「で、そうまでして俺に話したいことってなんだ? デミリーの見送りとかは御免だぞ。今日はもう疲れたんだ」
「そうじゃないよ。街門のことさ」
「街門?」
「…………ねぇ、少しだけ、歩かないかい?」
パーティーの興奮冷めやらぬ中、もしかしたらヤシロと一緒にその余韻を楽しみたいと思っていた者もいるかもしれないけれど、今だけは譲ってもらう。
どうしても、伝えなければいけないことがあるんだ。
「では、ヤシロさん。私たちは後片付けを手伝ってきますね」
ジネットちゃんが気を利かせてそう言ってくれる。
マグダとロレッタも、駄々をこねることもなく、静かに譲ってくれた。
みんな、それぞれに思うところはあるんだろう。
「じゃあ、行こうか」
「おう」
オオバヤシロ。
ボクの人生において、最も手強く、最も正体不明で、最も信頼できる男。
おそらく、後にも先にも、ヤシロ以上の曲者は現れないだろう。
そんなヤシロが、取り繕うことをやめてしまっている。
いや、違う。
取り繕えなくなってしまっているんだ。
ボクやジネットちゃんはもちろん、デリアやパウラたちにまで「ヤシロが変だ」と思われている。
そんなの、今までのヤシロだったら考えられないことだ。
笑うのも、怒るのも、弱った顔を見せるのですら計算で、その裏では周りを自分にとって都合のいいように操っている。
それが出来る男だったんだ、ヤシロは。
あとになればなるほど気付かされる、ヤシロの撒いた布石に。
あの時のアレが、今になって効力を発揮するなんて……と、驚かされることばかりだ。
今なら分かる
ヤシロが街門にこだわった理由が。
ヤシロは街門が欲しかったんじゃない。
ヤシロが欲しかったのは、この街道なんだ。
ヤシロが巻き起こした数々の事件や改革の大きさに目を奪われて、すっかり失念していた。
見落としていた。
ヤシロは最初からずっと言っていたんだ。
ただ一つのことを、ずっと。ず~っと。
『陽だまり亭を客でいっぱいにする』
誰もいないがらんとした店内で、一人黙々と荷物入れを作っていたヤシロ。
それから時は流れ、現在陽だまり亭には本当に多くのお客が訪れるようになっていた。
それも、大通りの酒場のように夕飯時だけが酷く混雑するのではなく、朝昼夕、そしてティータイムと、客層を分けることで一日を通して満遍なく人が出入りするように。
あの時の荷物入れは、現在陽だまり亭で大活躍している。
ヤシロが言った通り、母親が目を離した隙に子供が荷物入れの木枠に手を突っ込んで遊んでいるのを目撃したが、今のところそれが原因でケガをした者は出ていない。
ヤシロはずっと前から、ただ一人、今の陽だまり亭を見据えていた。
ヤシロはその予言めいた、あの時は不可能だとすら思えた未来を見事に実現させてみせた。
だからこそ、不安がよぎる。
ヤシロ。
君はもう、自分の役目が終わった――そんなことを、考えてはいないだろうね?
無言のまま歩調を合わせて十五分ほど歩き、完成したばかりの街門の前へとたどり着く。
空は暗くなっても、光るレンガがライトアップしている街門は明るい。
これだけ明るければ、闇への恐怖に押しつぶされる兵士も少ないだろう。
なにせ、四十二区で一番怖がりなヤシロが平気なくらいだからね。……ふふ。
「ついに完成したよ」
この門の設置に関しては、思うところが山ほどある。
目を逸らし続けていた四十一区との軋轢に向き合い、自分の弱さを思い知らされ、いかに自分が努力している『つもり止まり』であったかを見せつけられた。
もう無理だ。これ以上努力できないって思うほどに努力したつもりだったのに、結果的には君に助けられた。
それも、何も出来ずに丸投げしてしまった。
この街門には、ボクの決意がこもっている。
絶対に、この街門を守ってみせる。
ヤシロが、身を切ってまで繋ぎとめてくれたボクたちの未来を象徴する物だから。
なのに、ヤシロときたら。
「したのか?」
なんて、素っ気ない返事を寄越してくる。
「したよ。なんだい? あれだけ情熱を注いでいた街門なのに、すっかり興味を失ってしまったのかい?」
君にとっては、街門よりも街道の方が大切なのかもしれないけれど……
ボクはね、ヤシロ。
この街門がここにある限り、もう絶対に逃げ出さないって誓うよ。
みっともなくても、悔しくて泣きそうになっても、絶対に逃げ出さない。
弱音は吐くし、手助けは求めるし、てんでダメでボロ負けすることだってあるかもしれない。
それでも、逃げ出すことだけは、絶対にしない。
ボクが逃げ出せば、ボクの後ろに立っている者がその分傷付いてしまうと、教えられたから。
安心するといいよ。
君がいなくても、ボクはここから逃げ出さない。
君の大切な人たちは、ボクが守ってみせる。
拙いながらも、不格好でも、回りくどくてもっとうまいやり方があるだろうって呆れられようとも、絶対に。
だからね、ヤシロ。
ボクはもう、君を止めない。
君の意志を尊重するよ。
十分だとは思わない。
君の力はもう必要ないなんて、口が裂けても言えない。
それでも、君が選んだ答えを、君が進む道を、ボクは理解したいと思う。
誰よりも君を傷付けてしまった、ボクなりの、ケジメとして。
ただし、行く時は一声かけてほしい。
止めたって、こっちの言うことを聞くわけがないしね。ならせめて、条件くらいつけさせておくれよ。
これは、友人としてのお願いだ。
「来週、街門と街道の開通式典を行うから、『必ず』出席するようにね」
「……なんで俺が」
ヤシロの顔の筋肉が「うにょろ~ん」と歪む。
「そんな『うにょろ~ん』って顔しないでよ。君が言い出したことなんだから、最後まで責任を持ってもらうからね!」
「まぁ……言い出しっぺは確かに俺だが……」
イメルダの努力を、みんなの気持ちを、君はこの五日間ひしひしと感じていただろう?
せめて努力はさせてほしい。
誰もが納得できるように。
何も出来ないまま終わってしまうのは、つらいから。
「『何かトラブルでも起こらない限り』式典は一週間後だから」
「……なんだよ、その引っかかる言い方は」
何かが起これば、きっとヤシロはその一件が解決するまでここに留まってくれるだろう。
大切な仲間を見捨てて姿をくらませるような無責任な男じゃない。
でも……
「……あっという間だよ、一週間なんて」
「…………」
おそらく、そんな事件は起こらない。
今回のイメルダのパーティーだって、無理やりに起こしたようなものだ。
同じことを、この一週間で仕掛けられる人間なんて、もう四十二区にはいない。
あと一週間。
君の決断を、ボクは待つよ。
「成熟した女性の、一日の平均歩数は六千から八千歩らしい」
「……え、なに? 急にどうしたんだい?」
「つまり、一週間あると掛ける七だから……四万二千から五万六千回ってとこだな」
「だから、なんの話なんだい?」
「一週間あれば、それだけの数おっぱいが揺れるということだっ!」
「…………刺すよ?」
そんな「なぜだ!?」みたいな顔しない!
まったく、しょーもないことばっかり言って。
そんなことを領主であるこのボクに言ってくるのは君くらいなものだよ。
君がいなくなったら、誰もそんなことを言わなくなるだろうね。
四十二区の中で君に触れて言動がおかしくなった者たちも、次第に元の性格に戻っていくことだろう。
……それはそれで、少し寂しくもあるけれど、ね。
「ねぇ、ヤシロ…………」
もし、この一週間の間に、何かトラブルが起これば……また君と一緒に…………
「ボクは……ズルいかな」
どんなに決心しても、心に誓っても、ふとした瞬間に逃げ道を探してしまう。
しょうがない、とか。
これくらいいいかな、とか。
自分の決断を、君に覆してほしいなんて期待を……
「俺はお前が割と好きらしい」
「え……っ」
一瞬、心臓が跳ねた。
けれど、ヤシロの横顔はとても穏やかで――
「だから、物凄~~~く、依怙贔屓をした意見だと思って聞いてくれ」
ボクは素直に頷いた。
変な意識をせずに、ヤシロの言葉に耳を傾ける。
「そんなこと、ないんじゃねぇの」
それは、ボクの心を満たすには十分過ぎる言葉で――
「…………そっか。うん。分かった。ありがと」
――ボクの言葉では君を変えられないと、はっきりと分かる声だった。
「ボクのズルさは、君よりマシだってことだね」
寂しさが込み上げてくる。
けれど、ヤシロの決定を受け入れると決めた。
ボクは泣きも怒りもせず、ただ笑顔でその場を離れた。
ヤシロの隣を通り過ぎる時、八つ当たりのパンチをお見舞いして。
もう振り返らない。
ボクは前を向いて歩き続ける。
君がボクに示してくれた未来への道は、まだまだ始まったばかりだからね。
振り返るのは、ボクが年老いてからで十分だ。
一筋だけ涙を落とし――イメルダの館までの十五分で笑顔になっていよう。
ボクの弱さを誰かに肩代わりさせないために。
まっすぐ前を向いて。
ただ、右側に、人一人分のスペースをあけて――
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