「まぁ、とりあえずこの手を離せよ」
「あぁんっ!?」
あくまで安い威嚇を繰り返すゾルタル。
俺は粛々と、袖口に忍ばせたナイフを取り出す。
こいつはエステラにもらったもので、初心者でも扱いやすい小型のナイフだ。
以前、狩猟ギルドに暗殺されるかもしれないなんて話をした際、エステラは「心配いらない」と言っていたが、あとになって「念のためにね」と、俺に渡してくれたのだ
懐にしまっておけと言われたのだが、エステラくらい手慣れた動作ですぐに構えられるならば話は別だが、ナイフの扱いに慣れてないド素人の俺が真似をしたところでうまくいくはずもない。相手が先に武器を抜いてチェックメイトだ。
それに、懐に手を突っ込むのは敵に警戒心を与えるばかりか、その行動自体が宣戦布告になりかねない。
そこで、あれこれ考えた結果俺が採用したのが、暗器だ。
袖に筒を仕込んで、そこに小型のナイフを忍ばせてあるのだ。腕を真下に強く振るだけでナイフが手のひらに自然と落ちてきてくれる。当然、普段の生活動作で落下しない工夫はしてある。エステラのナイフが小型だからこそ出来たことだ。俺がナイフで応戦できる程度の相手ならこの程度の刃物で十分だろう。
小さくも鋭く研ぎ澄まされた高級感のあるナイフをゾルタルの眼前に突きつける。
「まぁ、とりあえず、この手を離せよ…………な?」
「…………うっ」
怖々と、ゾルタルが腕を放す。
締めつけられていた襟元が解放される。そして臭い息が遠ざかっていく。
空気がおいしい。
「よし。じゃあ、ここからは俺がこのスラムの代表だ。お前ら、それでいいな?」
ロレッタ、そして弟妹たちに向かって尋ねる。
幼い弟妹たちはキョトンとしつつも無言で首肯し、ロレッタは不安げに俺を見つめていた。
「まぁ、任せとけ。悪いようにはしないから」
「…………はい。よろしくお願いしますです」
不安そうな表情の中に、少しだけ笑みが浮かぶ。
まぁ、笑えれば上等だ。
「というわけで、改めてお前の主張を聞こうか?」
「な、なんでお前に話さなきゃなんねぇんだよ!?」
「主張がないならそれで結構。今すぐここから立ち去り、二度とここに足を踏み入れるな。主張がないんだろ? なら、ここはこいつらの居場所だ。踏み荒らすな、くそイノシシが」
「だからっ! 領主がいいつったつってんだろ!?」
「だぁかぁらぁっ! その主張を言えつってんのが分かんねぇのかよ!?」
『だから』を使うヤツには『だから』を返せばいい。言葉に詰まるから。
ちなみに、『要するに』を使うヤツには話の後に『要するに?』と聞き返してやるのが効果的だ。だいたいが要せていないからな。
「いくら怒鳴ろうが話は平行線だぞ? あとお前、今領主に『様』つけ忘れてたぞ」
「…………チッ」
「それからその舌打ちもやめろ。耳障りだ」
「これ以上ゴチャゴチャ抜かすなら力尽くで黙らせんぞ、おぉっ!?」
ナイフにビビって手を引いたくせに、何を今さら粋がってんだこいつ?
「つまりお前の言い分はこうか? 四十二区の領主が『力尽くでスラムを潰せ』と言った――ってことで間違いないか?」
まっすぐに腕を伸ばし、ゾルタルを指さしながら問いかける。
もし嘘を吐いたら、その瞬間『精霊の審判』を発動するぞという意思表示だ。
それはきちんと伝わったようで、ゾルタルは半歩身を引いて逃げ腰になった。
「ち、『力尽くで』とは…………言われてねぇよ」
「なら、平和的に話し合おうぜ」
「…………分かった」
「今、言質は取ったからな? ここから先、俺に指一本でも触れればカエルだぞ。いいな?」
「分かったつってんだろ!」
ふむ。もうナイフはしまっていいだろう。
……実はナイフは今でもまだちょっと苦手なんだ。なんたって、俺はこれで一度殺されてるんだからな。
「改めて問う。お前は何をしにここに来たんだ?」
極めて落ち着いた声で問いかける。
ゾルタルも少しは頭が冷えたようで、声のトーンを落としてこちらの問いに答える。
その際、懐から一枚の羊皮紙を取り出して。
「このエンブレムに見覚えはあるか? あるよな?」
ゾルタルが得意満面で取り出した羊皮紙には見慣れたエンブレムが記されていた。
双頭の鷲に蛇が絡みついた文様――四十二区の領主のものだ。
「これは、領主様から直々にいただいたものだ!」
こいつが領主に『様』をつける時は、こちらに威圧感を与えたい時だ。
『権力者はこちらについているのだ』ということを殊更アピールしたいのだろう。いちいち『様』を立てて口にしている。
けどまぁ、それは領主に逆らえない者にしか通用しない脅し文句だな。
「領主はこちらにあり!」と言われても、俺の場合「はぁ、そっすか」としか言えない。
「俺は、スラムの問題を領主様に訴えた。こんな穢れた場所があるせいで住民が困っていると! そして、他の区同様、スラムの完全撤廃を要求した!」
今この時点で、すでに『領主の勅命を受けて』ってところに矛盾が出ていることに、こいつは気が付いていないのだろうか?
「このエンブレム入りの羊皮紙は、その時にいただいたものだ! 領主『様』から『直々に』だ!」
いちいちうるさいヤツだ。
「じゃあ、その羊皮紙の中身を見せてもらってもいいか?」
「おっと! それは出来ねぇな」
「なぜ?」
「こいつは商売に関することが書かれているんだ。他人に見せられるものじゃねぇんだよ」
じゃあなぜ持ち歩いてんだ、こいつは?
理由は簡単。エンブレムを利用したいからだ。
……目的外使用は重罪なんじゃなかったっけ?
「仕事ってことは、地上げ屋か何かなのか、お前は?」
「仕事は関係ねぇんだよ!」
図星か?
「街の人がみんな困ってんだよ! 俺はそんな住民の声を代表してスラムを潰しに来たんだよ。分かるか? 民意ってやつだ」
「さっきは勅命、今度は民意か……」
権力者とオーディエンスを獲得しようと必死だな。
それが胡散臭さを増す原因になるってのに。
「その時の会話記録を見せてもらおうか。勅命を受けた時の領主とお前の会話だ」
「なんでそんなもんを見せなきゃなんねぇんだよ!?」
「話し合いを早期に、完全かつ完璧に終了させるためだ」
会話記録を見れば一目瞭然だろうぜ。ゾルタルが領主から勅命など受けていないってことがな。
最初こそ、「ここの領主はスラムの住民を追い出すようなヤツなのか」と疑いもしたが、ゾルタルの話を聞いていればそうでないことがよく分かった。
ゾルタルの話は要領を欠き、そして不定形だ。つまり、都合の悪い部分を隠して話しているということだ。
では、こいつが隠すべき事柄は何か?
最も知られたくないのは、自分の主張に正統性がないことだろうな。
こいつは自分の利益のためにスラムを乗っ取ろうとしている。おそらくは、ロレッタたち姉弟を追い出した後、再開発の責任者にでも滑り込むつもりだったのだろう。
そうまでして欲しいものは何か…………まぁ、『川』だろうな。
二十九区から凄まじい高低差の崖を水が流れ落ちているのだ。水車の一つでも作れば一財産当てられるだろう。
また、下流で漁を行う川漁ギルドに対し強い態度に出ることが可能になる。
『川を堰き止めるぞ』と言えば、川漁ギルドは何も出来なくなる。
もちろん、そんな率直な言い方はしないだろう。事業がどうこう、水質検査がどうこうと、理由などいくらでもでっち上げられる。
『水質調査のために一ヶ月漁をやめてくれ』と言えば、川漁ギルドには大打撃を与えられるだろう。
もしかすれば、そこから水路を引いているモーマットたち農業ギルドに対しても強く出られるかもしれない。
この川を制する者は四十二区を制することが出来る……とまで言うと大袈裟ではあるが、それに近しい状況にまでは持っていけるだろう。
『領主様の勅令』ね…………
「話し合いの必要なんかねぇんだよ! これが目に入らねぇのか!? この領主様のエンブレムが!」
「そのエンブレムがなんだって?」
「これこそが、俺様の主張に正統性があると決定づける証拠だ!」
「エンブレムなら、俺も持ってるぞ」
言いながら、俺は胸ポケットに忍ばせていた折り畳まれた一枚の紙を取り出す。
そこには、双頭の鷲に蛇が絡みついた文様が克明に記されている。
「俺は、『スラムをよろしく頼む』と託されている」
エンブレムを見せ、堂々とした声で言ってやると、ゾルタルは言葉を失ったように静かになった。
そこで黙るのは、これまでの自分の発言がでっち上げだったと自白するようなものじゃないか?
真実を語っていたのであれば、自分と相反する意見に対し「そんなはずはない」くらい言えるだろうしな。
「……そ、そんなバカな……」
「何がバカだよ? そう何度も顔を合わせたわけではないが、結構気が合ってな。家族を紹介されたよ。その時に『スラムを頼む』と……あ、いや。『お願いします』と頭を下げられたんだっけな?」
「う、嘘だ! あの領主が人に頭など下げるものか!」
「お前が信じようが信じまいが、そんなことはどうでもいい。俺は一切の嘘偽りを口にはしていない」
胸を張り、一歩踏み出す。
同じ幅だけゾルタルが後退する。
「会話記録を見せろよ。それではっきりするだろうぜ。俺とお前、どっちが嘘吐きかってことがな」
「…………くっ…………………………ん?」
ゆっくりと移動をしながら話す俺を視線で追っていたゾルタルは、ある部分で眉を顰めた。
ちょうど、俺がジネットの前を通過した付近でのことだ。
「…………へぇ……そういうことかよ」
何かに合点が言ったように、ゾルタルはニヤリと笑みを浮かべる。
「おい、お前! 名前は?」
「名乗ってなかったか? そいつは悪かったな。オオバヤシロだ」
「オオバヤシロ……か。俺様はこう見えて親切でな。お前に選ばせてやるよ」
勝利を確信した者が見せる、堂々たる笑みを浮かべて――ゾルタルが俺に嘲りの視線を向ける。
「カエルになるのと、領主に処刑されるのと……どちらで人生を終わらせたいかを、な」
歯茎が見えるほどの笑みを浮かべるゾルタル。
牙が剥き出しになり、醜悪な表情に拍車がかかる。
「言っている意味が分からんな」
「お前はスゲェよ。褒めてやってもいい。俺様にここまで言わせたんだ、誇りに思っていい」
「そりゃどうも。……で、なんの話だ?」
「この嘘吐き野郎が」
ゾルタルの瞳がギラリと光る。
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