「そういえば、ここの蜜って無料なのか?」
最も重要なことを誰も口にしないので、しょうがなく俺が尋ねることにする。
適当に飲んで、帰り際に料金を請求されるとか御免だからな。
「はい。この花園の蜜は無料ですよ」
ウェンディの言葉にほっと胸を撫で下ろすと同時に、そんなんで大丈夫なのかという不安も湧き上がってくる。
ほら、維持費とか。
「ここは、三十五区の領主様が管理されている花園で、花の管理や警備はすべて領主様が負担してくださっているんです」
「区営なのか」
「はい。花園の外に持ち出さない限りは飲み放題です」
なるほど。
持ち出しをOKにしてしまうと、それを他所で売る商売が成り立ってしまう。それでは大赤字になるだろう。
元手無しで、美味い飲み物が販売できるなら誰だって飛びつく。
それは領主の本意ではない。
あくまでこれは、三十五区内でのみ受けることが出来るサービスなのだ。
カブリエルが言っていたが、確かに、ここの領主は『亜種』とやらにも気を配っているらしい。
…………けど、『人間』以外には会いたがらない可能性が、ある……かもしれないんだよな。
実際会ってみないとなんとも言えないな。
どういう人物なのか。
『ルシア』って名前から察するに、女だと思うんだが……
怒らせると怖い女領主か…………どうしてもメドラみたいなヤツが思い浮かんでくるんだよな…………やっぱ、会いたくないかも……
「よし、それじゃあ、ボクはこの青い花の蜜にするよ」
もう我慢できないとばかりに、エステラが花園に咲く青い花を一輪摘み取る。
そして、花の縁に鼻を近付けて香りを堪能する。……ワインか!?
「いい香り……これは絶対美味しいね」
自信たっぷりに言って、そっと口をつける。
ストローは別売りであるようなのだが、一人で飲むならエステラみたいに口をつけて飲めばいい。むしろ、俺はそれを推奨するね!
二人でストローとか、邪道だ。爆ぜろ。
花に口づけるエステラ。
ゆっくりと花を持ち上げて、静かに蜜を口の中へと流し込む。
整った顔立ちが、そんなともすればキザになりがちな行為すらさり気なく、そして美しく見せる。
……なんというか、少しだけ色っぽく見える。
「…………ふむ」
舌の奥でしっかりと味わうように、ゆっくりと喉を鳴らす。
おそらくエステラが身に纏っている貴族の気品のようなものがそうさせるのだろうが……すごく『通』に見える。今日が花園デビューのはずなのだが、嗜み方を知り尽くした常連のような風格だ。
「ヤシロ」
花の蜜を堪能したが故の余裕なのだろうか、エステラの微笑みがいつもより穏やかに見える。
年齢よりも大人っぽいその微笑を俺に向け、先ほど口をつけた青い花を俺へと差し出してくる。
「君も一口、どうだい?」
「へっ!?」
そ、それってのは……か、間接キスをせよと!?
いやいやいや。間接キスくらいどうってことはないのだが……エステラはそういうのを恥ずかしがるヤツだと思っていたから、そこに驚いてしまった。
これが逆だったら、真っ赤な顔をして「か、かか、間接キ、キスとか…………無理っ!」って、盛大に慌てふためくに違いないのだが…………
なんなんだ、この余裕は?
もしかして、あの蜜の中にはアルコールでも入っているのか?
普段とは違うエステラの雰囲気に、不覚にも胸がざわつく。
「遠慮しないで。ほら」
「お、おぅ……」
差し出された青い花を、思わず受け取ってしまった。
受け取ってしまったからには……飲むしか、ない……よな?
まぁ、間接キスくらいどうってことはないのだが……念のために、口をつけたところは外しておこうかな。念のためにな。罠かもしれないし。
エステラが、いつもと違う余裕の雰囲気を見せていることに警戒しつつも――警戒だからな? あくまで警戒であってドキドキしてるわけでは決してないからな――俺は青い花に口をつけ、そっと蜜を口の中へと流し込んだ。
とろり……と、花の蜜が流れ込んでくる。
そして――
「ブホッ!?」
マッズっ!?
つか、酸っぱっ!?
「ごほっ! ごふっ! げふんげふん!」
「ヤ、ヤシロさん、大丈夫ですか!?」
「ふふふ……君も道連れだよ、ヤシ……ごほっごほっごほっ!」
「てめぇ、エステごほっ! このために……ごほっごほっ! 咳を我慢してごほっごほっごほっ!」
なんてヤツだ。
俺を引っかけたいがためだけに、こんな強烈に酸っぱいもんを飲んだにもかかわらず、あんな涼しい顔してやがったのか!?
くゎー、キツい!
手加減なしの、マジもんのお酢を一気飲みしたような気分だ……果実酢とか、そんな生易しいもんじゃない。酢だ。素の酢だ!
これ……むせるなって方が無理だ…………エステラの精神力、凄まじいな……こんなくだらないドッキリのために…………っ。
「ごほっごほっごほっごほっ!」
「ごっほごほごほ。ごほっほごっふ」
「ごーほごほごほ、ごほほほごっほごっ!」
「自分ら、咳でケンカすんのやめ~や。聞いてる方が、気管とか『はしかい』なるわ」
『はしかい』ってのは、喘息とかで気管が「ぜひーぜひー」するような、なんともしようがない、痛痒いような、そんな気持ちの悪さ、みたいなことだ。
こっちの方が『はしかい』わ!
俺とエステラの間に立ち、左右の手で各々の背中をさすってくれるジネット。
おら、レジーナ。お前も自分の喉元かいてる暇があったら、ジネットを見習って背中でもさすれよ。
「あの、英雄様、領主様」
いまだむせ続ける俺とエステラに、ウェンディが心配そうな視線を向ける。
「中には、飲みにくいものもありますので、お気を付け下さいね?」
「「ごほほごほごっほ!」」
俺とエステラの咳が揃う。
おそらく同じ気持ちなのだろう。
すなわち、「言うの遅いわっ!」
「英雄様、領主様。この花の蜜は喉に優しい味ですよ」
セロンが俺とエステラに、白い花をそれぞれ渡してくれる。
中の蜜を飲むと、まるではちみつレモンのような爽やかな酸味とまろやかな甘みが口の中に広がっていく。
イガイガしていた喉が癒されていくようだ。
「……治まった」
「……ボクも」
ほふぅと、二人揃って息を吐く。
というかだな、エステラ。お前の災難は、浅慮故の自業自得だが、俺のは人災だからな? 傷害罪が適用されても文句言えない状況だからな?
「覚えてろよ、エステラ」
「なんだよぉ。軽いお茶目じゃないか」
「……俺も軽いお茶目を、いつか、『必ず』、仕掛けてやるよ」
「さ、先に『お手』とか言って、ボクに変な汗かかせたのは君の方じゃないか!」
「それを蒸し返すな!」
えぇい、もういい。
今回のことは大目に見てやる! だから二度と蒸し返すなよ!
「英雄様も領主様も、大事に至らなくてよかったです」
ウェンディがほっと胸を撫で下ろす。
自分の勧めた場所で俺たちに何かあったら……とでも心配したのだろう。
だったら事前に注意喚起しておいてほしかったよ。
エステラも、ウェンディの言葉に苦笑を浮かべている。
だが、こちらは俺とは理由が違ったようだ。
「ウェンディ。それにセロンも。『領主様』はやめてくれないかい? 今まで通り『エステラ』と呼んでほしいって言ってるじゃないか」
「あっ、すみません。つい……」
「僕も、気を付けようとは思うのですが…………どうしても」
大食い大会の、あのエステラの宣言まで、エステラが領主の娘であることを知っている者は限りなく少なかった。
しかも、その直後にエステラは自分が領主になると宣言したのだ。
これまで親しくしてきた面々には、今まで通り接してほしいと言っているようだが……ウェンディやセロンみたいな不器用な連中には、それが難しいらしい。
気にせず今まで通りに……とは、なかなかいかないらしい。
天然系の後輩だと思って可愛がっていたヤツが、実は組長さんの一人娘だった……と、分かった瞬間敬語になってしまう。みたいなことなのだろう。
気にするなって方が無理なのかもしれない。
まぁ、そういう距離感が嫌でずっと内緒にしていたエステラには、つらいことかもしれないけどな。
……しゃ~ねぇなぁ。俺が一肌脱いでやるか。
「セロン、ウェンディ。『エステラ』と呼ぶのが躊躇われるなら『エグレラ』と呼んでやればいい」
「抉れてないよ!?」
「酷い濡れ衣だな……別に『抉れちゃん』から取って『エグレラ』と言ったわけじゃないぞ」
「じゃあ、なんなのさ?」
「エグい下着を穿いてる『エグレラ』だ!」
「今日は穿いてないよっ!」
今日は穿いてない……しかし、持っていないとは言っていない!
俺は以前、ナタリアから情報をもらっているのだ。「エステラの洋服ダンスの上から二段目には、エグい下着が眠っている」とな!
………………ん?
「今日は、穿いてない」…………?
「えっ!?」
「そういう意味じゃないから! 穿いてるから!」
「信用できん! 見せろ!」
「断るっ!」
「他所の区でも全開やな、自分」
「もう、ヤシロさん…………懺悔してください」
なんだか非難轟々だ。
俺は、『エステラ』と呼びにくいなら愛称で呼んだらどうだと、打開案を提示しただけなのに……やっぱ、親切なんてするもんじゃないな。ろくな目に遭わない。
「さっきの青い花以外、全部摘み取ってやる!」
「ダメですよ、英雄様!? 三十五区の領主様に叱られます!」
「下手したら戦争になるかもね……ヤシロ、『ハウス』!」
エステラめ……余計なことばかり学習が早い。
お前がもし飼育系ゲームの犬役だったら、『お乳』ってコマンドを選択した際に『そのコマンドは選択不可です。別の芸を選んでください』ってアラート出されるくせにっ!
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