「あの、マーゥル様」
困るセロンを見かねてか、ウェンディが助け舟を出す。
「シンディさんはお留守なんですか?」
「あ、シンディね。いいえ、いるわよ」
シンディ?
と、疑問に思った矢先、マーゥルが丸っこくておっとりとした笑みをこちらに向けて、俺の疑問に答えるようにその説明をする。
「シンディは、ウチの給仕を取り仕切ってくれている人なのよ。今ちょっと手が離せなくて、それで、私が代わりに出てきたのよ」
いやいや。
主を使うなよ。なんで手が離せないのかは知らんが、優先順位があるだろう。
「ごめんなさいねぇ。私、こういうことってやったことなくて。シンディみたいに上手に出来ないわぁ」
「いえ、ミズ・エーリン。ご本人に出迎えていただけただけで十分光栄ですので」
「あらっ、綺麗な娘ね。あなたがエステラ様?」
エステラのフォローを聞いていたのかいないのか、マーゥルはエステラの顔を覗き込み、赤い髪にそっと触れ、最後にほっぺたをぷにっとつねった。
「こんなに可愛い女の子を、世の男性は放っておかないわねぇ」
「い、いえ……ボクには、まだそういう話は……」
「『胸も、育ってませんし……』」
「捏造やめてくれるかな、ヤシロ!? 言ってないし、絶対言わないから!」
ふん。
謎のナタリア爆モテ事件の後でちょっと褒められたからって嬉しそうな顔をしやがって。
お前がモテるかどうか、自分の胸に聞いてみろってんだ!
……うむ。慣用句としての使い方は間違っているが、使いどころは正しいはずだ。
「では、こちらがルシア様ね。まぁまぁ。噂に違わずおキレイだこと」
「ミズ・エーリンこそ、若々しく美しいではないか」
「あらあら。お世辞もお上手なのね、おほほほ」
なんだろう……妙に社交界っぽい空気なんだが……早く家に上げてくれねぇかな?
「みなさんを歓迎します。でも、その前に……やっぱり私、名前で呼ばれたいわ。ね、みなさん、そうして。お願い」
オバちゃん特有の押しの強いお願いに、エステラとルシアは苦笑を漏らしつつも了承の意を示した。
その代わり、エステラたちに対する『様』付けも無しということになった。
「それでは、案内するわね、ルシアさん、エステラさん」
「ありがとう、マーゥルさん」
「邪魔をするぞ、マーゥル」
「それじゃあ、英雄様もどうぞ」
「俺の呼び名が変わってねぇじゃねぇか、ババア」
「ヤシロッ!?」
「カタクチイワシッ!」
エステラとルシアが物凄い速度で俺を拉致して庭の隅へと連れ去る。
なんだよ!? 今のは三段オチのオチ扱いをされたんだろう? ツッコミじゃねぇか。
「いくらなんでも失礼過ぎるよ!」
「貴様の頭は小物入れか何かか!? 空っぽなのか!?」
「わ、分かったよ。名前で呼べばいいんだろう?」
エステラとルシアが割とマジメに怒っているので、素直に謝罪を述べることにする。
まぁ、追い返されたらなんの情報も得られないからな。謙虚にいこう。
と、思ったのだが。
「うふふ。『ババア』って初めて言われちゃったわぁ。新鮮なものねぇ、うふふ。うん、でもやっぱりあんまり嬉しいものではないのね。発見だわぁ」
マーゥルが、なんでかちょっと喜んでいた。
領主の姉に当たる貴族に対し『ババア』なんて言えるのは、現領主である弟くらいのもんだろう。が、領主がそんな言葉を使うことはないだろう。
つまり、マーゥルを『ババア』と呼べるのは、この世界では俺だけということか……
「貴重な体験が出来てよかったな」
「反省の色皆無か!?」
エステラがピーピー怒っている。
マーゥルが楽しんでいるならそれでいいじゃねぇか。
「ねぇねぇ。英雄様。……あ、ヤシロちゃんって呼んだ方がいいかしら?」
「ちゃん付けはやめろ……」
「それじゃあ……『ヤーちゃん』」
「『ちゃん』残ってんじゃねぇか」
どうした、ボケたか? まだまだ若いだろうに、気の毒な。
「それじゃあ、『ヤシぴっぴ』ね」
「どこから出てきた、その奇妙な言葉!?」
「それでね、ヤシぴっぴ」
「もう決定なのかよ!?」
なんだろう……どんどん不本意な呼び名が増えていく……
「貴様には似合いのふざけた呼び名ではないか、カタクチイワシよ」
「『カタクチイワシ』も十分ふざけてるけどな」
俺の不幸が大好きなルシアの言葉なんぞは無視して、目の前のマーゥルに集中する。
今度は何を言い出す気だ?
つか、いい加減家に上げてくれねぇかな?
「ヤシぴっぴは、私に厳しい言葉を使うことを許可します」
急に改まって、マーゥルが俺に言う。
どうも貴族連中は敬われ続けると、それに反発したくなる性分を持っているようだ。
要するに、『ツッコミ』を入れたりして、親しくしてほしいという申し出なのだろう。
「ねぇねぇ、ヤシぴっぴ」
マーゥルもそういうタイプの貴族だったようで、嬉しそうに俺へと催促の言葉を寄越す。
「『このメスブタが』って言ってみて?」
「それ、厳しい言葉の粋超えて、新たなワールドに足踏み入れてるからっ!」
「躊躇いのないツッコミ……さすが思う、友達のヤシロ」
嬉しくもないギルベルタの称賛を受け、マーゥルを見ると、これまたまーったく嬉しくもないが、すごく満足げな表情を向けられていた。
「私、やっぱり、ヤシぴっぴのことが好きだわぁ。ときめいちゃいそうよ」
「お前はイケメンなら誰でもいいのか?」
「図々しいよ、ヤシロ」
「身の程をわきまえぬ者は見苦しいぞ、カタクチイワシよ」
……こいつら、なんでナチュラルに毒が吐けるんだ?
俺のメンタルが豆腐みたいに脆い可能性には考えが及ばないのか?
「私ね、変わったものが大好きなの」
「えっ!? それでヤシロが!?」
「誰が変わったものだ、コノヤロウ」
お前のぺったんこバストを世界基準にして、こっちの世界で分度器を発明してやろうか?
「マーゥル様は、園芸に大変こだわりをお持ちの方で、気に入るレンガを求めて各区を歩き回ってご自分の目で一つ一つ確認して回ったこともあるそうなんです」
レンガの話を、嬉々として語り出すセロン。
レンガにそんな違いなんてあるのか?
「現在、オールブルームにて生産されるレンガの多くは、王家お抱えのレンガ職人が制定した規格に沿っているものがほとんどなんです。使用する土、加熱の温度、大きさや形、色に至るまで、王家のレンガを模したものがほとんどです」
「王家のレンガの真似をしておけば、貴族がこぞって買うものねぇ」
マーゥルが少し寂しさを滲ませて呟く。
王家のレンガに似せて作る。それは規格を統一するという意味からも理に適ったものだと思われる。レンガ一つが割れた時に、どこのレンガを使ってもサイズが合うということになるからな。
だが、それでは物足りないと感じるのが、このマーゥルという貴族らしい。
「どれもこれも面白みのないレンガばかりで、私の欲しいものはなかったの」
「それで、流れ流れて、ついに四十二区にまでいらしたんですか?」
エステラが若干引き気味に尋ねる。
普通なら、いいものを探す時はより上のランクの店を調べるものだ。
だが、ランクを上げれば上げるほど王家のレンガに近付いてしまうのは明白で、マーゥルを満足させるレンガはなかなか見つからなかったのだろう。
それで、四十二区にまで来るかね?
ランクを下げれば品質も下がると考えるのが普通なのに。
「半ば諦めかけていた時に、セロンさんのレンガに出会ったのよ。一目で虜になったわ。独創的で、優しくて、丁寧で……」
うっとりと、斜め上の空をぼーっと眺めてため息を漏らすマーゥル。
今、こいつの頭の中に浮かんでるのがレンガだと思うと、ちょっと面白いけどな。
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