「ヤシロ。これを見てくれるかい?」
「ほぉ……新しい偽パイだな。前のよりコンマ2ミリ分厚くなってる」
「どこを見てるんだい!? 見てほしいのはこの資料…………なんで分かんのさっ、服の上からなのに!?」
バカモノ。それくらい分かるわ!
分からんのは、なんでお前が性懲りもなく偽パイを仕込んでいるのか、その理由だ。
「今日は三十五区まで行っていたんだよ。ルシアさんの呼びかけで三十五区から四十二区の領主が一堂に会したんだ」
「今帰ってきたところなのか?」
「そうだよ。君にはすぐに知らせたくてね」
「『バレなかったよ』って?」
「偽パイの話じゃない!」
太陽はすっかり顔を隠し、室内はランタンの炎が生み出す柔らかい光によって照らされている。
俺は今、初めて領主の館を訪れた際に通されたあのちょい狭の応接室にいる。
陽だまり亭はそろそろ夕飯のピークを迎える頃だろう。……悪いなぁ、また留守にしちまって。
「ウェンディたちの結婚式当日、三十五区からパレードをしたいと言い出したのは君だろう? その許可を取り付けてきたんだよ」
「おぉっ! 許可が下りたのか」
ウェンディの家から馬車に乗り、四十二区の教会までの道のりをパレードみたいに賑やかに移動したい。そういう話をエステラとルシアにしていたのだ。
内々で完結するのではなく、広く対外的に広報するという意味で。
人間と虫人族の結婚は普通のことで、こんなにも素敵なものなのだ、と。
心の奥に染みついた意識を改革することは難しい。
だから、塗り潰してやるのだ。上書きだ。
異種族間の結婚は普通だと、気にするほどのことでもないと、当たり前のことだと、どんどん上から塗りたくってやるのだ。
そうすることで、救われるヤツらも出てくるだろう。
幸いにして、この街には血統主義みたいなヤツもいないみたいだしな。
ま、貴族は知らん。
「ウチの坊っちゃまの嫁になるには相応の血筋でなければ駄目ザマス!」みたいなマダムがいないとは、言い切れない。
そんな例外はひとまず置いておいて、俺たち一般人はもっと気楽に、気ままに、人生を謳歌しようじゃないか! ――と、そういう広報活動を行っていくつもりだ。
「ルシアさんの説得のおかげで、三十四区から三十九区の領主たちも快諾してくれたよ」
「上の者には弱いからな、権力者って連中は」
「そういう社会だからね、貴族って」
自嘲を含めた苦笑を漏らし、息苦しそうに首元を緩める。
エステラって、ホント、血筋以外は貴族らしくないヤツだよな。いい意味で。
「お前がここの領主でよかったよ」
「へっ!?」
素直にそう思った。
例えば、四十二区の領主がルシアやリカルドだったら……俺はこの街にここまで長居はしなかったかもしれない。
陽だまり亭の存在も、確かに大きいが……
「お前とだから、いろいろやってこられたんだと思う」
「な、なんだい、急に!? ヤ、ヤシロらしくないじゃないか、そんな、素直な…………何か裏があるんじゃないのかい?」
「偽パイを仕込んでまで頑張っているお前を激励してやっただけだよ」
「偽パイは関係ないだろう!?」
異物を胸に隠してエステラが吠える。
ったく。
そもそも、乳を偽装して誰に見せるつもりなのだ。誰の評価を気にしているのか。
「領主の中に、乳の大きさで依怙贔屓するようなヤツでもいるのか?」
「そんな思考の持ち主は、ボクの知り合いの中では君以外にいないよ」
「ならわざわざ盛るな!」
「ボクにもプライドがあるんだよ!」
そんな偽りのプライドなど捨ててしまえ!
「胸であっと言わせたいなら、生乳を放り出せばいい。そうすれば、この俺でさえも『おぉうっふ』って思うだろう!」
「……そんな格好で領主会議に臨んだら、即刻摘まみ出されるよ」
「摘まみ……えっ、チク……」
「そこを摘ままれたら戦争だよっ!」
これが後の『チク摘ま戦争』である――
……ダメだ。歴史に残しちゃいけないヤツだ、これ。
うん。戦争はよくないな、やっぱり。
「まったく……珍しく素直だなぁとか思ったら、すぐこれだ……」
「なんだよ。これこそ素直な俺じゃねぇか」
「胸に関してばかり素直にならないでもらいたいんだよ!」
「尻も好きだぞ」
「……摘まみ出すよ?」
エステラの目がマジなので、とりあえず服の上から乳首を押さえておく。
と、同時に、エステラがこめかみを押さえて長い息を吐いた。
なんだよ、摘まもうとしたくせに。
「……とにかく、資料を見てよ。パレードを行うルートを決めなきゃいけないんだ」
「大通りは使えるのか?」
「難しいだろうね」
「はぁ? なんでだよ」
「人が多いからだよ。通行止めには出来ないだろう?」
「あぁ…………なんたることか」
シェイクスピアの戯曲のように、オーバーに頭を押さえて天を仰ぐ。
この街の領主どもは何も分かっていない。
「人が多いからこそ、大通りを使うんじゃねぇか」
なぜわざわざ人通りの少ない道を選ばなければいけないのか。
人に見せてこその広報。
広報するからこそ、深く根付いた差別意識とか被害者意識を塗り潰すきっかけになるんじゃねぇか。
大々的にやればやるほど、見る人が多ければ多いほど、その効果は上がる。
大多数の者が「そんなもんまだ気にしてんのか?」って考えを持てば、街の空気そのものが入れ替わるんだ。
「それに大通りを使えば、各区の領主たちにもうまみはあるんだぞ」
「そうなのかい?」
おそらく、領主どもは「ウチの道を通ることを許可してやる」くらいの気持ちでいるのだろう。
だがな、お前らはこう思うべきなのだ。
「是非、ウチの大通りを通ってください」とな。
「パレードをすれば見物客が集まってくるだろう? 人が集まれば、そこでは商売が成り立つ」
「大通りに店を構える者たちが利益を上げるというのかい? ウチだと、カンタルチカとか」
「店に入っちまったらパレードが見れねぇじゃねぇか」
「じゃあ利益は上がらないじゃないか」
まったく、察しの悪いヤツだ。
「ほら、覚えがないか? 長~い道を行列が通るってんで、それを大勢の人間が見物に来たイベントに」
「行列?」
「その行列を見ようと押しかけた連中は、食い物片手に楽しそうに盛り上がっていただろう?」
「あっ! お祭りか!」
そう。
かつて四十二区で行った精霊神へ感謝を示す光の祭りだ。
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