中納言高校卒業後、地元の独立リーグチームから誘いが有り、形式上、光国と関田はそこの所属となった。オーナーが野球経験者で、光国の言う回転至上主義に興味を持ったためだ。二人はその独立リーグに所属しながらも、投球の回転を磨く練習ばかりに専念。ろくに試合には出なかった。試合に出るより、自分たちの信じる理論を実践し、実現のあかつきにはトライアウトを受けようという算段だったのである。
しかしその目論見は、思わぬ形で裏切られる。しかもそれは二人にとっては望外の出来事であった。
水戸ロイヤルズからドラフト一巡目で光国が、二巡目で関田が指名されたのである。高校二年間で公式戦出場はほぼなし。特に関田は独立リーグ球団に所属していても、試合にはほとんど出ない。目立つ実績が無いバッテリーを一度に獲得するなど、地元球団と言えども異例中の異例! それ故、密約があったのではないかという憶測がスポーツマスコミを一時期賑わしたが、光国と関田はそこまでして取るような評価の高い選手ではないので、時間と共にそんな噂は雲散霧消した。結局は新オーナーの気まぐれ、野球を知らないからこその選択と、陰ではあざ笑われるだけに終わった。
しかしペナントレース最終戦にいたり、誰もが水戸ロイヤルズオーナー兼任監督の、慧眼に感嘆しようとしていたのである。
そう、水戸ロイヤルズオーナー兼監督。ただの女子中学生ではない!!
意気が上がる光国と信長に対して、関田はさすがに冷静だった。初球のサインを光国に送る。光国もすぐさま冷静さを取り戻して初球のモーションに入った。
二人が『豪回転球』と呼ぶ、遅くても回転数が高い直球が真ん中高めに決まった。関田の予測通り信長は初球見てきた。スコアボードに表示された球速は143キロ。
「……なるほどな。これは面白い。実に面白いぞ」
光国の放った球の軌道を再確認しながら信長はつぶやいていた。
「やはり、胆は回転か」
そう言うと意味ありげに関田の方へ目をやる。関田は何も答えずに球を光国に返した。
キャッチャーボックスに座り直して二球目のサイン交換。慎重なそしてなんで有っても己が目で見ないと気が済まない信長だ。1ストライクを取られても、一球目を見てくる事は充分に予想がつく。問題は二球目以降だ。
関田は長考した。信長がその長い間合いを嫌い、一旦バッターボックスを外したほどだ。
よし、これだ。すでに豪回転球は見せてしまっている。ならばこの手を使わぬ手はない。リスクは大きいが、信長ならばこそ使う意味がある。
関田に全幅の信頼を置いている光国も、そのサインに無言で肯いた。そして第二球。一球目と同じコースに再び速球が来た!
同じコースを見逃す信長ではない! 待っていましたとばかりにバットを出す!!
しめた! 関田はマスクの下で思わずほくそ笑む。自分の思うがままにバッターを術中に填める。これこそキャッチャーの醍醐味!!
試合を思うがままにコントロールする快感に身を委ねられる。しかし関田がその快感に酔いしれる事が出来たのも、ほんの一瞬の出来事だった。
「むぅ!?」
光国が放った球が本塁ベースを通過する前に、信長はそれに気付いて即座にバットを修正した。レベルスイングで振り出したバットを、途中から急遽ダウンスイングに変更したのだ。辛うじてバットに球がかすり、そのまま関田のマスクを掠めてバックネットに飛んだ。
「ファウル!!」
主審がそう宣言した。
「ふう、危ない危ない」
そう言う割には余裕の笑みを浮かべて信長は独りごちた。
「危うく、ボールの上っ面を引っかけてゴロにしてしまうところだった」
そして関田の方へ頭を巡らせて続けた。
「さすがは和算の大家と言われるだけの事はあるな。関くんよ」
「いえ、俺はただのプロ野球選手ですから。それに関ではありません。関田です。関田和」
「ふふふ。まぁいい。そうしておこう。今はカメラもマイクも発達しておるからのう」
信長はその話題はそこで打ち切った。そう、関田和は、計算の神、算聖と呼ばれた江戸時代の和算学者、関孝和の転生なのである!
しかし信長は関田の前世には興味が無さそうだ。そのまま三塁側水戸ロイヤルズベンチへと目をやり言った。
「あの金柑頭が正捕手の太子堂に代わり、先発マスクを任せただけの事はあるな」
信長吉法ではなく、織田信長が金柑頭と呼ぶ男は唯一人! 明智光秀!! その明智光秀の転生が、いま水戸ロイヤルズのベンチに座っているのだ。肩書きはヘッドコーチだが、不慣れな、というよりは野球にはまったく素人の監督に代わり、事実上の指揮を執っている。
天海明智!
天海コーチは、信長が自分の方を見ていると気付いたのか、帽子を目深に被り直す。金柑頭といったのは現世でも同じく、その頭髪はいささか寂しい。前世通りなのは頭髪だけではない。その策略も前世通りなのである!
「せいぜい儂を楽しませろ。これでネタ切れなどと言うなよ!」
そう言い放つと信長は、バッターボックスで構え直した。
「球速154キロ! 光国投手、この試合の最速を記録しました!」
実況アナウンサーは興奮した様子でそう伝えるが、解説の野々原は醒めた様子で付け加えた。
「いや、まぁ早いだけですけどね」
「早いだけと言っても、154キロも出れば充分じゃないですか? 現に今の投球、信長もファウルで逃れるのが精一杯だったですし」
「いやいや、信長は早さに押されたんじゃないですよ。むしろ遅さに戸惑った。光国が放った球が、思いの外、遅かった為、ファウルで逃れるが精一杯だったんですよ」
そこで一つ嘆息すると野々原は付け加えた。
「今のファウルは関田のリードのおかげです。光国の速球は、何でもない。早いだけのクソストレートですわ」
「おやおや、これは辛辣ですねえ」
アナウンサーは苦笑するが、野々原は真顔で続けた。
「辛辣も何も無い。今のストレートは、一球目のように伸びも何にも無い。一球目は遅かったが、伸びていた。先程言っていたような『遅いが伸びる球』。対して二球目は『早いが伸びない球』。注目すべきは関田のリードです」
元捕手という事もあり、リードを語る時の野々原の口調には熱がこもっていた。
「関田は、今の154キロのストレートをいわばチェンジアップとして利用したんですわ。早い方の球をチェンジアップとして使う。普通チェンジアップとは、速球と同じフォームで投げる遅い球。だからタイミングを外せる」
「しかし今回は早い球でしたよね」
「そうやね。その辺が関田の非凡な所ですわ。早くて伸びの悪いストレートをチェンジアップとして使う。なかなか出来る発想じゃあない」
野々原は関田のリードをべた褒めであった。
「早い遅い言っても、野球の投球の早さは一種類じゃないんですわ。単なる移動速度である早さ、体感的な早さがある。関田というキャッチャーはその辺をうまく利用してますな」
「おし! 2ストライクだ!」
球審からの返球を受けて、光国は自分自身に気合いを入れるかのようにそう言った。しかし信長とてこのままむざむざ凡退するわけもない。事実、鬼のような形相でバッターボックスから光国を睨み付けている。
さて、どうする関田。三球勝負か? 信長相手に一球遊んでも意味はないだろう。
そう考えながら光国は関田のサインを覗き込んだ。
そしてにやりと笑う。
そう来たか!! さすがは俺の相棒だぜ!!
ここで敢えてアレを見せておく! それによってこの試合、そしてこの後に続く日本シリーズも有利に運ぼうという算段なのは、光国にも充分に予想できた。
行くぜ、和!!
そして光国は三球目のモーションに入った。
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