異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】マグダの居場所

公開日時: 2021年1月2日(土) 20:01
文字数:4,352

 寒いのは嫌い。

 

 雪が嫌い。

 

 

 独りぼっちが――

 

 

 大嫌い。

 

 

 

 急に寒くなって、目を開けると、ヤシロがいた。

 

「……分かりやすいな、お前は」

 

 ベッドのワラの中に潜り込んだマグダを掘り起こし、ヤシロが覗き込んでいる。

 寒い……

 本当に寒い……

 

 豪雪期は寒い。

 それは毎年のこと。

 毎年この時期は寒くて、雪が深くて、狩猟ギルドは休業する。

 

 だからマグダは、この時期はずっと布団にこもっていた。

 寒いのは、嫌いだから。

 

「残念だったな。陽だまり亭は年中無休だそうだ」

 

 そうだった。

 マグダは今や陽だまり亭の店員なのだ。

 自分で望んで、ヤシロにわがままを聞いてもらって、そして今がある。

 こんなところで休んでしまっては、マグダの信用に関わる。

 

 けれど、寒い。

 どうしようにもなく、寒い……

 

「……ヤシロ」

「なんだ?」

「…………温めて、人肌で」

「……お前、分かって言ってんのか?」

 

 寒い……

 

 ヤシロが部屋を出て行き、またマグダは一人になる。

 鼻がつんとするくらいに空気が冷たい。

 室内なのに、吐く息が白い。

 指先が、マグダのものじゃないみたいに動かない。

 

 寒い…………

 

 こんな日は、いつも一人で布団にくるまって……寂しくて……雪が溶けるのをずっと待っていた。

 あの頃を思い出して……ひたすら耐えて…………あの頃……

 

 思えばマグダは、いつもあの頃のことばかりを考えていた。

 陽だまり亭に来てからは、あまり考えなくなったけれど……

 

 あの頃。

 

 ママ親がいて、パパ親がいて、マグダと三人で、小さい家にひっついて住んでいて……

 あの頃は、豪雪期を寒いと思ったことなんてなかった。

 パパ親が薪を割って暖炉に火を点けて、ママ親が温かいスープを作ってくれて。

 マグダはいつもぽかぽかだった。

 

 あの日までは……

 

「……いけない。マグダはもう陽だまり亭の店員。いつまでも過去に縋りついているわけにはいかない」

 

 重い体を引き摺るように、マグダは着替えを済まし部屋を出た。

 

 

 それから、いろいろあった。……と、思う。

 ヤシロがマグダに声をかけて、店長がマグダを心配して、ロレッタがやって来て……みんなと一緒に、えっと……マグダは…………何をしてたっけ?

 

 かまくら……

 うん。かまくら。ヤシロが作ってくれた、温かい場所。

 ほんの小さなスペースだけれど、温かい場所……ヤシロがいれば、みんながいれば……マグダは、頑張れる…………

 

 かまくらを出ると、風が冷たくて、目に映るものすべてが真っ白だった。

 

 

 マグダは、この白い世界が……嫌い。

 

 

 

 白い。

 世界が色を失っている。

 

 今までそこにあったものを、全部なかったことにするかのように、雪は世界を白く塗りつぶす。

 思い出も、温もりも、ママ親と一緒に見た景色も、パパ親を迎えにいった道も、何もかもを白一色に塗りつぶす。

 マグダの大切なものを全部……奪って…………

 

「マグダ。教会に着いたら、いい物作ってやるから。もうちょい頑張れな」

 

 ヤシロがマグダの耳を押さえて言う。

 冷たくなって感覚のなくなった耳に、じんわりとした温もりを感じる。

 

 人の、温もり。

 

 

 ママ……

 

 

 

「マグダ、見てごらん、雪だよ。きれ~ねぇ~」

「きれ~」

「こら、暴れちゃダメだよ。雪の上に落ちたら冷たい冷たいよ?」

「へーき。ママがいるから、あったかい」

「あぁっ! ウチの娘、本当に可愛いっ!」

 

 ママがぎゅっと抱きしめてくれる。

『ぎるど』では、猛虎と恐れられてる強ぉ~いママだけど、マグダにだけは優しい。

 マグダは、ママにとっての特別。

 世界で、マグダだけが、ママの特別。

 

 えへへ。

 

 マグダが可愛いと、ママは鼻をこすりつけてきて、マグダの耳の付け根をもふもふと揉んで、そして、マグダの鼻をかぷっと噛んでくれる。

 

 ママの匂いがして、ママの温もりを感じて、マグダはその「かぷっ」が大好き。

 

 他の誰にもしない。

 マグダだけにしかしない。

 ……たまにパパにもしてるみたいだけど、断然マグダの方がしてもらっている。

 

 ママの『愛してる』のサイン。

 

 

 ママとパパがいれば、マグダは幸せだと信じていた。

 猛暑期も豪雪期も怖くないと思っていた。

 

 あの日――

 あの大雪の夜までは――

 

 

「すぐに帰ってくるから、マグダはいい子でお留守番してるんだよ」

 

 マグダを抱きしめ、頬を舐めて、鼻をかぷっと噛んで、ママはそう言った。

 パパと一緒に、大切なお仕事に向かうって。

 

 パパは一番強いから、絶対に安心だって言ってた。

 本当はママの方が強いのは、知っていたけれど。

 パパとママが一緒なら、何があっても大丈夫だって思っていた。みんなもそう言っていた。

 

 

「雪が降るまでには戻ってくるよ」

 

 

 最後にマグダの頬にキスをして、ママたちは出かけていった。

 

 

 

 それからしばらくして、豪雪期になっても、パパとママは帰ってこなかった。

 

 

 

 ママはマグダが大好きだから、マグダには嘘を吐かないって言っていた。

 パパはマグダが大好きだから、約束は絶対に守るって言っていた。

 

 パパもママも、マグダのことが嫌いになったの?

 

 雪、降ってるよ。

 なのにどうして、帰ってこないの?

 

 支部長の息子、ウッセ・ダマレが沈痛な表情で言った。

 

「護衛隊が、消息を絶った――」

 

 意味が分からなかった。

 マグダはまだ小さかったから、難しい言葉は分からなかった。

 だから、それ以上聞きたくなかった。

 

 街門まで行けば、ママに会える。

 きっと、今頃門のところまで来て、早くマグダに会いたいな~って思ってる。

 

 一度、パパに連れられて行ったことがある街門を目指して、我武者羅に走った。

 勘と、微かに嗅いだ記憶のある街の匂いを頼りに、全力で走り回った。

 迷子になって、空がどんどん暗くなって、お腹が減って、涙で前が見えなくなって……それでも、マグダは走った。

 街門で、ママが待ってる。

 パパがマグダに会いたがっている。

 

 マグダが行ってあげなきゃ!

 

 雪が降り積もり、景色を白一色に塗り替えていく。

 迷いたくないマグダを苛めるかのように、景色を消していく。

 パパと歩いた思い出を、消していく。

 

 街門にたどり着いた時、空は真っ暗だった。

 途中すれ違った人が、「一日中雪が降るなんて、珍しいな」なんて話をしていた。

 

 涙と鼻水が凍って、顔に張りついている。

 いつ脱げたのか、手袋と靴が片方どこかへ行っていた。

 指先が真っ赤になっていた。

 

 でも、門に着いた。

 あそこに、ママと、パパが…………

 

 

 

 ……いなかった。

 

 

 

 

 

 

「ままぁぁぁあぁぁぁぁあああああああっ! ぱぱぁぁぁぁあああああああっ!」

 

 

 

 

 

 

 声の限りに呼んだ。

 外壁の向こうにまで届くように、何度も何度もママとパパを呼んだ。

 なのに、降り続く雪が――マグダの声をかき消した。

 

 雪さえ降っていなければ、ママとパパはマグダの声を聞き逃したりはしないのに。

 

 

 

 その日から、マグダはずっと独りぼっちだった。

 

 

 

 

 

 

 

「マグダっ!?」

 

 マグダを呼ぶ声がして、体が抱き起こされる。

 

 マグダを心配してくれるのは誰?

 ママ?

 

「どうした? 限界か?」

 

 それは、ヤシロだった。

 そうだ……マグダは今、陽だまり亭の店員で、ヤシロたちと一緒に……

 

 ぞくぞくっと、寒気が背筋を駆け抜けていく。

 あの日、雪に埋もれて泣いていた時のように、酷く、寒い……

 

「……は、はな……」

 

 寒い……

 

「……鼻を、かぷって……してほしい」

 

 心が、寒い……

 独りぼっちは、嫌い……いや……寒い……

 

「…………は?」

「………………して、ほしい……」

「……鼻を、かぷってすればいいのか?」

「………………そう」

「………………臭いぞ?」

「……平気」

 

 もう、寂しいのは、いや……

 

「…………ヤシロ……」

 

 ぎゅっと、掴まりたいのに、指に力が入らない。

 ヤシロ……

 ヤシロも、マグダを置いて、行っちゃうの?

 

 マグダのこと、好きじゃなくなる、の……?

 

「分かった。じゃ、じゃあ……行くぞ」

「…………」

 

 今、ここにある温もりも、何かの拍子になくなってしまう。

 雪が塗りつぶして、かき消してしまう。

 そんな不安に押しつぶされそうになって……また声が出なくなる。

 雪が、かき消してしまう。

 

 いやだよぅ。

 いなくなっちゃ……やだ……

 

 マグダを、独りぼっちに、しないで…………

 

 

 今まさに涙が零れそうになったその時――

 

 

 かぷっ。

 

 ――って、鼻を噛まれた。

 

 温かくて、ママとは違う匂い……ヤシロの匂いがした。

 

 

 そうしたら、今まで目を逸らしていたことが――思い出せば悲しくなるし、求めれば空しくなるし、どうやっても手に入らないと諦めていた、考えることすらやめてしまっていた感情が、情景が、記憶が、ぶわっと蘇ってきてマグダの体を震わせた。

 

 ママの匂い。

 パパの力強さ。

 ヤシロの声。

 店長の料理の美味しさ。

 ロレッタに抱きつかれた時の温もり。

 

 過去と現在がごちゃ混ぜになって、マグダを飲み込んでいく。

 

 あぁ、そうか。

 

 分かっていたのに、分かってなかった。

 

 

 

 

 マグダは、もう独りぼっちじゃない。

 

 

 

 どんなに雪が降ろうとも、どんなに冷たい風が吹きつけようとも、マグダのことを守ってくれる人が、ここにいる。ここに、たくさんいる。

 

 

『マグダ』

 

 ママの声が、聞こえた気がした。

 そして、優しく髪を撫でられた、気がした。

 

『よかったね、いい人に巡り会えて』

「…………ママ」

『離れていても、いつでもマグダのことを思っているよ。愛おしい我が子。愛しているよ、マグダ』

「…………にゃあ」

 

 ママの匂いがした、気がした……ううん、した。絶対にした。

 それはほんの微かな気配だったけれど、あれは間違いなくママの気配だった。

 ママがマグダを思っていてくれたから、だから、きっと、マグダはそれを感じ取れた。

 

 離れていても、ちゃんとマグダのことを愛してくれている。

 今、そう確信できた。

 

 だから、マグダはもう大丈夫。

 

 これから、どんなに雪が降ろうとも、積もろうとも、もう、マグダは独りぼっちじゃない。

 マグダはもう泣かない。

 

 だからね、ママ。

 帰ってきたら、いっぱい褒めてね。

 

 マグダ、すごく頑張るからね。

 

 そう思った時、微かにママの笑い声が聞こえた、気がした。

 

 

 微かに感じたママの気配は、次第にヤシロの匂いに変わっていく。

 懐かしい匂いではなくなるけれど、今のマグダにとって、一番落ち着く匂い。

 

 マグダは、この匂いが、大好き。

 

 

 ヤシロがいる。

 近くには店長もロレッタもいる。

 

 今はここがマグダの居場所…………って、ちょっと、待ってほしい。

 今、マグダがひっついているのがヤシロなのだとしたら…………

 

 

「……はぅっ」

 

 マグダは、今、とんでもなく甘えた行動を…………ヤシロに!?

 

「……マグダ?」

「……ちょっと………………待って」

 

 それからしばらく。

 それはもうかなり長い時間……マグダはヤシロの顔を見ることが出来なかった。

 

 ヤシロが、からかうでなく、心配し過ぎるでなく、いつも通りに、いつもよりほんのちょっとだけ優しく、マグダのことを抱きしめていてくれたから、なんとか復活できたけれど……

 

 

 少々、甘え過ぎた。

 

 

 明日からは、もっとしっかりするし、もっと頑張る。

 マグダは、やればできる子だから。 

 マグダはもう、独りぼっちじゃないから。

 

 

 

 

 

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