レジーナの家を後にした俺たちは、陽だまり亭へ向かって歩いていた。
明日の準備のために必要なので、帰り道の途中でセロンのところに寄ろうかとも思っていたのだが、もっといい方法があることに思い至ったので準備がちょっと楽になった。
やっぱり、機転が利く頭を持っていると何かと便利だよなぁ。
「まぁ、おかげでセロンの出番はなくなったけどな!」
美人な嫁さんと毎日イチャイチャしているイケメンなど、出番削除の刑が相応しい!
「……君、まだセロンにつらく当たってるのかい? そんなにウェンディと結婚したのが羨ましかったのかい?」
「アホめ。『ウェンディと』じゃない。『美人と』結婚したのが腹立たしいのだ」
「『妬ましい』の間違いだろう、君の場合」
これは妬みではない!
怒りなのだ!
夜寝る時にも朝起きる時にも隣に美人がいるんだぞ?
地獄の業火すら生温いわ!
「セロンは、一生妻の手料理しか食べられないの刑になればいい」
「セロン、激やせしちゃうよ、それじゃ……」
ウェンディ、得意料理は『千切りレタスの乗っけ盛り』だもんな。
いい加減、包丁くらいは使えるようになったのだろうか。
「セロンに何をお願いするつもりだったんだい?」
「粘土だ」
「ねんど? またボクたちの人形でも作るのかい?」
「なんで俺たちの人形なんて発想になるんだよ?」
「だって、さっきレジーナのところでイリュージョンとかなんとか言ってたから」
レジーナの家を出る前に、ちょこっと火の粉を分けてもらったのだ。
使用用途を聞かれたので「ちょっと、イリュージョンをな」と答えたんだが……
「また大脱出をするのかい?」
「しねぇよ」
イリュージョンと言えば大脱出と、エステラの脳内では固定されてしまったようだ。
そんなに楽しかったか?
そもそも――
「イリュージョンと言えば隠れ巨乳がばぃんでぼぃんだろうが!」
「あれはイリュージョンじゃないよ!」
いいや!
あれを見た四十二区男子は一人の例外もなく「イリュゥゥージョォォーン!」って叫ぶもんね!
女子を直視できないウーマロと、女子に興味がない金物ギルドの乙女以外は。
……例外いまくりじゃねぇか。どうなってるんだ四十二区は!
「イリュージョンのタネ教えて」
「あとでな」
「見せてくれるのかい?」
「ヤダよ。もったいない」
「もったいない?」
「このイリュージョンは、服を犠牲にするんだ。なので、ぶっつけ本番でやる」
内容だけは教えておいてやる。
隣でエステラにびっくりされると、ウィシャートの心に余裕を与えてしまいかねないからな。
誰も驚いていない中、自分だけが度肝を抜かれているって状況は、絶妙な緊張感を相手に与えてくれるものだ。
「じゃあ、何に使うつもりだったの、粘土?」
「ん? あぁ、ウィシャートの館へ通じる隠し通路があったろ?」
「グレイゴンが通ろうとして通れなかった、アレかい?」
グレイゴンがウィシャートに会いに行こうと隠し通路に入ったものの、鍵を全部取り換えられて半泣きになっていたソノ通路だ。
「あそこの鍵の複製を作ろうと思ってな」
「はぁ!?」
「意外と簡単なんだぞ? 粘土を鍵穴に突っ込んで、ちょっと特殊な薬剤で硬化させるだろ? それを反転させて型を作り、そこに鉄を流し込めばいっちょ上がりってなもんだ」
「か、かか、鍵って、そんな簡単に複製できるようなものなのかい!?」
「まぁ、ちょっと特殊な薬剤と、ちょっとした技術が必要だけどな」
「君以外には真似できないような技術なんだろうね?」
「さぁな。教えてやれば結構誰でも出来ると思うぞ」
「その技術の流布を厳禁とするよ! 絶対にダメだからね!」
「分かった。じゃあ俺が独占しておこう」
「君が使うのも禁止! どうしても必要な場合は、ボクの許可を取ること!」
「なんで俺がお前の言うことを素直に聞かなきゃいけないんだよ。なんのメリットもないのに」
「嫌だと言うなら、今聞いた話を全員に話す」
ん~……メリットはないが、どえらいデメリットが出来ちまったなぁ。
鍵の複製が出来るなんて知られたら、どれだけの人間に責められるか……
忍び込んでもいないのに懺悔させられそうだ。
「分かったよ。お前の条件でいい」
「まったく……君は本当に危険な存在だよね」
ばーろー。
この街の鍵のレベルが低過ぎるんだっつーの。
「まぁ、君が悪用するつもりだったなら、もうとっくに被害は出ているだろうし、そもそもボクにそんな情報を漏らしたりしないだろうから、一応は信用しているけどね」
「そりゃどうも」
わざわざ教えたのは、こうして信用を勝ち取るためだ。
あと、出来ればこの街の人間にはもうちょっと警戒心というものを持ってもらいたいとも思っているがな。
その気になれば、いくらでも悪さし放題なんだぞ、こっちは。
領民全員、俺の鋼鉄の自制心に感謝をするべきだ。
「ちなみに、そのちょっと特殊な薬剤って、作れるの?」
「材料ならレジーナのところに揃ってたな」
「君たち二人が敵に回らないよう、ボクは細心の注意を払うようにするよ」
エステラがぶるっと身震いをする。
そーそー、そーゆー警戒心って、大事なんだよー。
「が、その加工には結構時間がかかる。グレイゴンの使おうとした通路だけで十個も鍵があるなら、きっと他のところにも鍵がわんさか取り付けてあるんだろう」
「そうかな? グレイゴンが使おうとした通路はウィシャート家以外の者が使える唯一の抜け道だから、特別厳重にしてただけじゃないのかな?」
「あのしみったれた渋ちんのウィシャートが、グレイゴンのためだけに鍵を十個も買い替えるかよ。どっかの鍵と交換したんだろうぜ。どーせ」
「あぁ……なるほどね。鍵が合わなければ『鍵が変わった』としか思わないもんね」
たぶん、グレイゴンはその可能性に思い至らず、『使えなくなった鍵』を捨ててしまったことだろう。
地道に調査すれば、十ヶ所の鍵を開けられたかもしれないのに。
「――と、そんなことを考えていてふと思いついたんだ。合い鍵をわざわざ作らなくても、すでにある鍵を使えばいいじゃない、ってな」
「すでにある鍵……で、ウィシャートの隠し通路の鍵が開くのかい?」
「違う違う。ウィシャートの鍵を開けようと考えるから合い鍵って発想で立ち止まっちまうんだよ」
「でも、開けるのはウィシャートのところの鍵だよね?」
「今はな」
「……今は?」
だから、とっても単純な話なんだって。
「今から行って、通路の鍵を全部付け替えちまおうぜ」
「はぁ!? 付け替えるも何も、そもそもどうやって今ある鍵を開けるのさ?」
「俺なら、カギを開けることくらい二秒もあれば簡単に出来る」
「そうだったね。……その技術、悪用しないようにね」
分かってるっつの。
だから、使う度にお前に報告するって面倒くさいルールも律儀に守ってるだろうが。
「だが、鍵を付け替えちまえば俺以外の人間でも簡単に開けられるだろ。なにせ、鍵は手元にあるんだから」
「君以外の……あぁ、ハビエルたちに渡すんだね」
俺たちがウィシャートと話をする際、ハビエルたちには館を取り囲んでもらう。
内部に突入する際、鍵があれば侵入が簡単になる。
「ウィシャートは、自分の鍵が開けられることに警戒をしているかもしれないが、数さえ変わってなきゃ別の鍵に付け替えられていても、たぶん明日まで気が付かないぞ」
「けど、それだと見た目が同じような鍵が必要だよね……あんまり高級な鍵は用意できないよ?」
「大丈夫だ。一ヶ所に十個も鍵を付けてるんだぞ? どーせ安物だよ。で、他の場所の鍵と交換しても分からないってことは、他の鍵も安物だ」
「君の推測は潔過ぎて不安になるよ……」
だが、案外人間なんて生き物はそういうもんだったりするのだ。
あれもこれもと危険性をいくつも思い浮かべて「絶対無理だ」と心が折れてしまいがちだが、現実は意外と単純なもんだ。
だからこそ、ド素人丸出しの泥棒が盗みを成功させちまうのだ。
人間の警戒心が最新鋭のセキュリティ並みに研ぎ澄まされていれば、素人窃盗団なんぞが蔓延るわけがない。
「まぁ、どっちにしても、ウィシャートの館へは行かなきゃいけないんだ。エステラ、今から大至急鍵を大量に用意してくれ」
「そんなにいるかな?」
「抜け道の鍵を全部付け替えてやれば、ウィシャートの泣きべそが見られるかもしれないぞ」
俺たちに追い詰められたウィシャートは、きっと抜け道を使って逃げ出そうとするだろう。
だが、その抜け道の鍵が付け替えられていたら……
「開くはずの扉が開かず、扉の前で絶叫するかもな。数日前、せせら笑ったグレイゴンと同じように」
「なるほどね。分かった。余るくらいに用意しておくよ」
というわけで、俺は途中でエステラと別れた。
エステラは金物ギルドへ向かうのだろう。
今ならもうノーマも帰っているだろうし、対応してくれるはずだ。
俺はというと……
「にぎり寿司講習会、だな」
ジネットとマーシャが今か今かと待ち構えているであろう陽だまり亭へ向かって、少しだけ歩く速度を速めた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!