ペットのフェネックが死んだ。
享年十四歳。人間のそれで換算すれば、御歳八十以上。大往生だった。
今年で二十四歳になる私にとって、「彼」は人生の半分以上をともに過ごした兄弟のようなものだった。
私の十の誕生日に迎えられた彼は、黒くぬれたつぶらな瞳と三角形の耳が特徴的な、好奇心のかたまりだった。何を見ても瞳をかがやかせ、その大きな耳をぴんとまっすぐに立てていた。もっとも、晩年の彼はふてぶてしくも図太い性格へと変わり、掃除機でつつかれたって、お気に入りのクッションの上で昼寝をしていたものだったけれど。
名前は「スマリ」といった。由来は、日本の首都東京から遠く離れた北の先住民族『アイヌ』の言葉。その意は「キツネ」である。
至極安直なネーミングセンスだなんて言わないでほしい。そもそも、これは私がつけたものではないうえに、本来ならきちんとした名前ですらなかったのだから。
というのも、私の先祖は北海道の開拓民で、先住民族であるアイヌの人々と親交があったのである。当時、病弱で友人の少なかった私のためにとスマリを譲ってくれたブリーダーさんは、彼らアイヌの血を引いていた。
アイヌは文字を持たない民族で、その言葉の多くは現代に残っていないという。自分の身体に流れる血を誇りに思っていた彼女は、アイヌの言葉が滅びてしまうことをおそれていた。そのため、普段からアイヌ語を日常生活で使っていたのである。つまり、彼女は彼のことを「スマリ」と呼んでいたのだ。
おかげで、自分の名前をすっかり「スマリ」だと思いこんでしまった彼は、小学生だった私が一生懸命考えて決めた名前では、振り向いてくれることすらなかったのである。時折、フェイクをかけて呼んでみたこともあったのだけれど、そういうときの彼は決まって不思議そうに私を見るだけだった。
今際に、私が泣きながら「スマリ」と呼ぶと、彼は残る力を振り絞るようにして耳を動かし、小さく鳴いた。結局、最期のときまでスマリは「スマリ」のままだった。
スマリは冷たく、硬くなって、私の生活から姿を消した。部屋に染み着いたにおいも、日を追うごとに薄れていくのに、私はどうしてもスマリの使っていた物を片付けることができなかった。アカシアの木を削って作られた餌入れ、白い陶器の水入れ、寝床になっていた籐のかご。それらが目に留まるたびに、ぽろぽろと涙があふれてくるのだ。
スマリは死んだ。死んでしまった。もういない。
そんなことはしっかりと理解しているし、スマリが生きものであった以上はしかたのないことだとも思っている。これは自然の摂理だ。命の定めだ。だのに、私は何をしているのだろう。好きで始めたはずの仕事にも、まるで身が入らない。
自分で選んだ仕事ひとつ、まともにできないなんて情けない――そう愚痴をこぼした私に対して、五つ年上の兄は言った。
「お前とスマリはいつも一緒だったから、しかたないんじゃないの」
今は一人暮らしをしている兄は昔から面倒見がよく、職場でも部下や後輩たちに好かれる。おまけに趣味が料理ときたものだから、実家にいたころは職場の人たちを連れてきては、手料理を振る舞うこともしょっちゅうだった。
この日だって、兄の住んでいるアパートに連絡もなしに転がりこんできた私を、嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくれた。身内の贔屓目だと言われるかもしれないが、こんな兄が三十路を前にして未だ結婚できないというのは、世のお姉さん方の審美眼を疑うところである。
「でも、周りの人に迷惑ばっかりかけてさ」
兄が用意してくれたハチミツ入りのホットミルクをちびりと飲んで、私はうつむいた。
「今だって、兄さんに甘えて」
改めて言葉にすると、ますます自分がどうしようもない人間に思えてくる。目頭が熱くなって、視界がぼやける。唇を噛みしめて鼻をすすった私に、兄は息をついた。
「考えすぎなんだよ、チカは。別に俺はなんとも思ってはいないし、お前とスマリの仲なんて公認だったでしょ」
「兄さん、その言い方は語弊があると思うんだ」
「わかってるよ、半分は冗談」
ココアの入ったマグカップで口もとを隠し、兄は喉で笑った。「半分は冗談」ということは、残りの「半分」は本気なのだろうか。
しかし、私のことをよく知る兄が、そう茶化してくるのも無理からぬことだった。なにしろ、これまでの私ときたら、恋人たちが浮き足立つバレンタインにはスマリの食べられるおやつを考え、休みがあればスマリを連れて外へ出かけ、友人たちから長期旅行に誘われた際には「スマリの世話があるから」と断り続けてきたくらいだ。おかげで、生まれてこの方、彼氏ができたことは一度もない。
けれども、私がスマリに対してこうまで過保護だったのには、ちゃんと理由があった。
実は、フェネックという動物は、イヌ科のキツネ属なのである。つまり、犬の仲間ということだ。ところが、フェネックはペットとしては珍しい部類に入り、犬猫のような専用のおやつもなければ、面倒を見てくれるペットホテルもほぼ存在しない。必然的に、彼らの世話ができる人間は、飼い主だけということになるのだ。
この事実に気づいたとき、私はまだほんの小学生だったわけなのだが、それでも立派に母性本能というものは備わっていたらしい。自分こそがスマリを守らなくてはならないという使命感に駆られ、私は生涯スマリの面倒を見ると心に決めたのである。
身体が弱いのにと心配する母の声も聞かず、毎日スマリを散歩へつれていった。熱をだして学校を休んでも、スマリの世話だけは欠かさなかった。思えば、私の生活はスマリを中心にして回っていたのかもしれない。
だからこそ、なのだろう。スマリがいなくなった今、私は自分がどうして生きているのかさえわからない。
「チカ、お前にとってのスマリは、とても大切な存在だった。家族同然で、手のかかる弟みたいなものだった。わかるよ、お前の気持ちは。俺にだって妹がいるんだから」
手にしていたマグカップを机に置いて、兄は言った。
「けどね、俺はそろそろ、お前自身を大切にしてほしいんだよ」
スーツのネクタイを緩めた兄の手が、ぽんと私の頭を叩く。
「お前は俺と違って自営業だろう? しばらく休みをつくって、失くしたものを埋める時間を作ったらいいんじゃないかな。ほかの誰でもない、お前自身のために」
北海道にある父さんの実家を覚えてるか、夏休みに帰省するたび、お前はスマリをつれて裏の蕗畑で遊んでいたよね――
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