「……と、いう話を昨日イメルダとしたんだが」
「誰が抉れ乳だっ!?」
向かいに座るエステラがテーブルをドンと叩く。
……なんでそこだけをピックアップするんだよ。全部話したのに。
「まったく、ボクのいないところでくだらない話して……っ!」
「悪かった。今度からはお前も交えて抉れ乳の対策を話し合うことにするよ」
「混ぜてほしくないよっ! …………抉れてないわっ!」
陽だまり亭へ嫌がらせに来たチンピラかというほどテーブルをバシバシ叩いて暴れるエステラ。出禁にするぞ、コラ。
「まぁ確かに、獣人族との間には少なからずそういう感情があるかもしれないけど……四十二区には関係のない話だよ。ボク、そういうの嫌いだし」
「そうですね。四十二区のみなさんはいい方ばかりですので、誰かを差別するというようなことはないのではないかと思いますよ」
俺の隣で、ジネットがほっこりとした笑みを見せる。
昨日イメルダと話をしてみた結果、こいつらにも話してもいいだろうと判断した俺は、種族間の軋轢に関する話を陽だまり亭の面々に話して聞かせることにしたのだ。
ジネットにエステラ。それにマグダとロレッタもいる。
あまりいい気はしないかもしれないが、陽だまり亭のメンツなら変な摩擦は生じないと踏んだのだ。話せば分かってくれるだろうし、下手に隠したり遠慮したりする方が怒りそうだったしな。
「だがな、ジネット。かつてはここにもスラム差別があったじゃないか」
「あぅ……そう、でした……ね」
「あ、あの! そんな顔しないでです、店長さん! お兄ちゃんたちのおかげで、街の人たちと分かり合えたですし、弟妹たちも元気に楽しくやってるですから、もう何も気にしてないですよ!?」
ふっと表情を曇らせたジネットに、当事者であったロレッタがフォローを入れる。
もうすでに過去のことと、本人たちはすっかり割りきっているのだ。弟妹たちも、根っからの明るさと前向きな思考によって暗い影など微塵も感じさせない。
理解し合えたことで、過去は清算されたのだ。
とはいえ、差別意識を持っていた側はそう簡単にはいかないようだが……
ノーマなんかは、今でも不意にロレッタや弟妹たちのことを気にかける素振りを見せる。
同情ではないにせよ、どこか放っておけない気分になるのだろう。
それがいつしか『思いやり』なんて言葉に変わっていくのだと思う。
そういう点では、ジネットはいささか気にし過ぎかもしれないな。
ロレッタを気遣うあまり、ロレッタに気を遣わせてしまっている。
良くも悪くも、相手の心に寄り添い過ぎるヤツだ。
「ロレッタの言う通りだぞ、ジネット」
ジネットが暗い表情をすれば、その分ロレッタの心が重くなる。
それは負のスパイラルを生み出すきっかけになりかねない。
俺がジネットの心にかかる錘を取り払ってやらなきゃな。
「そういう過去は確かにあった。その事実は消えない。けどな……」
俺はジネットに向かって、最高に爽やかな笑みを向けてやる。
「ロレッタ的には、それくらいの方が『おいしい』んだぞ!」
「そういうお笑い的なものは求めてないですよ、あたしたち弟妹!?」
え~、なんでだよ?
「いやいやっ! ちょっと待ってくださいよっ!?」とか、そういうの好きだろ?
本当は弄られ好きなくせに。
「そうだよ、ジネットちゃん」
折角フォローしてやった俺に「むぅむぅ!」と抗議してくるロレッタを尻目に、エステラがジネットに声をかける。
「大切なのは『過去に何があったか』ではなく、『これからをどう生きていくか』だよ」
「これからを……」
「獣人族はみんな前向きで、気持ちのいいくらいさっぱりした人ばかりじゃないか。彼らと一緒に明るい未来を築いていく。それが、ボクたちが最も考えるべきことだと思うよ」
そう言いつつも、何もしなくていいとは思っていないらしく、エステラはニュータウンへの投資を惜しみなく行っている。
ロレッタたちが生きていきやすいように、可能な限り力を貸しているのだ。
それだけじゃない。四十二区は、獣人族にとって住みやすい環境を作るための制度がいくつもある。
そんな領主からの働きかけがあるからこそ、この街に住む獣人族はみんな活き活きとしているのだと、俺は思っている。
「ボクは彼らを信じているし、彼らもそうだと確信している。変に負い目を感じる必要もないし、今まで通り普通でいいんだよ」
人間と獣人族は違う。
そんなもんは分かりきっている。見た目がまるで違うし、力や、その他の身体能力も違い過ぎる。
けれど……
「だって、ボクたちもマグダやロレッタ、他の獣人族のみんなも、同じ人間じゃないか」
同じ『ニンゲン』。
同じ四十二区の住民。
それがエステラの、この四十二区の考え方なのだ。
好感の持てる考え方だと、俺は思う。
言ってしまえば、割と好きな方だ。
「はい。そうですね。みんな、一緒です」
硬かったジネットの表情が、いつものふんわりしたものに変わる。
ここで俺が気の利いた一言を添えて、場の空気を整えてやるべきだろう。
「そうだぞ、ジネット。四十二区ではな、爆乳も抉れ乳も平等に生きる権利があるんだ!」
「あるよ、そりゃ! この区に限ったことじゃなくねっ!」
「あ、ごめん。抉れてる人はちょっと黙っててくれる」
「差別すんなぁっ! …………抉れてないわっ!」
あぁ、素晴らしい。四民平等。
なんて穏やかな世界なんだ。
ん? 『四民』?
そりゃあ、お前、『爆・巨・普・貧』の四段階の階級だろ。その下に『無・抉れ』と続くが、素晴らしき四十二区ではそれすらも差別に遭うことはないのだ。
素晴らしいな、まったく。
「……で、だな」
問題定義をし、そして場の空気が柔らかくなったところで、俺は本題を切り出す。
「セロンとウェンディの結婚を、盛り上げてやりたいと思う」
「なるほどね……人間と獣人族の結婚を、当たり前のものだと再認識させるってわけだね」
察しのいいエステラが俺の言葉を補ってくれる。
制度的になんの問題もない人間と獣人の結婚。しかし、差別意識の薄い四十二区内においても、人間と獣人の夫婦は、俺の知る範囲では一組もいない。
おそらく、どこかで潜在意識が勝手な思い込みをしているのだ。
『異種族間の結婚はおかしい』と。
日本でも、差別するつもりなどまったくなくても国際結婚には躊躇してしまう者がほとんどだろう。なんとなく、同じ種族に配偶者を求めてしまうのは、習性といってもいいかもしれない。
俺個人の力なんぞ大したことはない。そんなもんは分かりきっているし、それを嘆くようなこともない。出来ることしか出来ない。当たり前だ。
長く根付いたその潜在意識を改善させるなんて、俺に出来るはずがない。
この国の人間すべての価値観をひっくり返すなんて大それたこと、きっと精霊神でも出来やしない。
俺に出来るのは、精々、手を伸ばして届く範囲にいる人間にわずかな影響を及ぼすこと程度だ。
だが、それくらいのことなら出来るはずなんだ。
ロレッタたち弟妹が四十二区に溶け込めたように。
アッスントやウッセたちと、バカな話で笑い合えるようになったように。
相容れないと、勝手に思い込んでいた関係をどうにかすることで丸く収めることくらいは……必死になれば出来る……かもしれない。
それくらいなら、労力を割いてやらんでもない。
もしいつか、マグダやロレッタが誰かを本気で好きになった時に、くだらないことで悩んだりしなくて済むように、な。
ついでに、俺におこぼれで利益が生まれるなら最高だ。
ちょちょいと細工をしてやれば、また陽だまり亭に客が流れ込んでくる仕組みが作れるかもしれん。いや、作れるだろう。
そんなわけで、俺はまた、一つ大きなイベントを開催することにした。
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