというのは本当のことだったらしい。
マグダにはポップコーンやたこ焼きがあるが、ロレッタにはコレというものがない。
もしかしたら、ちょっと寂しかったりしたのだろうか?
これが自信に繋がり、その自信が仕事への意欲に繋がるなら、ここはしっかりと面倒を見てやるべきだろうな。
「よし。まずは挽くところから始めるぞ」
「ミルですね! あれ回してる店長さんはちょっとカッコよくて密かに憧れてたです! やるです!」
陽だまり亭には、祖父さんの使っていたミルがある。
かなり古くなっていたのだが、ノーマがメンテナンスをしてくれたおかげで今でも現役だ。
その際、ミルの構造を教えてやったら、新しいミルを作ってくれたりもした。
今回はこの新しいミルを使おう。さすがに、祖父さんのミルで練習ってのは気が引けるしな。
「こうやってハンドルを回していると、頭がよくなった気がするです」
「ははっ、頭悪そうな発想だな」
「なんでですか、もうっ!」
頬をぷっくり膨らませるが、豆を挽く手は止めない。なんだか楽しそうだ。
こういう単純作業をしながら考え事をするとひらめきが湧いてくることがある。
あながち、ロレッタの妄想も的外れではないのかもしれない。
「はい、中挽きです!」
「おっ。そんな言葉も知ってるのか?」
「店長さんが言ってたです」
なるほど……ジネットが中途半端に教えたから、こいつが見よう見まねで悲惨な失敗作を作りやがったんだな。
「他に、ジネットから教わったことはないか?」
「愛情を込めて淹れれば美味しくなるですっ!」
「……愛情だけしか込めなかったから失敗したんだな」
「こ、込めれば美味しくなるですっ! どんなものでも!」
どんなものでもじゃねぇよ。
ちゃんと基礎を教えてやるか。
陽だまり亭のコーヒーは布フィルターを使用したネルドリップ方式だ。
ガラスが手に入ればサイフォンとか作りたいんだが……残念ながらガラス職人に知り合いがいない。
まぁ、それはまた今度でいい。
「フィルターに粉を入れたら、一回全体にお湯を染み込ませて二十秒ほど蒸らすんだ」
「なんでです? サクッと淹れちゃダメです?」
「お湯と豆を馴染ませるんだよ。そうすることで美味い成分が引き出せるようになる」
「ほほぅ、なるほどです」
あとは、ゆっくりとお湯を回し入れ抽出していく。立った泡が沈みきる前に注ぎ足し、雑味が混ざらないように、素早く、そっと、丁寧に。
「フィルターに直接湯を当てるなよ。あと、時間をかけ過ぎるな」
「む、難しいです……ちょっと、静かにしてほしいです」
布フィルターの先がコーヒーに浸からないように持ち上げ、湯をそっと注いでいくロレッタ。
凄まじい集中力だ。……スゲェ寄り目になってる。
「で、出来たですっ!」
息が詰まるような緊張感の中、二杯分のコーヒーを抽出し終える。
ロレッタの額には汗が浮かび、キラキラと輝いていた。
「の、飲んでみてほしいですっ」
「どれ……」
ジネットに出す前に、まずは味見だ。
…………ふむ。
「まぁ、及第点だな」
基本を押さえりゃ、これくらいの味は出せるだろう。……という味だ。
悪くはない。
まずはこの味をキープして、後々ステップアップしていけばいいだろう。
「頑張ったな。飲ませてもらうよ」
「やっ……やったですっ! お兄ちゃんの合格がもらえたですっ!」
諸手を挙げてはしゃぐロレッタ。
厨房で暴れるなよ。危ないぞ。
「ジネットに持っていってやれ」
「はいですっ!」
淹れたてのコーヒーをトレーに載せ、うきうきした足取りでロレッタが厨房を出て行く。
……カウンターの段差で転ぶなよ。
「お待ちどうさまです!」
どうやら無事たどり着いたようだ。
俺も自分の分を持ってフロアへと戻る。
「これ、ロレッタさんが淹れてくれたんですか?」
「はいです! ちゃんと豆から挽いたですっ!」
「へぇ、すげぇな」
「あとは味がどうかが問題さね」
「ちゃんと美味しいですよ! お兄ちゃんに合格をもらったですっ!」
ロレッタのコーヒーにデリアとノーマも興味をそそられ近寄ってくる。
で、ウーマロ。お前はずっとマグダだけ見てるんだな。もうその病気治らないだろうから何も言わないけどな。
「では、いただきますね」
「どうぞです!」
ジネットが嬉しそうにカップに手を伸ばす。
と、それより早くマグダがカップを手に取った。
コーヒーを持って、ジッとジネットを見つめるマグダ。
そしておもむろに――
「……店長。あ~ん」
「いえ……それはさすがに…………」
自分も何かをしたくなったのだろうが……うん、やめとけな。危険だから。
マグダからアツアツのコーヒーを受け取り、ふーふーと二度湯気を吹き飛ばし、改めて「いただきます」と言って、ジネットがコーヒーに口をつける。
「………………うん。美味しいです」
ゆっくりと味わった後で、ジネットが笑みを浮かべる。
瞬間、前傾姿勢でジネットの反応を窺っていたロレッタが握った両手を引いてガッツポーズを作る。
「やったですっ!」
甘々の評価だろうけどな。
それでも、ロレッタは嬉しそうにジネットの周りを跳ね回っている。
そんなロレッタを視線で追い、ジネットはおかしそうに笑っている。
普段はしてあげるばかりで、こうやって何かをやってもらうなんて滅多にないからな。
あぁ、これはあれか…………母の日みたいなもんか。
「よかったね、お母さん」
「な、なんですか、急に!? ビックリするじゃないですか!?」
母の自覚はないようだ。
まぁ、ないか。
「どれくらい美味しかったです? わっしょいわっしょいしたです? 店長さんの中のわっしょい魂に火がついたですっ!?」
「えっと……わたし、そんなにわっしょいわっしょい言ってますか?」
というか、お前はそれしか言ってないくらいだ。
「あの……『わいわい』、くらいでしょうか?」
残念。わっしょいわっしょいほどの盛り上がりはなかったようだ。
「ぬぉぉおん……じゃあ、次こそ! 次こそですっ!」
ポジティブなのはいいんだが……そもそもコーヒーでそこまでの感動ってなかなかないぞ?
ロレッタがやる気になってるならそれでいいんだけどな。
一方のマグダは……
「……まぐれ」
「そんなことないですよ!? もうちゃんと淹れられるようになったですよ!?」
ロレッタが褒められて少し拗ねてしまったようだ。
今日はとことんジネットに甘えたいらしい。
ジネットのいなかった二晩が、相当寂しかったのだろう。
「それじゃあ、マグダはたこ焼きでも焼いてやったらどうだ?」
今回、ジネットはたこ焼きを食べていないしな。きっと喜んでわっしょいわっしょいしてくれることだろう。
……なの、だが。
俺とジネットを除く、その場にいる全員がどんよりと澱んだ表情になった。
「…………ソースの香りは、もういい」
「あたしも、しばらくは嗅ぎたくないです……」
「食べちゃいないのに、もう腹いっぱいさね…………」
「オ、オイラ、マグダたんが焼いたものなら…………し、死ぬ気で食うッス……」
ウーマロをしても、死ぬ気にならなければ食えないのか……丸二日、あの濃厚な甘辛いソースの香りを嗅ぎ続けた一同は、もううんざりだと言わんばかりに顔を背けている。
そして、デリアが口癖のように嘆く。
「あたい、鮭が食いてぇよぉ!」
「いいですね、それ! あたしも食べたいです!」
「初めてデリアの鮭好きに共感できたさねぇ。いいんじゃないかい、鮭?」
「…………デリア。採用」
「マグダたんがそう言うなら、オイラも鮭を食べるッスっ!」
いつもはスルーされるデリアの「鮭がいい」発言が、今日は称賛を浴びている。
お前ら……ホントに粉物嫌なんだな……悪かったよ、マジで。
「それでしたら、わたしが焼き鮭定食を作ってき……」
「店長さんは座っててです!」
「で、でも……」
「……マグダは店長の膝の上から退かない所存」
「あ、あのマグダさん……お気持ちは嬉しいんですけど、準備をしないと鮭が……」
今日は疑似母の日だ。
……俺も日頃世話になってるしな。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!