「シスター、お疲れ様でした」
「すごい健闘でしたよ、シスター」
「はいです! めっちゃ可愛かったです!」
「……あれは、萌えるっ」
「むぅ!」
ジネットやエステラが慰めようとしたのに、ロレッタが若干ズレて、マグダが完全に脱線したせいでベルティーナがむくれた。頬がぱんぱんに膨らんでいる。パン、食べてないのに。
「……この競技は、あまり推奨できません」
ベルティーナが拗ねてしまった。
これはまずいな。
パンの使用には、パン職人ギルドは当然として、教会の協力もなくてはならないのだ。
ベルティーナを前向きにしておくか。
「よぉ~し、妹たち。やり方は分かったな?」
「「「は~い!」」」
「じゃあ、準備をしてくれ。ノーマ、エステラ、ソフィー。妹たちの身長に合わせてパンをぶら下げてやってくれ」
「ほいな。任せるっさよ」
「じゃあ、みんな。ちょっとこっち来て」
「「「は~い!」」」
ノーマとエステラに連れられて、妹たちが木の枠の下に立つ。
つむじくらいの高さに合わせるのがちょうどいいだろう。
……で、ソフィーはどうした?
「はぁ……はぁ…………ベルティーナさん……かわっ、かわっ…………ごふぅ!」
…………お前も大変だな。吐血ポイントがいっぱいあって。
ノーマとエステラが効率よくパンの高さを決めて、妹たちがスタートラインに立つ。
楽しそうにきょろきょろしたり、ぶら下がるパンを見たりして、妹たちの瞳が毎秒輝きを増していく。
ふて腐れていたベルティーナも、並ぶ妹たちに視線を向け、少し心配するような表情を見せる。
我が子の活躍を見守る母のような視線で。
「それじゃあ、位置について、よ~い…………スタート!」
「「「ぅははは~い!」」」
一斉に走り出す妹たち。
そして、パンのもとへたどり着き、全員一緒にぴょんぴょん飛び跳ねる。
逃げるパン!
追いかける妹!
口を大きく開けて飛びつくも、パンが逃げて空振りの「あむっ!」っ!!
「「「「「かっ……かわいぃぃい!」」」」」
観客から同時に声が漏れる。
狙いどおりにいかないもどかしい状況も、妹たちは楽しそうにきゃっきゃと笑ってパンに食らいつく。
そんな中、一人の妹がパンをキャッチし、団子状態のレースから抜け出す。
手を使わず口にアンパンをくわえたまま、てってってーと走って一着でゴール!
「おーいしぃ~~!」
一等賞の感想は、そんな言葉だった。
次いで、二人目の妹がゴールし、残るは一人。
なかなかパンが齧れず、見ている方がやきもきする。
「がっ、がんばってくださぁ~い!」
「そうそう! 焦る必要はないから、自分のペースでね!」
ジネットとエステラが堪らず声援を送る。
それを合図に、その場にいた者たちが一斉に応援を始める。
頑張れ、落ち着け、大丈夫と、温かい励ましの言葉を残った妹へ向ける。
そんな中――
「あ~…………むっ!」
「「「取ったぁああ!」」」
最後の妹がパンに齧りつき、そしてゴールへ向けて走り出す。
応援は最高潮を迎え、妹がゴールした瞬間に拍手が巻き起こった。
「せ~の」
「「「いただきま~す!」」」
三人揃ったところで、仲良くアンパンに齧りつく妹たち。
「「「あんまぁ~い」」」
にこにこと楽しそうにパンを頬張る。
健闘を称えるとはまた違う、仲睦まじい光景に、見ている者の頬が緩む。
「ヤシロさん」
そんな中、先ほどはパン食い競争に否定的な言葉を漏らしていたベルティーナが……
「この競技、是非やりましょう!」
とても前向きになってくれた。
そうそう。
見てる方は楽しいんだよな、これ。
「というわけで、多くの者がこの競技に参加できるように……おっと、違った違った……パン職人ギルドの人間に正確にレシピが伝わるかどうかを検証するために、運動会の前日にもう一度パンを作ってみないといけないなぁ」
「あぁ……なるほど。そういうことだったんだね。まったく、君というヤツは……」
パン試作をこの日程にした意味を、ようやく理解したエステラが髪をくしゃっと掻き乱して呆れ顔を見せる。
しかし、その呆れ顔はどこか満足そうで――
「分かったよ。念には念を入れて何度も検証を重ねようじゃないか。他ならぬ、精霊教会直々の伝達事項だからね。素晴らしいパンを世に広めるための努力は惜しまないことにしよう」
「さすが領主だ。話が早いぜ。で、一所懸命作ると、それに比例してパンもたくさん出来るんだが……試作に参加した者たちだけでは食べきれないかもしれないなぁ~、そうしたらどうすればいいんだろう~、もったいないなぁ~」
「もったいないのはいけません。私が教会へきちんと話を通しておきますので、そのパンは領民のみなさんに分け与えることとしましょう。ヤシロさんに言われたとおりにお伝えすれば、きっと司祭様も理解を示してくださいますよ」
というわけで、領主とシスターの許可が下りた。
そうそう。これは領民への宣伝だ。教会が新たに得る収入源たるパンを世に広めるための、な。
盛大に宣伝してやるから、精々儲けるがいい。
「しかし、ヤシロが他人の利益のために知恵を貸してくれるとはね」
何か裏がありそうなにやにや顔を隠そうともせず、エステラがにじり寄ってくる。
俺が善意で動くと顔の筋肉が緩む病気にでもかかっているのか、お前は?
「いや、まぁ……ジネットとベルティーナがな」
「ジネットちゃんとシスターが、どうかしたのかい?」
「……美味いパンがこの街に誕生すると、喜ぶんだろうなぁ、って思ってな」
そんな俺の言葉に、エステラは目を丸くし、ジネットとベルティーナは瞳を潤ませた。
「ここ最近、いろいろと世話になっちまったからな。たまには、な」
あえて素っ気なく言うと、ジネットが「てとてとてっ!」っと駆けてきて、俺の手を両手で包み込んだ。
「はい。とても嬉しいです。美味しいパンが誕生することが。そのおかげで幸せな気持ちになれる人がきっとたくさんいるだろうなって思えることが。そして……ヤシロさんが、そんな風に思ってくださっていたことが」
ぎゅっと、手に力を込めて、涙を堪えるように笑みを作る。
そしてベルティーナはというと、無言で俺の頭を撫でてくれた。なんか、今にも泣き出しそうな顔で、唇をきゅっと引き結んでいる。
「……パン。たくさん、作りましょうね」
微かに震える声を、泣き声にならないように、慎重に慎重に紡ぎ出し、ベルティーナはにっこりと微笑んだ。
「たくさん食べたいから」って意味ではない、そんな言葉を。
「ヤシロ」
ぽんっと、俺の背を叩き、満足そうな顔でエステラが言う。
「君の言葉を借りて言わせてもらうよ。『じゃんじゃん作って、思いっきり利用するといいよ』、パンの試作を。多少の無茶なら、ボクが責任を持って抑え込むから」
もう一度、今度は肩をぽんと叩き、赤い瞳を細める。
そうか。
思いっきり利用していいのか。
んじゃあまぁ、そうさせてもらうさ。
感動屋のお前らは、今の昂ぶった感情に酔いしれて見落としているだろうから、その熱が冷めないうちに。精々な。
美味いパンを大量に作る。
パン食い競争だけに留まらず、区民運動会に参加した者全員に行き渡るくらいに。
そうして、区民運動会でパンの認知度が上がれば……
街の連中が「もっとパンを食べたいよ~」と思ってくれれば…………
陽だまり亭の新メニューは売れる!
確実に!
そのためにも、今日と、そしてこの次の試作でジネットにパン作りをマスターさせてやる!
莫大な利益を、陽だまり亭で、俺が、手中に収めるために!
「さぁ、ジネット! もう一頑張りだ! 今のうちに技術を体に叩き込んでおいてくれ!」
「はい! 頑張ります!」
「マグダ、ロレッタ! お前たちも全力でジネットをサポートするんだ!」
「……任せて」
「とことんやってやるです!」
ジネットの熱に押され、マグダとロレッタもやる気十分だ。
そして、この一連の流れを見ていたウサ耳姉妹にも声をかけておく。
「リベカ、ソフィー。酵母のこと、よろしく頼む」
「任せるのじゃ! ……くふふ、我が騎士もたまにはよいことを言うのじゃ。不覚にも、ちょっと感動したのじゃ。我が騎士のために、最高の酵母を作り上げてみせるのじゃ!」
「ヤシロさん。私も、微力ながら全力を持って協力させていただきますね」
そして、ノーマにも。
「ノーマ。運動会までいろいろ大変だとは思うが……」
「任せるさね。……ふふ、ヤシロの意外な一面が見れただけで、アタシは満足さね。……ふふふ、ヤシロがあんなことをねぇ……ふふふ、いいところあるじゃないかさ」
ちょこっといい人ぶると俺の株が爆上がりしていく。
この街の人間、ほんとチョロいなぁ。ちょっと心配になってくるよ。
利益のためですよ~。感動って、お金になるからさ~!
ま、語らないのが華だな。
そして最後に。
「それから、ウーマロ」
「はいッス!」
「屋根、よろしく!」
「なんかオイラだけ、運動会からかけ離れたこと言われたッス……」
バカお前!
雨の日とか煩わしいんだよ!
俺の生活環境が最優先だっつうの!
豪雪期までには絶対欲しいんだよ、屋根! 雪かきとかめんどいの!
その前の猛暑期の日差しも避けたいの!
そんな感じで、とある一部の人間のやる気が燃え上がり、区民運動会の成功へ向けて団結力が高まった。
お、いい言葉だな、団結力。
運動会ってのはやっぱそうでなくちゃ。
みんなで頑張れ。
俺の利益のために。……むふ。
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