「……三球目、『快風丸』でいきますな」
水戸ロイヤルズベンチに座ったヘッドコーチ、天海明智はそうつぶやいた。
「『快風丸』はまだ万全じゃない。いまここで信長に打たれでもしたら……」
ピッチングコーチの朝霞は心配そうな顔をするが、横に立つ小柄な人間がそれを否定した。
「いや、ここで見せておくから意味があるのだ。敢えて未完成の『快風丸』をな」
「そうですな、監督。秘密兵器というのは隠しておくだけでは意味がありません」
天海ヘッドコーチから、監督と呼びかけられたのは、プロ野球のベンチにいるのが、およそ似つかわしくない人物。小柄なツインテールの少女だ。年齢の頃は、せいぜい中学生くらいだろうか。しかしそれにしては老成した物腰で彼女は続けた。
「うむ、その通りだ。天海コーチ。こちらにはこういう策もあると見せておかないと、敵を混乱させる事が出来ない。まして策を見せておけば、敵は対策を練らざる得なくなり、他がおろそかになる可能性がある」
そして少女は少し微笑み、小声で天海コーチに言った。
「さすが智将と言われる事はあるな。明智殿。いや、今のは天海殿のお知恵か?」
「ははは、さて。どうでしょうなあ」
天海コーチは帽子を取り、薄くなった頭を掻いた。ツインテールの少女は、そんな天海を頼もしそうな視線を送ってから、改めてグラウンドを見た。
「さて……、頼んだぞ。光国、関田」
格好こそ水戸ロイヤルズのユニフォーム。しかし下はズボンではなくミニスカートである。彼女こそ、水戸ロイヤルズの監督兼オーナー伊代台与である!
しかも!
現役女子中学生!! 14歳!! 14歳!! ついでに背番号も14! 来年背番号15になるかどうかは未定!
監督というのは形式だけのもの。実際の指揮は天海ヘッドコーチが執っている。台与はいわばファンサービスを兼ねた、アイドル的存在としてユニフォーム姿でベンチにいるのだ。
スポーツマスコミはそう言ってるし、ほとんどのファンもそう信じている。
しかし真実は微妙に違う! 確かに野球の知識が必要な所は天海ヘッドコーチが責任を持っている。だがそれでもベンチには、伊代台与が居ないといけない。この選手たちをまとめる事は出来ないのだ。
なぜならば彼女が、転生者たちを水戸ロイヤルズに集めたから。そして安土ウロボロスに対抗しなければならない理由を教えたからなのである。
さあ、姉上。こちらの準備は整いつつあるぞ。1800年前からの因縁。今度こそ終わりにしてくれる……!
光国の三球目!
その雰囲気から信長は三球勝負と察していた。だが今までとはフォームが少し違う。腕の振り方も違う。大上段から振り下ろすような振りなのは一緒だが、捻るような動きが加わっていた。
変化球か? 腕を捻るという事はカーブ? スライダー? シンカーという可能性も有る。フォークやパーム、ナックルのような無回転系の変化球ではないはずだ。
変化球を想定して信長はテークバックに入った。だが違った。光国の放った球は、予想と反してストレートだった。少なくともそのように見えた。だがしかし、それはただのストレートでもなかった。ストレートはストレートなのだが、余りにもストレートすぎる!
なんだ、これは!! なんだ、なんだ! なんだ、これは!?
20年以上プロ野球選手をやっている信長でも見た事が無いストレートだった。それは確かにストレートだ。しかしあり得ない程、ストレートなのだ!
バットを持つ手が止まった。最初は光国が放った球に当惑して無意識に止めてしまったのだが今は違う。
意識的に止めたのだ。
バットを振るよりも、今はこの投球を見る! この球を観察しなければならない!
信長の直感がそう告げたのである。
光国が放った球はまっすぐに、ただひたすらまっすぐにストライクゾーンに飛び込んできた。真ん中高め。バットを出せば、そして当たれば飛ぶ位置だ。だがしかし信長は分かっていたのである。
バットを振ってもジャストミートする事は出来なかった!
むしろ! 振り遅れていたのは必定!! 間違いなく、無様に空振りしていた!!
そうなれば球筋を見極めるなど出来ない。良かった、見送っていて!
「ストライック! バッターアウト!!」
主審がそう告げた。結果は見送り三振。これで沖田、時貞、信長と三者連続三振である。優勝がかかった試合にしては、余りにも無様な立ち上がり。
しかしこれでいいのだ。三振アウトの一つくらいくれてやる。ここまでのプロ野球キャリアの中で、信長も多く三振を喫している。今さらそれが一つくらい増えたところで痛くもない。一試合9イニングの中で凡退できる回数27の内、一つを費やしても見るべき価値の有るものを見られたのだ。
安いもの、安いもの……!!
そう考えると笑いがこみ上げてくる。安いものではあるが、一つのアウトをくれてまで見るべき価値があるものなどそうはない。そう考えると愉快ですらある。
「おい、捕手!」
信長は三塁側ベンチに退こうとする関田に声を掛けた。
「ジャイロか?」
図星だったようだ。関田はぴくりと身を震わせた。
「まぁ、そんな感じです」
曖昧に受け流そうとする関田に、信長は追い打ちを掛けた。
「しかしただのジャイロボールはないな」
信長が三ストライク目を捨て、完全に光国の球を観察するとは関田にとっても予想外だった。こうなっては仕方ない。関田も開き直って答えた。
「ええ、有る意味……。『完全なジャイロボール』です。まぁまだ未完成ですが」
関田の答えに信長は突然、大笑し始めた。
「はははは、良い良い。見事であるぞ。未完成の球で、この儂から見逃し三振を奪うとはな」
そこで信長はついと関田に歩み寄り言った。
「名は?」
「はぁ?」
信長の言葉の意味が分からず、関田は怪訝な顔をした。
「あの球の名じゃ。もしも付いていないのならば、この儂が名付け親になってやっても良い」
押しつけがましい信長の提案に、関田は辟易したように答えた。
「名前は有りますよ」
そう前置してから続ける。
「『快風丸』。快適な風に、船の名前に付ける丸で、快風丸です」
『快風丸』!! それは徳川光圀が、蝦夷地探検貿易の為に建造した船の名前である!!
「『快風丸』か!!」
その名に信長はまた笑う。
「良き名だ!! 大切に使うが良い」
そしてぎらりと眼を輝かせて付け加えた。
「この儂に打たれる時までに、完璧に仕上げてくるが良い。さもなくば打つ甲斐がないわ。ははははは……!!」
これが見送り三振を喫したバッターだろうか。信長は上機嫌で笑いながら、一塁側ベンチに退いた。
「……これは、どういう事なんでしょう。野々原さん。球速139キロ。真ん中高めのストレート。打ち頃の球に見えたんですが、なぜ信長は見送ったんでしょうか?」
「こりゃあ……、驚いた」
実況席の野々原は実況アナウンサーの問いには答えず、光国が投じた球の軌跡を表示するモニターに見入っていた。
「今さっき、野球の投球の早さは一種類だけじゃないといいましたね。私。単なる移動速度である早さ、体感的な早さと」
「はぁ」
野々原の言葉に実況アナウンサーは戸惑いがちに首肯した。
「その二種類だけじゃあない。もう一つ、投球の早さがあったんですわ。昭和の時代から野球をやってきたのに、こんな意味の早さがある事に気付かなかったとは……。いや、だから野球は面白い!!」
一人で感心して何度も肯く野々原だが、実況アナウンサーには何の事だかさっぱりだ。
「あのぉ、それは一体どういう事なんでしょうか?」
「投げた球がどういう軌道を取ってキャッチャーミットに収まるか。つまり投手のリリースポイントからキャッチャーミットまでの距離です。言うまでもなく、最短距離は直線になりますな」
「ええ、そうですね」
「しかし一般的に投手が投げるボールは、多かれ少なかれ山なりなんですわ。高いマウンドから投げ下ろす事もあってな。だからその分、移動距離が長くなり、打者への到達時間も長くなる」
「光国投手の投球は違うんですが?」
実況アナウンサーのその質問に、野々原は力強く肯いた。
「その通り! 光国投手の投げた球は、リリースポイントからキャッチャーミットまで最短距離で移動しているんですわ」
そして意味ありげに付け加えた。
「まるでジャイロコンパス搭載のロケットや!!」
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