「ストライック!! バッターアウト!!」
主審の手が高々と差し上げられた!
「え、あれ……。嘘!!」
沖田は不満な様だったが、関田がボールを受けた所は間違いなくストライクゾーン。
「ええ、と。あれ……」
不満げな顔を主審に向ける。しかしどう見ても正真正銘のストライク。安土ウロボロスベンチから弓削監督を初めとするコーチ陣も飛び出してくるわけでもない。観客席の女性ファンからは、沖田への同情の声と、審判そして水戸ロイヤルズバッテリーの罵声が飛ぶが、だからといって判定が変わるわけもない。
「さっさと下がってください。沖田さん。なぁに、俺が一発かましてやりますよ」
自信満々でそう言う声が響いた。場内アナウンスがそれを待っていたかのように、彼の名を告げる。
「二番ライト、時貞。背番号4」
不躾な時貞の態度に、沖田は舌打ちをすると、ベンチに下がりながら背中越しにひと言嫌みを返した。
「じゃあ、頼んだわ。エンジェルくん」
「天使郞です!!」
時貞はそう言い返すと、改めてバッターボックスに入り直す。
「随分と調子がいいじゃないか。光国。しかし俺は今日は機嫌が悪い。あの時のように、すっきり一発行かせて貰うぞ」
そう言うと時貞は舌なめずりをしてみせる。時貞の言う『あの時』とは、甲子園で光国、関田の中納言高校が、時貞の行長高校と対戦した時の話だ。
光国は一年生ながら中納言高校のエース。対して行長高校は三年生時貞のワンマンチームで、彼はエースで四番だった。
甲子園の一回戦で対戦した両校だったが光国は、いや中納言高校は時貞一人にこっぴどくやられた。四番の時貞に二本のホームランを含む6打点を叩き出され、0対6で敗北したのだ。スコアでも分かるように、光国は時貞以外を完璧に抑えた。時貞以外のランナーは全てエラーや野選での出塁。しかし中納言高校の攻撃も時貞に3安打完封。打者としての光国は3三振。関田はベンチ入りこそしていたが、出場機会には恵まれなかった。
中納言高校は一回戦敗退。そして時貞以外を完璧に押さえ込んでいたにも関わらず、光国はエース失格の烙印を押されたのである。
もっとも時貞の行長高校も二回戦で敗退。しかし中納言高校戦での印象が強く、その年のドラフトの目玉とされ、一巡目で安土ウロボロスに指名され入団したのである。
光国にとっては不倶戴天の仇敵でもある。そしてこれがプロ入りしてから初の対戦である。光国も散々言われて黙っているわけにもいかない。
「あの時のようにいかねえよ、エンジェル先輩!」
挑発する光国に関田も調子を合わせる。
「そうそう、あの時の光国とは違いますよ。エンジェル先輩!!」
その言葉に時貞は色をなして声を荒らげた。
「エンジェルではない!! 天使郞だ、天使郞!!」
時貞のフルネームは、時貞天使郞。これだけならば、ちょっと変わった名前だが、問題はその読みである。
エンジェル!!
天使郞と書いて『エンジェル』と読むのだ。
即ち!! 時貞天使郞、ときさだえんじぇる!!
キラキラネーム!!
甲子園に出場した時はかなり話題になった。ドラフト指名の時も、会場に朗々と『ときさだえんじぇる!』の名が響いた!! 子供の頃から散々からかわれていたのだが、それがエンジェルをプロ野球の道を目指す切っ掛けとなったのだ。
プロ野球選手になれば登録名は自由! 実名を変更するよりもたやすい! あくまでプロ野球選手になれればの話であるが!!
そして時貞天使郞こと『ときさだえんじぇる』は、晴れて登録名を『ときさだてんしろう』としたのだ! 『えんじぇる』も『てんしろう』も、余り変わらないような気がするが、そこはそれ。本人の気の持ちようなのである。しかし今だ甲子園の場内アナウンスやドラフト指名された時のインパクトは強く、選手やファンからもエンジェルとからかい半分で呼ばれる事が多い。
それを覆すには!! そう、プロ野球で活躍する事だ!! プロで活躍して、甲子園がドラフト会場で響き渡った『エンジェル』の衝撃に負けない結果を残すこと!!
有る意味、時貞は極めて前向きに野球に取り組んでいるのである。もっとも今のように、敵味方問わずエンジェルと呼ばれると、冷静さを失うのが大きな欠点なのだが。
「もう二度と俺の事をエンジェルと呼べなくしてやる!! そう、お前はここで俺に打たれて二軍落ち!! 二度と一軍に上がってこられなくしてやる!!」
明らかに冷静さを失った様子で、左投げ左打ちの時貞は左バッターボックスで構えた。
「……不甲斐ない。壬生浪の名が泣くぞ」
ベンチに戻ってきた沖田爽を、同じ学校、壬生浪高校出身の先輩である土方闘志弥が叱責する。
沖田はまだ不満そうな顔だったが、ベンチに座り、一つ頭を振ると自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「すげー伸びてきたんだ。あいつの、光国の球」
「そんなわけあるか。140キロ台のストレート。伸びるような速度ではない」
土方がそう言った時には、時貞は初球を空振りしていた。
「面白いな。140キロそこそこの伸びるストレートか。では最後、見送ったボールはなんだ?」
二人の話に入ってきたのは、近藤戦美である。沖田、土方と同じく壬生浪高校出身で、二人より一学年上。そして十数年前、壬生浪高校が高校野球を席巻した時の、伝説的キャプテンである。現在は安土ウロボロス左翼手、不動のレギュラーだ。安土ウロボロスの壬生浪高校出身者は沖田、土方、近藤に加えて、投手の斉藤一顧がおり、この四人を称してファンは『壬生浪カルテット』と呼んでいる。投手の斉藤はいまブルペン待機だが、実のところカルテットと言いつつ、他三人とあまい頻繁に交流することはない。
「最後の球もすげえ伸びてきた。ボールになると思っていたら、ぐぃっと伸び上がってストライクコースに入ってきた」
「投手の手を離れた球は加速することはない! 落ちる事はあっても、伸び上がる事は物理的にあり得ん!!」
土方がそう断言した時、時貞は二球目も空振りしていた。
「いや、土方サン。そうとも限らないです」
今度はコンミンが話に参加してきた。どうやら彼も、光国の球には一家言あるらしい。
「沖田サンや時貞クンも苦戦している。ただの遅いストレートではないでしょう」
「そうっすよね! コンミンさん!! さすがアジアの頭脳!!」
コンミンをそう褒めそやす沖田に、土方は苦い顔をした。
「コンミンさんがそう言っても、お前が三振した事には変わり有るまい」
「早い球だから、伸びるとは限らない。早い球でも回転が悪ければ、伸びません。逆に言うと、遅い球でも充分な回転があれば伸びます。伸びるはずです」
コンミンがそう言い終えた時には、時貞は三球三振に終わっていた。バッターボックスの時貞は、呆然として立ち尽くし、そして我に返ったかと思うと、手にしたバットをグラウンドに叩き付けへし折った。
「Oh~~! 道具を大事にしないプレイヤーはいけないね。エンジェルはグレイトなプレイヤーには、まだまだね」
肩をすくめ、片言の日本語そう言うと、四番バッターのアーサー・キングはネクストバッターズサークルへ向かった。その時にはすでに三番バッターの場内アナウンスが響き渡っていた。
「三番、ピッチャー。信長。背番号50」
巨大な安土スタジアムを揺らすかと思える程の大歓声が上がる。近藤がコンミンに何か尋ねたが、割れんばかりの歓声で聞き取れなかったほどだ。
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