「おまたせしましたぁ」
嫌な思考をかき消すように、ジネットの跳ねるような声が聞こえてくる。
厨房から舞うような足取りで『絶品』と評されたパスタを運んでくる。
「ナポリタンです」
テーブルの上に、赤いパスタが置かれる。
トマトベースのソースを絡めた陽だまり亭風ナポリタンだ。
輪切りのソーセージと、ちょっと大きめのピーマンがいいアクセントになっている。
「やったねっ」と、エステラが手を叩いて喜んだ。
「嬉しそうだな」
「うん。ちょっと甘口で、ボクは結構好きだな、このパスタ」
「俺はタバスコかけるけどな」
タバスコも自家製だ。
唐辛子を少量のレモンと塩を入れたお湯に浸け込んで、しっかり寝かせたらお酢と一緒にすり潰す。
どろっとしたら裏ごしして舌触りをよくしておく。
簡単でお手軽なタバスコの作り方だ。
「ボク、それはちょっと苦手かな……舌が痛いんだよね」
「あたしも、ちょっと……」
お子様には分からない大人の刺激は、トルベックの大工たちオッサン連中には概ね好評であったりもする。
こいつのおかげで、パスタの支持層が増えたと言っても過言ではない。
客のいない陽だまり亭で、甘辛いナポリタンを啜る。
「音を立てて啜らないでくれるかい?」なんて指摘されたり、トマトソースが跳ねてエステラの服に染みを作ったり、「パスタを出すようになってから、シミ抜きの仕事が増えたってムムお婆さんが言ってましたよ」と嬉しそうにジネットが報告をしたり。
なんでもないような会話をしながら食事を続け、あっという間に平らげてしまった。
「それで、ヤシロさん。ウェンディさんはなんとおっしゃっていましたか?」
俺が完食、エステラもあらかた食い終わった頃に、ジネットがお茶を入れつつ尋ねてくる。
俺たちの食事を待ってくれていたのだろう。こういうさり気ない気遣いがいいんだよなぁ、ジネットは。
見習え、周りの女子ども。
「セロンは明日、陶磁器ギルドの集会に出なけりゃいけないらしくて無理なんだと」
「では、ウェンディさんも?」
「いや、ルシア直々のご指名だと伝えたら、一人で付いてくるって言ってたぞ」
「そうですか。これで、ルシア様がご機嫌を損ねられることもないでしょうね」
ウェンディがいないとルシアが怒る……か。
まぁ、それはそうだろうが、今回は『会わせたい人物』ってのに関係のある呼び出しだろう。
おそらく、会っておくべきだと判断したのだろう。
そのことからも、明日会う人物は、人間と深い関わりを持つ獣人族……虫人族であると予想される。
たぶん、楽しい話ではないのだろう。
ジネットを連れて行っていいものかどうか…………
「……? どうかしましたか?」
「いや」
思わず見つめてしまった。
不思議そうに小首を傾げるジネット。
こいつは、人の負の感情に敏感に反応し過ぎるところがあるからな。不安だ。
「そういえば、ちょっと気になってたんだけどさ」
食事を終え、エステラが口元を拭きつつジネットに尋ねる。
「ミリィはなんの用だったの?」
ネフェリーをボディーガードにして……まぁ、大方ネフェリーの方が進んで買って出たとこなんだろうが……夜道を歩いて陽だまり亭にまでやって来たのだ。
何か用事があったのだろう。
「実はですね」
まるで、その質問を待っていたかのようにジネットの顔に笑みが咲いた。
「ミリィさんからいい物をもらったんですよ」
そう言って、ジネットがテーブルに小さな包みを置く。
飴玉くらいの大きさで、紙の包みに覆われたそれは――まさしく飴玉だった。
「ミリィさんが、ベッコさんのところからもらったお花を育ててハチミツではないお花の蜜を採って、それで作ったんだそうです」
「………………は?」
「ですから、ミリィさんがベッコさんの……」
「……ベッコの家のそばにあった花を株分けしてもらい、現在自宅そばで育てているらしい」
「その花からたくさん花の蜜が採れたそうです」
ジネットの言葉を補足するようにマグダとロレッタが説明をしてくれる。
つまり、ミリィが自宅で育てている花の蜜で飴玉を作ったのか。
ベッコ云々の話は余計だったな。この飴玉はミリィが頑張って生み出したものなのだ。
そう思った方が味も良くなることだろう。ベッコみたいな不純物は、この話に含まない方がいい。
「食ってみていいか?」
「はい。とても美味しいですよ」
「お前らは食ったのか?」
「……美味だった」
「頬袋が幸せで膨らむような甘さです」
全員食ったらしい。
くっそ、俺のいない間に。
さっそく包みを開けてみる。
ハチミツよりもやや白っぽい。大きさは小指の第一関節から先くらいだ。
香りは無く、表面は少々ベタついている。自家製って感じがすごくするな。
口へと放り込むと、……うむ。甘さ控えめだ。ハチミツのような濃厚な甘さがなく、あっさりとしている。
ハチミツではなく、花から直接採った蜜を使っているからこういう味になるのだろうな。
ハチミツには、ハチが分泌する酵素が含まれていて、花の蜜よりも凝縮された甘さになる。色も、花粉が混ざることで黄色っぽくなっている。
ミリィの花の蜜飴は、そういう成分は一切含まれず、純粋に花の蜜だけなのだ。
これは、新感覚の味だな。
子供の頃吸った花の蜜は、こんな味だっただろうか?
「美味いな」
「うん。ボクも好きかも、この味」
エステラも気に入ったようだ。
「これ、大量生産とか出来りゃ、一財産当てられるかもしれんぞ」
「ミリィがそんなことを考えるとは思えないけどね」
「だからこそ、俺たちでバックアップをだな……!」
「ミリィさんは、たまに採れる分で、たまに作るくらいがいいとおっしゃっていましたよ」
あ、そう……残念だ。
だが、花を何よりも大切にしているミリィだ。蜜のために花を雑に扱うようなことはしないだろう。
「それに、あまり量が採れないそうです」
「まぁ、花の蜜なんて、一輪にほんのちょっとしかないからね」
「……実に惜しい」
「どこかに、必要以上に蜜が溢れ出てくるお花でもあればいいですのに」
悔しがるマグダとロレッタ。
しかし…………
必要以上に蜜が溢れ出る花…………
「アレが使えるか?」
「あぁっ、アレか! うん。いいかもしれないね」
「そうですね。もし使えるなら、たくさん作れそうですね」
三十五区の花園には、ちょっとビックリするくらい大量の蜜を出す花が咲き乱れているのだ。
アレが使えれば、大量生産も夢ではない。味もいいし、これは……売れるっ!
……もっとも、あれを商売に使うのはルシアが許さないだろうから、作れたとしても贈与用とかになりそうだけどな。
「しかし、飴かぁ……こう、久しぶりに食うと、なかなかいいもんだな」
喉でも痛くない限り、進んで食べることがなくなっていたが、ガキの頃は始終口に含んでいた気がする。
砂糖や果物からも作れるから、いくつか作ってみるかな。
カラフルな飴を作れば、ガキ共が食いつくだろうし。
やってみてもいいかもな。
カリコリと、素朴な甘さの飴を口の中で転がしつつ、そんなことを漠然と考えていた。
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