「ピッチャー、光国。背番号30」
安土ウロボロス一回表の攻撃が始まる。場内アナウンスが流れても、観客はホームチームの攻撃に期待するだけで、対戦相手の水戸ロイヤルズの先発投手にはまったく関心の無い様子だ。
水戸ロイヤルズの先発投手、光国彰孝は安土城天守をイメージしたという、安土スタジアムのバックスクリーンを見上げていた。
「光国、優勝がかかっている試合とはいえ、それは対戦相手の話だ。俺たちはもうリーグ優勝を決めている。気楽に行こうぜ」
そう声を掛けてきたのは、捕手の関田和。光国とは同じ高校で、やはり昨年のドラフトで指名されて入団した。
「気楽に行こうぜか」
光国は頭を巡らせて答えた。
「それは対戦相手次第じゃ無いかな」
光国の指摘に関田は苦笑した。
「なるほどな。確かにウロボロスさんに失礼だ。それじゃ、光国。気合い入れて行くぞ」
「おう!!」
そして光国と関田は握り拳を合せた。
そうしている間にも場内アナウンスは続いている。
キャッチャー:関田、背番号6。ファースト:若田、背番号21。セカンド:二宮、背番号8。サード:至電、背番号43。ショート:坂田、背番号1。レフト:グレイストーク、背番号22。センター:伊能、背番号3。ライト:天海。背番号10。
どちらかというと水戸ロイヤルズは堅実な守備で守り勝ってきたチームだ。守備において唯一の欠点がレフトのグレイストークだが、試合終盤になると下がり、ライトの天海がレフトに周り、守備には定評のある支倉がライトの守備固めに入る。今回は指名打者があるので、ランスロットは守備に付かない。指名打者なしの場合、ランスロットが一塁やライトで先発する場合も多い。
今日のスターティングラインナップも、今後の試合展開によっては変わっていくだろう。
一度、二度マウンド上で屈伸してから、光国は一番バッターへと向き直った。
「一番ショート、沖田。背番号34」
アナウンスと共に球場は女性ファンの歓声が上がる。ここは安土ウロボロスのホーム球場。アウェイなのは当然だが、それ以上のプレッシャーがかかっている。
キャッチャーボックスで構えた関田は、慎重に沖田の様子を探る。
さわやか、イケメンという主に女性ファン視点から語られる事が多い沖田だが、実際にはかなりえげつないプレイスタイルで、他のチームに警戒されている。
いや、警戒と言うよりは、単に嫌われているのだ。
バットを遅れて出して故意に打撃妨害を取る。あるいはバントを失敗しても、走塁を遅らせて、故意に捕手と交錯。走塁妨害をアピールする。えげつないというよりは、せこいというくらいが適切だ。
しかしルールでは禁止されていない! 有る意味、それが野球というスポーツの醍醐味なのだ。
やれやれ、新選組の沖田総司が前世というのに。いや、史実の沖田総司も案外こういうタイプだったのかも知れないな……。
関田はキャッチャーマスクの下でそう考える。
いずれにせよ、太子堂さんの言う通り何をしてくるか分からない。注意するに越したことは無い。
太子堂聖徳とは水戸ロイヤルズの正捕手。いつもなら先発マスクなのだが、光国がマウンドに上がる時は、おおむね関田が捕手を務めている。
第一球!
関田のサインにうなづき、光国が初球を投げ込む。第一球は内角高め、ボール球のストレート。沖田のバットはぴくりと動いたが、さすがに露骨な誘い球。打ってはくれない。
「なぁ~~んだ。大阪、呉と二試合連続完投。16イニング連続無失点というから、どんな風に化けたと思っていたら、大して変わらないなあ」
沖田は独り言のようにそう言う。それが独り言ではないのは、最後に関田の方へちらりと視線を送った事でも分かる。
いわゆる『囁き戦術』!
主に捕手の方が仕掛ける事が多いが、沖田は打者として捕手を挑発する為にこの戦術を取るのだ。
大阪とは大阪テンペスターズ、呉とは呉ドレッドノーツの事だ。双方とも豪打で知られる強豪チームだ。光国はこの二試合、大阪テンペスターズを散発六安打二失点完投勝利、呉ドレッドノーツを三安打で完封勝利している。
好調! 好調!! 絶好調と言っても良い!!
光国彰孝。ここまでの成績は五勝六敗1セーブ。しかし前半戦は一勝だけで、残り四勝は後半戦だけで稼いでいる。そして安土ウロボロスとの対戦は今回が初めて。
スコアラーの情報だけでは無く、選手が見た生の情報が欲しい。
一番バッターとして沖田はその役目を果たしたのだ。
しかしそれも光国、関田の計算通り!
まず一球、捨てても良い!!
さぁ、来い。光国!! お前の本気を見せてやれ!! お前の豪回転ストレート。その名も『豪転』を!!
関田のその想いは当然のように光国に伝わる!! ダイナミックな投球フォーム! 一球目とは違う! 沖田もそれを察して緊張するのが関谷も伝わった。
投げた!
剛速球が来ると思っていたのか、沖田は少し拍子抜けしたようだ。電光掲示板に表示された球速は141キロ。遅くは無いが早くも無い。いや、若い投手としては物足りないと言われても仕方の無い速度だ。
逆に言えば、打ちごろ!!
沖田は会心の当たりを確信してバットを振った。だが次の瞬間、バットは空を切った。
空振り!! 沖田が何をやっても歓声を上げる女性ファンは、まるでヒットを打ったかのような声援を挙げたかと思うと、すぐさま落胆のため息を漏らす。対照的に内野席に陣取る古株のファンから、みっともない空振りに失笑さえ聞かれた。そして両軍のベンチからはヤジが飛ぶ。そう両軍だ。チームメイトの安土ウロボロスのベンチからも、叱咤激励の体を装ったヤジが飛んでいた。
「……あれっ、おっかしいなあ」
照れ隠しなのか、心底そう思っているのかは分からないが、沖田は首を傾げながらバッターボックスに入り直す。その様子に関田は沖田が完全に自分たちの術中にはまったと確信した。
よし、どんどんいくぞ。光国!!
関田はサインを出し、気合いを入れてバンとミットを叩いた。
ここで完璧に沖田を殺る!! そしてチーム全体に弾みをつけて、この試合も取るのだ!!
ワインドアップから光国が三球目を投げた! 真ん中高め!! 球速も140キロいくかいかないか!! 打ち頃! 打ってくださいと言わんばかりの球!! 打たないはずがない!!
打つ!! いや、打てない!! 打てなかったのだ!!
沖田が振ったバットはまたしても空を切った! 再び女性ファンから悲鳴が上がる。対照的にホームの男性ファンからは、失望のため息が漏れた。しかし一家言あるファンや、安土ウロボロスのベンチは静まりかえる。
おかしい。
確かに沖田はせこいプレイをすると顰蹙を買う事もあるが、それも卓抜した野球センスがあればこその話。なまじ野球センスが優れているからこそ、ルールぎりぎりのプレイに挑みたがるのだ。
そんな沖田が二度も、何の変哲も無い直球を空振りするだろうか。ましてや三球目は、キャッチャーの関田は中腰になってボールを受け、沖田のバットはその30センチは下を通過していたのだ。
おかしい!
安土ウロボロスのベンチを沈黙が支配していた。
何か、理解できない事が起きている!!
考えさせる時間を与えてはいけない。
関田は次のサインを出し、光国は四球目を投じた。
外角低めへのストレート!! ボールかストライクか、見極めが難しいコースだ。だが2ストライク。打者としてはきわどいコースには、バットを出さざる得ない!!
沖田のバットがぴくりと動き、身体も外角球に反応して動く。しかしそこまでだった。沖田は見送った! 四球目は外角に外れるボール球、打っても飛ばぬクソボールと判断したのである。
しかし!!
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