魔球転生 ~おい、信長、野球やるってよ~

庄司卓
庄司卓

#01-03 信長と孔明

公開日時: 2020年9月1日(火) 21:10
文字数:3,600

遅い!! 絶望的に遅かった!! バットスイングでは無い。信長が投じたボールが、坂田マーローにとっては、絶望的に遅かったのである!!


120キロ! 安土スタジアムの電光掲示板にはそう映し出されていた。初球との速度差は実に31キロ!! 制止している原動機付き自転車とその法廷最高速度の差を越える。


これは……。いや、これも! 打てない。


今も述べたように、普通の反射神経ではプロ野球の投手が投げるボールを打ち返すことは不可能である。それが可能なのは、経験と勘で予め来ると予想したタイミングとコースでバットを振る動作を始動しておくからなのである。

当然、そのタイミングがずれると打てない。打てるはずも無い。昭和の大投手江夏豊は、病気で剛速球が投げられなくなってから、緩急に差を付ける投法に転向。ボールの速度そのものは遅くなったが、緩急の差が極端な為、対戦する打者は江夏の130キロから140キロ台前半のボールが150キロ以上の速球に見えたという。


信長のボールはその逆。遅い!! 絶望的に遅い!!


単なる120キロのボールならば、多少体勢を崩してもプロの打者なら余裕で打てる。しかし坂田マーローは前の投球で151キロの速球を見せられているのである。その残像が目に、いや身体全体に残っているのだ。

ましてや一球目と同じくこれも不規則変化する無回転ボール!


一球目が覇王球と言われるのと対照的に、このボールはこう呼ばれていた。


うつけ球!


しかしこの場合のうつけは速度差に翻弄される打者の様を指しての言葉。スローボールに苦も無く体勢を崩す打者をうつけよばわりしているのだ。

実際、坂田マーローはなすすべ無く、目の前を通るボールを見送るだけだった。


ノーボール、ツーストライク!!


水戸ロイヤルズのトップバッター坂田マーローはあっけなく追い込まれた。

捕手からの返球を受け、信長は一呼吸置いた。少し目を凝らして、改めて対戦する打者、坂田マーローを見やる。


「なるほど……。この力、面白い。あの女、いやオーナーがくれたこの力……。なかなかに面白い」


そうつぶやいた。そしてその続きは心中に留める。

まさか初代征夷大将軍と対戦するとはな。ふふふ、いや向こうもこちらと同じ。前世の事は聞いていても、だからといって全ての記憶があるわけでもない。ただ自分にはその無念さが怨念となって渦巻いているのが分かる……。


そして信長は三球目のモーションに入った。


来る……! 坂田マーローは直感した。それこそプロの経験と勘である。


ノーボール、ツーストライク。ここは一球遊んでも良いところだ。しかし今日の信長は遊ばない。勝負に来る。確実に、自分を殺しアウトに来る!!


坂田マーローは直感したのである。

信長のモーションに併せてテイクバックに入る。来るのは覇王級か、それともうつけ球か。


いや、信長第三の魔球だ!


今までの二球とは違う、よりダイナミックなフォームで、右腕をほとんど垂直にして信長は投げ込んできた。

来た!! 信長第三の魔球!!


三段落ちドロップ!!




日本プロ野球レジェンド中のレジェンド。沢村賞に名を残す伝説の大投手沢村栄治が投げていたという変化球だ。『懸河のドロップ』とも称され、その名の通り勢いよく流れ落ちる川の水のように激しく曲がり落ちたという。

一説によれば、この三段落ちドロップとは『非常に落差の大きい縦に割れるカーブ』だと言う。そもそも現代では、ボールの回転即ちマグナス力を利用した縦の変化球を『ドロップ』と呼ぶことは無く、縦のカーブと称しているので、その点では間違いない。

また三段落ちというのも、当時の日本プロ野球のレベルはまだまだ低く、その中で沢村栄治だけがメジャーリーガー選抜を一点に抑えるなど、抜きんでた実力を持っていたが故、他の選手が変化の鋭さと大きさをうまく表現できなかった為とも言われている。

信長のボールも、頭上高く上げた右腕から投げ込まれ、大きくカーブしながら曲がり落ちる。右バッターにとっては頭の上を越えるかと思われるボールが、キャッチャーミットに収まる頃には、外角低めに落ちてくるようなものだ。


長篠の戦いで、織田信長が発案したという『鉄砲三段撃ち』は後世の創作であると言われているが、信長吉法の三段落ちドロップは間違いなく実在する!!




左打ちの坂田マーローにとっては、それは膝元へ急激に曲がり落ちて来るボールとなる。膝を折り、肘を畳み、窮屈なスイングでなんとかバットに当てた。それが精一杯だった。見逃せばぎりぎり内角低めのストライクで見逃し三振だっただろう。

「ほぅ、当てたか。さすが初代征夷大将軍坂上田村麻呂殿の転生だけの事はある」

信長は余裕の笑みと共にそう言うが、坂田マーローはそれに反応している余裕などは無かった。当り損ねの打球は、ピッチャーの左、二遊間に力なく転がる。うまくすれば内野安打になる。坂田マーローは俊足を飛ばして一塁へと走った。


信長の横を力なく転がっていたボールを、すすっと出てきた遊撃手が華麗にすくい上げ、流れるようなスローイングで一塁へ送球する。一塁まであと一歩と迫った坂田マーローの目の前で、送球は一塁手のミットへと収まった。


「アウト!」


一塁塁審がそう宣言した。

ファインプレー。誰もがそう思う。しかしその誰もとは観客限定。毎度の事と承知している信長はにやにやと笑みを浮かべているが、捕手は渋い顔でマスクを挙げて遊撃手へと注意した。

「沖田サン、そういうのは困りますヨ」

どこかアクセントに癖のある日本語だ。それもそのはず。捕手は外国人選手。中国人選手のコン。

「どんまいどんまい」

遊撃手の沖田はグラブを挙げて、笑顔で応える。その仕草だけで観客席からは女性ファンの黄色い歓声が上がった。


それもそのはず。


遊撃手、沖田爽(おきた そう)はイケメンである!! 男性アイドルもかくやというルックスで、事実シーズンオフには女性誌や女性向け番組に引っ張りだこ。当然のように写真集も年に何冊も出ている。女性ファンは沖田の姿を見るだけで満足だったが、しかし古参の口うるさい男性ファンからは、今ひとつ評判が悪い選手なのだ。

その理由を実況席から語ってもらおう!!




「まったく。沖田の奴、またやりおった」

解説者席に座った老人は、思わずそう嘆息した。

「ええと、ファインプレーに見えましたが、どういう事でしょう。解説の野々原達也さん」

実況アナウンサーはおおよその察しは付いていたが、敢えて解説者の野々原達也にそう振った。実況アナや解説者、そして玄人筋のファンだけが状況を理解していても困る。ましてや沖田には野球に余り明るくない女性ファンが数多く付いているのだ。初心者にも分かるよう、解説を導き出すのも実況アナの仕事。常々沖田には辛辣な批評を加える野々原には、マスコミやネットメディアを通じて女性ファンから『老害!』『偏屈!』と非難が来る事も珍しくない。しかしスポーツマスコミにとっては、それもまた『おいしい』素材なのも事実なのである。


「まぁ見て下さいよ。沖田のこの守備位置。全然動いていない」

年齢の割には手慣れた手つきでタブレット端末を操作して目的の画面を映し出すと野々原は言った。

「沖田ほどの選手なら、坂田がバットを振った時、いや信長が投球動作に入った時には、すでにある程度打球の方向が予測できていたはずなんですわ。だったらもう動き始めていてもおかしくない」

「それをしなかったのは、何故?」

これまた答えが分かっている質問を投げ返す。

「そりゃ簡単。ファインプレーに見せたかったんですよ。沖田は昔っから、何でも無いプレーをファインプレーに見せたがる悪い癖がある。何でもない打球は、普通に処理すればいいんです。別にそんな所で観客にアピールする必要は無い」

そして野々原は画面上で沖田に声をかける捕手にカーソルを当てて続けた。

「コンミンみたいなタイプには頭が痛いでしょうなあ。彼は儂とタイプが似てますから」

「さすがは元祖IT野球。アジアの頭脳、中華スーパーコンピュータを知るというわけですね」

アナウンサーのその言葉に野々原は苦笑した。

「わしが元祖IT野球なんてあんたらマスコミが勝手に言う取るだけじゃ。コンミンはリードばかり評価されますが、キャッチングも超一流でしょう。なにしろ信長のあのボールを全て取れるんですからねえ」


安土ウロボロスのキャッチャーは、五年前に行われた野球ワールドカップに中国代表として出場。下馬評の低かった中国チームを率いて日本、米国、韓国、台湾、オーストラリアなどの強豪を苦しめた捕手コンミン。アジアの頭脳、中華スーパーコンピュータという二つ名もその時についたものである。

しかしさすがの野々原達也と言えども、コンミンの前世までは分からない。


コンミンは漢字表記だと孔明。そう、即ち諸葛孔明の転生なのである。

つまり安土ウロボロスのバッテリーは、織田信長と諸葛孔明なのだ!!

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