相撲は土俵を割るか、足の裏以外を土俵に付けたら負けである。倒れてもテンカウント以内に起き上がればいい、さらに組み付き動けなくして一定時間押さえ込むなどというルールもない。
足の裏以外が着いたら負け!!
しかし逆に言えば足の裏だけで立っていれば、如何にアクロバティックな体勢になろうと勝負は続いているである!
それ故、力士は驚異的な平衡感覚と、それを実現する筋力を持っている!! さもなくば今の志電のように、倒れそうな体勢のまま、全力でバットを振る事など不可能であろう!!
スイカを自動車で挽きつぶしたような音を聞いたような気がした。硬球をジャストミートした時の、あのカキーンという鋭い金属音とは似ても似つかぬ音だ。志電のバットが強引に、そして力尽くでボールをはじき返した音だ。いや、はじき返すというのは、正しくない。野球用語でよく『持っていく』という表現がとられる事が有るが、文字通り今の打球が志電が、その腕力で強引に『持っていった』打球だった。
ライナーでもフライでも無い。敢えて言うならハーフライナーなのだろうが、それにしてはポップフライのようにふらふらと、安定しない軌道でボールは内野の頭を越え、ライト寄りの右中間へと飛ぶ。
まずい!
守備という扇の要である捕手としてコンミンは慌てた。安土ウロボロスの右翼手時貞は守備に難がある。このような中途半端で微妙な回転をしている打球など年に数本あるかないかだ。緩い飛球に観客はすでにアウトを確信したようで、安堵のため息が漏れているが、まだプレイは終わっていない。
コンミンの嫌な予感は当たった。
ライトの時貞は一旦前に出たものの、打球の勢いが落ちないのを目にして、慌てて下がり始める。しかも打球はスライス、つまり右側に寄っていく。右バッターでプルヒッターの志電に併せて、センター寄りに守っていた時貞は、さらにライン際へと寄って行った。
駄目だ、追いつけない! あとはセンターを守っている俊足、強肩、攻守のヤン・スロースに任せるしか無い。事実、そうしている間にも、アフリカ系オランダ人のヤン・スロールの姿が、コンミンの視界の外から弾丸のように飛び込んできた。
「セカンド、中継に! ショートはベースカバー!!」
コンミンはそう指示した。強肩のヤン・スロースだ。直接返球も可能だろうが、万が一という事もある。
打球を追いかけていたライトの時貞は、両手を挙げて捕球動作に入ったかと思いきや、肝心のボールはその頭上を通過して背後にぽとりと落ちた。安土スタジアムの天然芝に落ちるや、とんでもない回転がかかっていたのだろう。ボールはさらにライト側に大きく跳ねる。
「ヤン!!」
こうなるとセンターのヤン・スロースだけが頼りだ。時貞のエラーを目の当たりにした観客が挙げる悲鳴の中、黒豹のようにヤン・スロースが落ちたボールを追う。
打者走者は……!
塁間を一瞥してコンミンは驚いた。すでに打者走者[バッターランナー]の志電は、一塁を回っているではないか。これは如何に強肩のヤン・スロースといえども二塁で会うとにするのは無理だ。
「しかし、あの体格であの速力……! 相撲人は怪物か!!」
コンミンは絶句する。
相撲取り!!
それは世界でもっとも不当に低い評価を与えられているアスリートといっても過言では無い。
相撲をよく知らないヒトは言う。太った男性が向き合って、しゃがんだり立ったりを繰り返し、たまに組み合ったかと思うと、もう勝負が終わっている。退屈な競技、スポーツとも言えない。
否!! 断じて否である。
例えば昭和の名横綱千代の富士の全盛期に張り手を計測したところ、やはり同時期に全盛期を迎えていたヘビー級ボクサー、マイク・タイソンのストレートパンチと同程度の威力があったという。千代の富士が当時としても小兵の部類だった事を考え合わせると、これはとんでもない事である。体重が即、物を言う相撲ならば、千代の富士以上の超重量級力士の張り手は、全盛期のマイク・タイソンを凌駕する可能性がある。
大相撲の力士たちは、そんな張り手を毎場所のように食らっているだ。ヘビー級ボクシングの場合、チャンピオンだと初防衛戦は六ヶ月以内、以降12ヶ月以内に防衛戦を行うというルールがある。一度防衛すれば一年間は試合をしなくても済むのだ。しかし大相撲はそうはいかない。本場所ですら年六回15日制で、取組は年間合計で80! それに加えて各種巡業もあるし、当然、稽古もほぼ毎日行われる。
尋常では無い! 逆に言えばこれだけの稽古と実戦を繰り返しているからこそ、相撲という過酷な競技が成立するのである。
一瞬の立ち会いで勝負が決まる事も多いので瞬発力も求められる。中長距離ならばいざ知らず、塁間27.431メートルくらいなら全力疾走出来る。力士唯一の弱点と言えるのが持久力だが、サッカーやバスケットボールと違い、試合中ずっと走りっぱなしというわけでもない野球は、実は力士とは意外と相性が良かったのだ。
そして志電が大相撲とプロ野球という二足の草鞋を履いているのも、結局の所それが理由なのである。
相撲界は人気の低迷に苦しんでいた。何より相撲、力士そのものに人気がない。そこに高校で野球と相撲をやっていた生徒が、プロ入り後も二足の草鞋、二刀流を続けたいという情報が入ってきた。それが高校時代の志電、石多太郎だったのだ。プロ野球志望届を出した志電だったが、大相撲との二刀流を認めてくれないと入団しないという条件に二の足を踏む球団ばかりで、残念な事にドラフトで指名される事は無かった。
そこで相撲協会は考えた。将来的に石多のプロ野球挑戦を認めた上で、大相撲入りを許可できないか。
個人競技では力の優劣がはっきり着く。ましてや格闘技ともなると、ルールや時の運も絡み、いくら横綱と言えども必勝とはいかない。しかし一般のファンは勝敗を単に強い弱いという結果論でしか見ない。力士の一人が、他のスポーツに挑戦して無残な結果を残せば、それは相撲そのもの地位低下を招く。しかし集団競技、チームスポーツならばどうだ。特に野球はチームスポーツとしての側面と、投手と打者の対決という個人競技としての一面も持っている。
石多は高校時代、甲子園でも本塁打を打っているなど、野球選手としての将来性も期待できる。プロ野球側にも異色選手の登場でメリットはあるはずだ。しかしまずは相撲の実力を付けて貰わねば困る。そこで石多に『三役に昇進したら、大相撲力士と平行してプロ野球への挑戦を認める』と条件を提示。石多太郎はそれを飲み、力士志電太郎の誕生となったのだ。
力士になれてもそこから三役に上がれる者は一握り。野球の練習も続けながら、相撲の稽古をするハードスケジュールに実現を危ぶむ声もあったが、昨年、無事に小結昇進。そこで相撲協会公認で、プロ野球志望届を出し、水戸ロイヤルズがドラフト指名する事となったのである。だが一般野球ファン、相撲ファンは知らない。プロ野球関係者も大多数が知らない。石多こと志電が水戸ロイヤルズに加入したのは運命であったのだ。
コンミンはその運命を知ってる一人でもあり、また彼も当事者なのだ。
伝説の力士雷電為右衛門。さすがはその転生だけある……。
口に出さぬままそう呻く。その視界にマウンド上の信長が飛び込んで来た。
……ん?
場違いな信長の態度にコンミンは首を傾げた。
信長は笑っているのだ。そういうえば志電が打った信長の外角低めへのスライダー。何か変だった。スピードや切れも今ひとつ。調子が悪いというわけでも無さそうだが……。
何気なく信長の視線を追う。信長は三塁方向を見ているのだ。まるで打者走者の志電が三塁まで到達するのを期待しているようだ。
そこでコンミンははたと気付いた。
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