「あの……みなさん」
恐る恐る、ジネットが声を発する。
珍しく怖がられているポジションのため、怖がらせないように配慮しているのだろう。
足つぼでハッスルした後は、こういう場面をよく見かける。
「おい、みんな。聞いてやってくれ。ジネットが最後に足つぼ納めをしたいそうだ」
「「ぴぃっ!?」」
「違います、違いますっ! もう、ヤシロさんっ」
トレーシーとネネが身を寄せ合って捨て犬のように震え出し、ジネットが頬をぷっくり膨らませて俺を睨む。
いや、だって。こういう弄りが出来るチャンスってそうそうないからさぁ。
「あの、お二人にウチのコーヒーを飲んでいただきたいなと思いまして」
二十七区がコーヒー豆の産地だということはジネットにも言ってある。
なので、陽だまり亭のコーヒーを本場の人間に飲んでもらいたくなったのだろう。
「コーヒーを出していただくのは初めてですね」
「喜んでいただきます」
トレーシーもネネも嬉しそうだ。
こいつらにしてみれば、コーヒーは客に出すものであって、振る舞われるようなことはなかったのだろう。
客の引けた陽だまり亭は、静かでゆったりとした空気に包まれている。
アルバイト店員から客へと立場を変えたトレーシーとネネが席に着き、ジネットとロレッタが厨房へ入る。
「なんだか、落ち着きませんね」
「お客さんはこういう風景をご覧になっていたんですね」
そわそわと、座ったままで店内を見回す二人。
賄いを食う時はすみっこの席で壁に向かっていたためか、座って見る陽だまり亭の店内が珍しいらしい。
「あ、そうだ。もう『さん付け』をやめてもいいぞ」
二人とも、突発的に発症していた悪癖が大分収まった。
「さん付け」をやめても、もうトレーシーは怒鳴ったりしないだろう。
ネネも、これまで通り『トレーシー様』と呼べばいい。二十七区に帰ったらそう呼ぶわけだしな。
「呼び捨てでも『様付け』でも、好きに呼んでいいぞ」
俺が許可を出すと、トレーシーとネネは顔を見合わせて、お互い遠慮するように相手に視線を投げかける。
「ネ、ネネさんからどーぞ。私を呼んでみてください」
「い、いえ。トレーシーさんから……給仕は主に付き従うものですから」
「では、その主として申し上げますね。ネネさんからどーぞ」
「恐れ多いです、主を差し置いて私などが先行するなど……」
「ネネさん……?」
「怖い顔をされても無理なものは無理です」
「…………」
「…………」
これまで見せたこともないような険悪な空気を醸し出し、二人が見つめ合う……というか、睨み合っている。
「何をそんなに睨んでるんだよ、二人して」
「「だって、……『さん付け』をやめた途端、店長さんに拉致されそうで……」」
「あ、あの、わたしって、そんなに怖いでしょうかっ?」
コーヒーを持って戻ってきたジネットが少し泣きそうな表情を見せる。
そうかそうか。
この中にいる間は怖くて「さん付け」を止められないのか。
パブロフの犬的効果……かな。
「うぅ……コーヒーです」
しょんぼりとした顔で、ジネットがコーヒーを俺たちの前に置く。
いい香りが立ち上り、肺の中が幸福感で満たされる。
「いい香りですね……」
「焙煎の仕方がうまいのでしょうね」
そんな感想を聞いて、ジネットの顔に笑みが戻る。
コーヒーを褒められることは、そのまま祖父さんを褒められることでもあるからな。
「すっきりしていて飲みやすいですね」
「後味がいいですね。渋味もえぐみもなく、香りだけがいつまでも残って……」
ジネットのコーヒーは、食後の口と胃を落ち着かせてくれる。そんな味わいだ。
「こっちも是非飲んでほしいです!」
続いて、ロレッタがコーヒーを持ってくる。
こっちは俺が教えたブレンドコーヒーだ。
「こちらはまた違った味わいですね」
出されたコーヒーをブラックのまま一口飲んで、トレーシーが言う。
本当に『味わう』という感じで、コーヒーを楽しんでいるようだ。
「苦みが際立ち、きりっとした味ですね」
ネネもまた、コーヒーにはうるさいようで、細かい味の違いを的確に言い当ててくる。
さすが、コーヒーの産地で生まれ育った二人だ。
エステラなんか、どっちにもミルクをたっぷり入れて、砂糖で甘く甘くしているから違いなんか分かってないだろう。
「どちらも、私たちのコーヒーとは違う美味しさがあっていいですね。是非淹れ方を教えていただきたいです」
「それでしたら……」
と、何かを言いかけたジネットだったが、ふと俺の顔を見るなり言葉を止めた。
そして――
「是非、何度でも飲みにいらしてください。そのうちに、味の秘密が分かるかもしれませんよ」
そんなことを言ってから、俺に向かってちろりと舌を覗かせた。
さも、「ヤシロさんが伝染っちゃいました」とでも言わんばかりに。
なんだ、それ。
まだまだ甘いっつうの。
だがまぁ、店のレシピを気軽に教えなかったのだけは褒めてやろう。
他人が欲しているものは、それだけで金を生むのだ。知りたければ、相応の金銭を貢いでもらわなければな。
「……驚くのはまだ早い」
ジネットとロレッタの後に厨房へと入ったマグダが、遅れて登場する。
手に持ったお盆には――そうだな、四十二区でコーヒーを語るなら、こいつがないと始まらないよな――コーヒーゼリーが載せられていた。
「……さぁ、めくるめく魅惑のワンダーランドへ」
そんな言葉と共に、コーヒーゼリーをみんなの前へと配る。
エステラが、前二つのコーヒーよりも明らかに嬉しそうな笑みを漏らしている。……お子様舌め。
「なんでしょうか、これは?」
「コ、コーヒーが、固まっていますよ!?」
驚くトレーシー&ネネ。
俺たちはといえば、にやにやとしたり顔を浮かべている。
ホイップクリームと一緒にコーヒーゼリーを掬い、そっと口へ運ぶ。
「ネネさんっ!?」
「トレーシーさん!?」
「「なんということでしょう!?」」
お上品に口を押さえて、驚嘆を漏らす。
「これまでに食べたことのない味です」
「でも、しっかりとコーヒーの味がしますね」
「あっさりしていて……ほろ苦くて……甘い」
「オシャレな食べ物ですね……さすが、四十二区……『微笑みの領主』様の治める街ですね」
「よかったな、『微笑みの領主』。褒めてもらえて」
「……さすが、『微笑みの領主』」
「四十二区を統べる『微笑みの領主』は一味違うです」
「とりあえず、ヤシロ、マグダ、ロレッタ……黙って」
ジトッとした目で俺たちを睨んでくる『微笑みの領主』。
そういう目で見てくるのであればしょうがない。
四十二区の領民たちに、俺の『会話記録』を見せてやらねばなるまいな。自分たちの領主がなんと呼ばれているのかを知ってもらうために。
「是非、このデザートを輸入したいです! こんな美味しいコーヒーが、二十七区にないなんて……名産の地の者として耐えがたい思いです!」
「あぁ、でも……コーヒーゼリーはヤシロの発案だから…………ぼったくられるよ?」
トレーシーに詰め寄られたエステラが、その矛先をこちらへ丸投げしてくる。
何が「ぼったくられる」だ。……当然じゃねぇか。
「まぁ、交渉次第では教えてやらんでもないけどなぁ……ふっふっふっ」
「……ヤシロが、二十七区を乗っ取る気」
「お兄ちゃん、ついに領主になるですか……」
「えっ、あの、ヤシロさんはそんなこと……しません、よね?」
ジネットの言う通りだ。誰が領主なんぞになるか、めんどくさい。
だが、他区の領主を裏から操れるのはなかなかメリットのある話ではないか。……ふふふ。
「コーヒーゼリーで領主の座になんか就かれたら、オールブルーム全体がパニックを起こすよ」
分かってはいるだろうが、念のために釘を刺しておく……みたいな感じでエステラが言う。
……目が、ちょっとマジだな。
「では、こちらも足しげく通ってその製法を盗み出してみせますね」
「そうですね。いろいろ試してみてください」
トレーシーとジネットがにっこりとした笑みを交わす。
まぁ、本当に何度か通ってくれば、ジネットがぽろっと教えちゃうんだろうけどな。
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